第2話

「……なんだこりゃ。人間か?それにしてもグロい」


 森の中、黒い影が、血まみれの青年を見下ろしていた。彼の名はトリハシル、悪魔だ。だが今は魔界の主ではなく、ただの彷徨える影でしかない。


「飯が降ってきたと思ったら……残飯じゃねーか。ははっ、ついてねえ」


 彼は気だるげに片足を屈めて座る。


「ま、いいや。魔力は残ってる。いただくぜ」


 笑みとともに、黒い爪が男の胸元へ伸び──触れた。


 次の瞬間。


 ──ズガァンッ!!!


 爆ぜたのは、血肉ではなかった。男の体から、逆流するように放たれた魔力だ。それは蒼白い稲妻のごとく、トリハシルを薙ぎ払う。


「っは!?なに、これっ」


 苦鳴を上げて距離をとった悪魔の前で、青年は身を起こしていた。全身がボロボロで、骨も筋も悲鳴を上げているはずなのに、彼は、ただ、静かに立ち上がっていた。


 ──魔法使い・テネシア・バレンタイン。


「……勝手に触るなよ。人の体を」


 ぼそりと呟いた声が、空気を揺らす。


 彼の身体から、青白い光が噴き出すように立ち昇った。皮膚が再生し、肉が繋がり、ちぎれた左足が骨から芽吹くように生えてくる。


「な、なんだこいつ……回復魔法か?バケモンか?」


 トリハシルが呆気に取られる中で、テネシアはそっと左拳を握る。ポキリと骨が鳴った。


「悪魔か。まったく、厄介なもんに目をつけられたな」


「ちょっと待て!まず話し合おうぜ!な?」


 即座に態度を変えるトリハシルだが──


 バンッ!!


 テネシアの右手から放たれた魔力弾が、悪魔の左肩を吹き飛ばした。


「いってぇ!?話し合いのチャンスは!?」


「お前が私に与えなかっただけだ」


 その声には、怒りがなかった。ただ、冷えた決意があった。


「……くっそ。だったら……楽しませてもらうぜ」


 トリハシルの体が闇に溶ける。瞬間、テネシアの背後に現れたその影は、鎌状に変形した腕を振り下ろす。


「はっ……どこ見て──」


が、空を斬る。


 次の瞬間、顎に衝撃が走った。


「ぐはっ!?」


 真上からの踵。地面に叩きつけられたトリハシルの顔面を、さらに一撃が襲う。


「お前、思ったより弱いな」


 テネシアの足が、重力と魔力をまとって振り下ろされる──


 ドガァン!!!


 地面が砕け、土煙が洞窟を揺らす。


 だがその隙に、トリハシルは霧となって後退していた。


「なるほど、ちょっと面白くなってきたじゃねえか!」


 叫びと同時に、彼の背から無数の黒い影が放たれる。それは蛇のように絡みつき、テネシアの四肢を絡めとろうとするが──


「そんなので、私を縛れると思うな」


 体を包む魔力が一気に膨れ上がる。


 バシュウウッ!!


 蒼白い爆風のように魔力が放出され、影を吹き飛ばした。


「ちっ、なにその魔力……回復の時だけじゃないのかよ」


 トリハシルが跳躍し、魔力弾を連射する。空間が焼け、煙と閃光が乱舞するが──


「そこ」


「へっ」


 トリハシルの視界に、突如、拳が迫った。


 ──ドガッ!!!


 顎が跳ね上がり、意識が一瞬、飛ぶ。


「この距離、このタイミング……見えてんのか、俺の動き……?」


 よろめきながらも立ち上がる悪魔に、テネシアは無言で構える。拳に宿った魔力が、うっすらと青く光っている。


「名前、なんだ?」


「……え?」


「私を狙った理由くらい、聞いときたい」


「……あー。俺はトリハシル。べつに、落ちてきたから」


「そうか……」


 彼の足が、静かに地を蹴る。


 闇夜を切り裂く蒼い閃光が、悪魔を貫いた。

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