第4話
「久々の空だ……」
トリハシルの声が、帽子の奥でわずかに震えた。
だがそれは絶望の震えではない。わずかな、けれど確かに感じられる解放感だった。
布にされた身体、意思とは無関係に魔法具へと変えられた自分。それでも、この空だけは変わらず広がっている。
「……迎えに行かなければ……」
テネシアが、地平を見据えたまま呟く。
「おい、何ブツブツ言ってんだ?」
「アイリスを……迎えに行かなければ……」
「おいおい……! そりゃ、さっきの魔女と戦った場所に戻るってことだろ?
俺様、それはやめた方がいいと思うけどな……まだ奴が残ってるかもしれねぇし、話聞いた感じクソ強そうだし、今度こそ殺されちまうかもしれねぇぞ……!」
だが、テネシアの瞳に迷いはなかった。
「……だったら、私だけで行く」
「んな事言ったって俺様お前にピッタリくっついて……」
足元の地面が抉れ、次の瞬間、轟音と共に空気が割れた。
テネシアの身体が、低空を疾風のように駆ける。
瞬間、マント、否、トリハシルの布地が変質する。
布の両端が後方へ伸び、硬質化し、流線型の鋭い翼を形作った。
その翼の間を風が通り抜け、超音速の推進力を生む。トリハシルが取り込んだ空気が魔力へと変換され、それがさらに推進力を生んだのだ。
「な、なに……!?」
テネシアの顔に向かって、帽子部分が覆い被さる。
布地の表面に淡い光が走り、前方に半透明の魔力膜を展開する。
まるで魔力のバイザー。風圧が膜に弾かれ、音の壁を超えた衝撃波すら柔らかく散らしていく。
外の景色が歪み、森も川も草原も一瞬で線のように流れ去る。
大地の陰影が目まぐるしく変わり、空気は震え、耳に届くのは膜の外で軋む大気の悲鳴だけだ。
「おいおいおいっ!! 完全に服にする因果に変えたはずだ! こんな形態、知らないぞ……!」
「俺様だってわかんねぇんだよ!! 身体が勝手に反応しやがる!!」
テネシアの額に冷たい汗が滲む。
けれど、今はそんなことに構っていられない。
森の上、地表40メートルを低空で疾走する。
帝国の監視レーダー網を掠めるように、あくまで目立たない軌道を選ぶ。
それでも、木々の間を掠め飛ぶたび、枝葉が爆風で薙ぎ払われ、土煙が尾を引く。
「……アイリス……」
ただそれだけを胸に、テネシアはさらに速度を上げた。
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数分後、かつて戦った場所に、テネシアは降り立った。
焦げた大地。抉れた地面。砕け散った岩や、魔力の残穢が未だ微かに残る。
けれど、そこにアイリスの姿はなかった。
「……いない……!」
瞳が見開かれる。テネシアはその場を駆け回り、崩れた瓦礫を、焼けた草むらを、引き裂かれた地面をかき分ける。
「アイリス……アイリス……!」
声が擦れ、荒れた呼吸が空に溶けていく。
「……っくそ……!」
拳が、崩れた岩に叩きつけられ、鈍い音と共に砕けた。その拳の奥、彼の心の底から、何かが崩れていく音がした。
「テネシア……」
トリハシルの声も、今は静かだった。
沈黙の中、夜風が冷たく吹き抜ける。
「……ここにいても、意味がない……」
震える声で、テネシアはそう呟いた。
トリハシルの布地がわずかに揺れる。
「……町だ。どこか近くに町があるはずだ……何か……手がかりを……」
マントの裾が再び風を孕み、今度は静かに、地表を滑るように歩き出す。
彼の瞳に、光はない。けれど、ただ前に進むしかなかった。
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