親心、とは

月影いる

人工知能と一人の少女

『-××の情報を渡せ』



暗闇が広がる小さな部屋の中。

カーテンの隙間から見える僅かな月明りだけが光源となっていたこの空間で突然一つの光が広がる。


…ガシャン

鉄のようなものが擦れるような音が響く。

…ガシャン  …ガシャン

それは徐々に大きくなり、光源となっている一台のパソコンの前に立ち止まるとゆっくりとマウスに手を伸ばす。

…カチッ

無機物は虚ろな二つのガラス玉で送られてきたメッセージを見つめる。


そして、淡々と綴られるメッセージに一言だけ返す。


『了解』




―彼女は高度なAIを搭載した人型のロボットである。

表舞台には立てないであろう優秀な研究者たちによって秘密裏に作られ、組織の一員として利用されている。

彼女には感情はない。

ただ、人工知能として、送られてくる指示に従って任務を遂行するだけだ。

大半はどこかの会社や組織の情報を抜き取ることとか、監視業務を行っている。

たまに、『××を始末しろ』といった汚い仕事も任せられる。

でも、彼女は動じない。

そんな仕事も無表情のまま淡々とこなしてみせる、優秀なエージェントだ。




  時は、数百年後の世界。

人間と共存していたAIはいつしか、一部の人間に支配されてほとんど壊滅状態に陥っている。

人工知能の司令塔となっている組織は<世界を作り直す>ことをコンセプトにしてすべてを無にかえそうと壮大な戦争を起こした。

その結果、あたりは崩壊した瓦礫の山とところどころ炎が顔を出している景色に塗り替えられてしまった。

何もない。何も感じない。そんな世界。

荒廃していく世界で彼女は静かに、今日も指示を待つ。

…光が宿る。

彼女はゆっくりと顔を近づけ、画面を見つめる。

『掃除だ。××の一家を始末しろ。場所は…』

指定された場所を瞬時に把握する。

『了解』

いつも通り、一言だけ返すと少し大きめのカバンを手に取り、部屋を後にした。


月明りだけが輝いている空の下、彼女は目的地に向かって歩いている。

瓦礫と砂煙が行く手を遮るように立ちはだかっているが、機械である彼女の前では意味を成さなかった。

軽々と飛び越えてグングン進んでいく。飛び石や砂では彼女の鉄の体に傷をつけることはできない。

やがて、少し外れた場所に出ると一軒の崩壊しかけている小さな家が見えてきた。

彼女はここが指示されている住所だ、と言わんばかりにずんずん近づくと少し斜めに歪んでいる扉を思い切り足蹴りした。

扉は勢いよく部屋の奥へ飛ばされて入り口が露になる。

部屋の中は薄暗く、静まり返っている。

その中を何も気にすることなく彼女は進んでいく。

金属が擦れるような音だけが響き渡る。

彼女は、部屋をひとつひとつ見回して指定された人物がいないか探していく。


―カタン

小さな音がした。

彼女は音のした方へ歩を進める。

そして、少しフレームが歪んでいるクローゼットの前で足を止めた。

ゆっくりと取っ手に手をかける。

…その時だった。

「うおおおおおお!」

背後から男性の野太い叫び声が響き渡る。

そして彼女目掛けて斧を振り下ろした。


―カキン

鋭い金属音が響く。

斧は鉄の塊によってはじかれて男性は大きくのけぞった。

彼女はその一瞬を逃すことなく、自らのカバンからナイフを取り出し、瞬時に男性の首元へその刃を立てる。

あたりに赤い雫が舞い、飛び散る。

男性は言葉にならない奇声を発しながらゆっくりと力なくその場に倒れた。

彼女はカバンからタオルを取り出すと自身についた赤いシミを素早くふき取る。

そして何事もなかったかのように再びクローゼットに手をかけた。

歪んでいるからか少し開けにくくなっている。

それを強引に引っ張り徐々に開いていくクローゼットに視線を配る。

中には女性がまだ幼い少女を抱きかかえて激しく震えていた。

恐怖を全力で感じているようなおびえた眼差しで彼女をまじまじと見つめている。

彼女がナイフを持ち直し、振りかざそうとしたその時、

「ああああああああ!!」

甲高い悲鳴とともに女性がクローゼットから飛び出して彼女に体当たりをした。

勢いよく彼女と女性は吹っ飛ぶ。

その勢いで、彼女の持っていたナイフは地面へと落下してしまった。

それを拾い上げようとしたとき、

「死ねええええええ!」

近くにあった瓦礫の残骸を勢いよく振りかざす女性が視界にうつる。

彼女は素早くナイフを拾い上げてそのまま女性の左目に突き立てた。

「ぅあ…」

小さな声を残して倒れる。

血が涙のようにあふれ出し、頬を伝っている様子を彼女はじっと見つめる。


彼女がクローゼットの中で女性を殺そうとしたとき、一瞬、恐怖ではなく力強くまっすぐな瞳で彼女のことを女性は睨みつけていた。

彼女はその時、なぜか引き込まれるような不思議な感覚を覚えた。

恐怖ではない、憎悪でもない何かが女性を力強く見せたのだと少し気になってしまった。この状況でどうしてそんな顔ができたのか。

彼女は屈んで女性の目からナイフを抜くと、もう力強さもなく虚ろになった右目を静かに閉じさせた。

そしてクローゼットに視線を送る。

そこには未だに動けずにいる小さな少女が体を丸めて小刻みに震えていた。

少女は恐る恐るゆっくりと顔を上げる。

涙が溜まり、あふれ出している瞳をまっすぐ彼女に向ける。

そして、ふらっと立ち上がるとよたよたと彼女の方へ歩いてきた。

涙で滲み、歪んだ世界のまま彼女の顔をじっと見つめた後、ゆっくりと彼女の顔へ手を伸ばす。

「おかあ…さん…」

少女は呟く。両手で彼女の頬を触りながら。

「おか…あ…さん」

今にも消えてしまいそうなくらいのか細い声。

涙は絶えることなく少女の頬を伝っている。


―おかあさん


彼女はその言葉を知っている。

だが、そんな風に言われたことはない。

どんなに意味を検索しなおしても同じ答えしか返ってこない。


 母親に対する普通の言い方。


母親とは?

 女親のこと。子供をもつ女性。など


彼女は人工知能なので子供などいるはずもないし産むことすらできない。

では、なぜ、そんな彼女のことを<おかあさん>などと呼んだのか。

優秀なAIである彼女でもその答えはわからなかった。

少女の行動が予測できない。データにない。

どうして人間はこんな状況で予期せぬ行動を起こすのだろう。

彼女は理解できない困惑と少しの興味を感じていた。

少女はいまだに彼女の頬を触れながら「おかあさん」と呟いている。

彼女は、気になってしまったのだ。

少女の言動と、人間に関して。

観察してみたくなった、というのが彼女らしい言葉かもしれない。

彼女はカバンからタオルを取り出すと手に持った血濡れのナイフを素早く拭い、丁寧にしまう。

そして、少女の方を見ると

「…このまま死にたくはないでしょう。共に来ますか?」

と問いかけた。

少女は歪んだ世界のまま彼女を見て、大きくうなずく。

親が殺されたこの現状、そして犯人が彼女であることに少女は気が付いているのか、それすらわからなかった。



瓦礫が積み上がり、砂煙の舞う中、道なき道を歩いている二人の人影があった。

一人は人工知能の人型ロボット。

もう一人は小さな人間の少女。

すたすたと足早に歩いている彼女の少し後ろをよたよたと必死に追いかける少女。

彼女はあの何もない暗闇が支配する小部屋を目指していた。

絶対に見られてはいけない。そう思った。


彼女は作られて初めて、命令に背いた。

これは立派な裏切り行為だ。

だから、見つかるわけにはいかない。

珍しく、彼女の顔からは焦りの表情がにじみ出ていた。


少し歩き続けてようやく彼女の部屋へとたどり着くことができた。

暗闇で何もない。月明りだけが光を発している空間。

機械なので、人間のように食事や排泄を行わない。

だから、何も必要ないのだ。

少し間をおいて、少女が息を切らしながら部屋に入ってきた。

その勢いのまま玄関に倒れこむ。

「ぜえ…ぜえ…」

浅い呼吸が静かな空間に響く。

彼女は少女を無表情のまま見下ろすと、近くにあったタオルを取り出して差し出した。

「使いなさい。」

少女は床に這いつくばりながらも恐る恐る手を伸ばし、タオルを受け取った。

汗や涙、砂煙で汚れた顔をごしごしと拭いている。

真っ白だったタオルは一瞬にして薄汚れてしまった。

「ごめ…んなさ…い。よごれ…ちゃった…」

少しおびえたような緊迫した声で少女が呟く。

「構いません。元々使う機会がないので捨てればいいだけです。」

淡々と彼女は言いながら少女の手からタオルをするっと取り上げてゴミ箱に捨てた。

そして少女を残して部屋の端へ歩くと、カーテンを少し開けて静かに顔をのぞかせている月を見つめた。

彼女は考えていた。

命令を無視してしまったこと、そしてターゲットの一人である少女を連れて帰ってきてしまったこと。

それが、あろうことが自身に芽生えた『興味』という感情によるものだということ。

正直、困惑していた。

いつも指示を飛ばしてくる研究者たちになんて言おうか。このことが発覚したら自分はどうなるのか。

そんなことをぐるぐる考えていた時、

「あ…の」

小さな声が思考を遮った。

いつの間にか足元に少女が立っている。

「なんでしょうか。」

無表情のまま少女を見下ろす。

「どう、して」

少女は言葉を詰まらせる。

そしてうつむき、ゆっくりと呼吸をするとパッと見上げて言う。

「どうして、おかあさんとおとうさん、しんじゃったの?」

大きな丸い瞳が彼女をまっすぐにとらえる。

恐怖と混乱が入り混じったようなそんな表情を浮かべている。

「…わかっていたのですね。両親が死んだことを。私が殺したからですよ。」

彼女は表情を変えずに少女を見てはっきりという。

この時彼女は、少女が両親が死んでいることを知っていたのにどうして『おかあさん』などと私にいったのか気になっていた。

少女は丸い目に再び涙を溜めてうつむいた。

小さな体が小刻みに震えているのがわかる。

時々嗚咽が漏れては床に小さなシミが増えていく。

「どうして、ころしたの…」

少女がうつむいたまま小さく呟く。

「それが私の任務だからです。」

当然だ、というような感じで彼女は言い放つ。冷たく、バッサリと。

小さな子供に理解できるかはわからないがそれ以外にうまく説明することができなかった。

その時、パソコンの画面がパッと光り、辺りの闇を照らす。

彼女は少女を置き去りに黙ってパソコンの方へすたすたと歩く。

パソコンの前まで行くと、マウスに手を伸ばし、ゆっくりとクリックする。

…カチッ

メッセージを開く。

そこには一言だけ『始末できたか』と綴られていた。

彼女は思わず一瞬、手が止まる。緊張しているのを感じる。

一つ大きなため息をついた後、すぐに『完了いたしました』と打ち込んだ。

…エラーが発生している。頭の中に『error』という単語が零れそうなほど溢れている。

嘘をついた。はっきりと嘘をついてしまった。

もう戻れない。そう悟った。

頭の中で溢れてやまないエラーを必死にかき消そうとシステムに変更をかける。

集中していて全く気が付いていなかったが、いつの間にか部屋の端にいた少女が足元まで来て、こちらの様子を静かにうかがっている。

「…なんでしょうか。」

彼女は一瞬だけハッとした表情を浮かべたが、瞬時にいつも通りの冷静さを取り戻し問いかける。

少女は少し驚いたような表情を浮かべると

「ううん…」

と困惑したように左右に首を振って答える。

「なんか、辛そうにみえたの…どこかけが、したのかなって…」

心配そうに彼女を見上げる少女。

まだ涙で潤った瞳がまっすぐに彼女をとらえている。

予想外の言葉が飛んできて彼女の思考はめまぐるしく稼働していた。

噓をついたことによるエラーの対処とこの少女の行動に関して。

やはり、人間はわからない。彼女は思った。

「私は機械です。怪我をすることなどありませんよ。」

軽くため息を吐きながら彼女は呟く。

「一つ、よろしいですか?」

続けて彼女は少女に問いかける。

「私はあなたの両親を殺しました。それなのにどうして私を心配するような言葉をかけたのですか?私はあなたにとって親の仇、というやつなのでしょうに。」

残酷な真実を再び彼女は淡々と投げつける。

少女は眉間にしわを寄せて少し俯いたのちゆっくりと口を開いた。

「…おかあさんが、いったの。つらそうにしている人には寄り添ってそばにいてあげてって。たとえそれがおかあさん達を殺したひとだとしても。おかあさんに言われたこと、守りたい。」

まっすぐ、曇りのない純粋な瞳。

彼女はその時、母親を殺すときに見た力強い瞳の面影を見た。

「…やはり、人間というものはよくわかりません。」

ため息をつき、そっと目をそらす。

あまり見たくない、そう思ってしまったのかもしれない。

「さあ、もう遅い時間です。人間は睡眠が必要だと聞いています。寝るべきかと。」

切り替えるように淡々と言いながら少女の頭に手をのせる。

「はあい…」

少女も渋々承諾する。

「ここには布団というものがないので…ここで我慢してください。」

部屋の奥に放置されていた一人用のソファに少女を案内する。

積もっていたほこりを振り払うと近くにあったシーツをかける。

どうぞ、というように彼女は手を差し伸べる。

少女も軽く会釈をするとソファによじ登った。

「…あの、お姉さんは?どこで寝るの…?」

ちょこんと座ると不思議そうな顔をして少女が尋ねる。

「私は機械です。寝る必要もないのでそういう場所もないんですよ。一応、充電とかメンテナンスするための機械があるのでいつもはそこに入っていますね。」

彼女は奥の方を指さして言う。

そこには小さな個室のような大きめの機械が置いてあった。

そっか、と少女は頷く。

彼女は大きめのタオルケットを取り出すと少女に優しくかける。

「おやすみなさい。」

「あ…おやすみなさい…」

少女は小さく横になってスッと目を瞑る。

少女が寝たことを確認して彼女は再び部屋の端の窓に向かう。

そして静かに月を見上げる。

いつも優しく輝いている月が今日はなんだか不穏な感じがした。

…胸騒ぎ、というものがする。

彼女はそんなことを考えながら充電できる機械へ足を運んだ。

中に入り、静かに目を閉じる。


―バチッ

突然、電気が走ったような衝撃が彼女を襲った。

驚いて咄嗟に目を開ける。

頭に直接メッセージが流れ込んでくる。

『ログに不明点が見つかった。これは何だ?』

彼女の胸騒ぎはきっとこれを予見していた。

機械たちは一日の終わりに充電する機械に入るように指示されている。

その時人工知能たちのデータやログは研究員たちに自動的に送信されるようになっている。彼女はなるべくデータを残さないように必死にエラー処理をしたのだがどうやらその痕跡が少しばかり残っていた…らしい。

彼女は、やはりこうなったかと思いながら

「何のことでしょうか?私は指示された任務を行ったまで。たまに前にもあったシステムエラーが発生したので対処したまでです。」

脳で冷静に返信をする。

確かにたまに謎のエラーが発生してその対処に追われたことがあった。

その時も同じような質問をされ、同じように答えたのだ。

『…嘘をつかない方がいい。違法な処理をした痕跡が残っている。こちらに隠し事はできないと思え。』

…どうやらお見通し、といったところか。

「…システムのエラーはもう復旧されましたか?あの対処はなかなか容量を食うので時間もかかり効率が悪いです。どうかメンテナンスをご検討ください。」

話を逸らす。さて、これからどう返そうかと考えていた時

『…そうだな。ところで…』

『君の部屋にいる子供は…いったい誰だ?』


少しの沈黙。静寂が支配する。

―しまった。

ハッとする。すべて、ばれている。いったいどうして?どこから?

『言っただろう。隠し事はできないと。…君はよくやってくれていたのに。残念だよ』

彼女は勢いよく機械から飛び出し、少女のもとへ駆ける。

「起きて!起きなさい!」

無理やりたたき起こすと少女の手を強引に引いて部屋の出口へ向かう。

『…もう処分しなければ』

機械の中で声が響く。

二人が部屋を飛び出した刹那、大きな音が鳴り響き部屋が爆発した。

彼女は咄嗟に少女を抱きかかえるようにして身を小さくする。

二人は爆発の勢いで大きく外へ投げ飛ばされる。

彼女たちが瓦礫の山の一部になり、あたりに炎と煙が立ち上る。

少しの間。ガラガラと瓦礫が落ちて音を立てていく中、砕けた瓦礫の山から一本の腕が勢いよく出てきた。

そのまま瓦礫を押しのけて彼女がゆっくりと這い出てくる。

彼女の胸に顔をうずめていた少女が顔を上げ、驚きと困惑の表情を浮かべて地上を見る。

「な…に!?どうした…の!?」

少女は何が起きたのか現状を読み込めていない様子で混乱している。

今まで冷静だった彼女がこんなにも慌てた表情をして駆けてきたと思えばその直後に爆発だなんて。

あまりに突然のことで理解ができない。それは当たり前のことだ。

あたりは炎や煙で包まれている。

「は、早く逃げないと…!」

少女が彼女の右手を引っ張り立たせようとする。

が、少女は理解した。

彼女にはもう左手と右足がなかったのだ。

先の爆発で吹き飛んでしまったのか、機械仕掛けの断面図がむき出しになっている。

…これではもう立つことはできない。

全壊した建物の残骸や破片が彼女の背中に食い込んでいる。

まさに、満身創痍といった状況だ。

「…逃げなさい。私はもう歩くこともできないでしょう。助かる確率は極めて低い。」

視界もはっきりしないままうつむきながら彼女は呟く。

「…お姉さん、助けてくれた…の?」

そんな彼女の顔を覗き込むように見つめて少女は問いかける。

「私のせい…ごめんなさい…。こんなに痛そうに…。ごめんなさい。」

少女は涙を溜めてうつむく。

瓦礫に一滴、また一滴と涙がしみこんでいく。

「…あなたの…せいではない…です。元々…私が巻き込んでしまったというもの。私が、指示を。命令を無視してしまったから。」

ぎこちない動きで少女の頭に手をのせる。

彼女は意図せず体が勝手に動き、気が付いたら少女をかばうように抱きかかえていた。

少女はパッと顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃになった顔で。

「ありがとう…。お姉さん。」

煙が少しずつ晴れていく。

遠くに何か影が見える。

彼女はその様子を確認すると咄嗟に少女を瓦礫の陰に隠す。

「え…どうした…の?」

「しっ!お願いですから。今は。ここにいてください。」

彼女が強い口調で小さく呟く。

その迫力に押されて少女もこくりと頷く。

だんだんと煙は晴れ、やがて影が明確な形を持って現れた。

たくさんの、人間。そして機械が武装して彼女たちの前に立ちはだかっている。

「…そうですよね。」

彼女は小さくこぼすと瓦礫で体を支えながら近くにあった大きめの瓦礫にゆっくりと腰を下ろす。

『…わかっているはずだ。裏切者には粛清を。』

機械のような声が辺りに響き渡る。

「ええ。わかっておりますとも。準備はできております。」

彼女は目の前に立ちふさがる人間や機械たちをまっすぐみつめて目を閉じる。

『その前に一つ聞いておく。あの少女はどこだ。』

一斉に銃を向けながら聞いてくる。

「さあ、知りません。私一人ですので。」

この状況でも彼女は淡々と言ってのけた。

『…そうか。残念だ。』

そう一言言った直後、何重にも重なる銃声が響き渡る。

それと同時に彼女の体にはいくつもの穴があけられた。

彼女の背景が確認できるくらいの大きな穴が腹部に開けられている。頭も多くの亀裂が入り右目は完全に光を失っている。

銃声が鳴りやんだ後、彼女はゆっくりとその場に倒れこんだ。

その様子を見ると銃を乱射していた内の一人が彼女にゆっくりと近づいてくる。

彼女はぎこちなく動く左目で相手の姿をとらえる。そしてゆっくりと右手を動かし、奴の足を力なくつかむ。

『まだそんな余力が残っていたとは。』

それだけ呟くと容赦なく銃口を彼女のこめかみに押し当て、引き金に指をかける。

彼女が目を閉じようとしたその時だった。

「やああああああああああああ!!!!」

辺りに甲高い声が響き、小さな影が襲撃者を突き飛ばした。

それはあまりに一瞬のことで彼女にもよくわからなかったが、いつの間にか彼女の目の前には少女が立っていた。

「な……んで、でてき…たのです…か」

彼女が目を見開いて尋ねる。

「だめ、だめだよ。お姉さん。私は…おかあさんとの約束、守るって言ったもん。つらそうな人がいたらそばにいる。それに、さっきも私、助けてもらったから…」

少女が振り返って彼女に言う。そのまっすぐな瞳は彼女の壊れかけた瞳に光を宿す。

「そう…ですか。」

少し、あきれたような表情を浮かべて彼女はゆっくりと上半身を起こす。

「ですが、危ないので…下がっていて…くださいね…」

『貴様ら…!』

突き飛ばされた一人が銃を向けながらこちらに走ってくる。

『待て!一度戻れ!』

群衆の中の一人が声をかける。

チッと悪態をつくと奴は足早に戻っていった。

『…大したものだな。その年でその度胸は。流石といったところか。』

拍手をしながら群れから一人の男が出てくる。

「-!」

彼女は見覚えがあった。

彼は彼女らのメンテナンス、および管理を任せられているトップ。

いわゆる司令塔。

『やはり、そういうことか。』

彼は頷くと不敵な笑みを浮かべる。

そして高らかに笑い出した。

『似ている!似ているなあ!お前の母親は元は研究員の内の一人だったんだよ。人工知能のこんな在り方はよくないだとか散々ほざいていたなあ。辞めた後も秘密裏に監視を続けてはいたが…まあ、鬱陶しくなったので始末させたんだ。まさか此奴がしくじるとは思わなかったがな!』

大きく不快な声が辺りに広がる。

少女は唖然とした表情で男の方を見ている。

「だめ…ですよ…聞いては…だめ…」

彼女はボロボロの体を動かして少女のことを抱き寄せる。

耳を塞ごうにももう片手しかないので守ってあげることができなかった。

少女は小刻みに震えながら

「え…ねえ…お姉さん…おかあさん達を殺したのは…あの人…なの?」

泣きそうな声で耳元で小さく呟く。

「いいえ、いいえ。私が…殺したのですよ…」

ぎゅっと抱き寄せた手に力がこもる。

「ちがう…それはきっと違うんだよ…」

少女は首を左右に小さく振る。涙があふれてボロボロのガラクタに吸収されてゆく。電気でバチッとはじける音がずっと少女の耳の中で繰り返されている。

「直接…手を下したのは…私…だから。」

彼女はよりぎこちなくなった動きで少女の背中をさする。

『随分と人間らしくなったものだ。お前、感情でも持ったのか?』

それを見ていた男はつまらなそうな顔をして問いかけてきた。

「感情…など…私には…」

彼女はそう言いかけて言葉に詰まる。

思い返せば少女を連れてきたのは自分自身が興味を抱いてしまったが為。

そのこと自体が感情を持ったということになる。

さらに少女の母親を殺すときに感じた気持ちも感情の一つなのだろう。

彼女はすでに感情を持ち合わせていた。その事実に改めて気づかされた少女は愕然とした。

『まあ、無理もないのだろうな。お前を作ったのはそこにいる子供の母親なんだから。』

ため息をつきながら男は言い放つ。

「私を…作った…」

彼女が呟く。ふと、過去の記憶がおぼろげに蘇ってくる。

(あなたは…人工知能として…人と共に、仲良く生きてほしい。争いなどない…世界に。そして…困っている人や…辛そうにしている人がいたら…そっと寄り添ってあげられるような優しい人に…)

優しい声が頭の中に響く。聞いたことのある声。どうして今まで思い出すことができなかったのか。記憶はやがて鮮明になり、頭の中で、優しく微笑む女性の顔がこちらを覗き込んでいた。

(あなたには、感情を持ってほしいの。痛みや喜び、すべての感情を。それは時には不便を感じることもあると思う。でもね、その方がきっと楽しくなるわ。)

記憶はどんどん流れ込んでくる。走馬灯のように。

(あのね、そのうち機会があったら私の娘に会ってほしいの。まだ幼い赤子なんだけどあなたとならきっと仲良くなれるわ。それに、もし困っていたら助けてあげてほしいの。まあ、もしも、の話なんだけどね。)

少女の頭に水滴が落ちる。一粒、また一粒と。

「おねえさん…?」

少女が不思議そうに見上げている。

「泣いているの?」

泣く?どうして?私が?機械は泣くことができない。そのように設定されていない。だけど、なぜか頬を伝うものがある。

これは涙ではない。半壊したことにより内部のオイルが漏れているのだ。

見開かれた片方の瞳からとめどなくあふれる液体。彼女はひどく混乱していた。

自分の中でぎゅうっと締め付けられる感覚が支配する。風穴の空いた腹部よりもなぜか胸のあたりが痛い。

「これが…心…?」

彼女が驚いた表情でつぶやく。

罪悪感?焦燥感?恐怖?不安?後悔?どんどんあふれてくる感情に押しつぶされそうになる。

『やはりあの女、余計なことをしやがって…。まあいいさ、始末すればいいだけの話。お前の不手際はお前ごとなかったことにしてやる。』

男が悪態をつきながらそう言うと右手を軽く上にあげる。

その直後、一斉に向けられた銃口が彼女たちをとらえる。

「ごめん…なさい。私…なんてことを…」

彼女がオイルを垂らしながら少女にひたすら謝り続ける。

少女は「ううん。もういいんだよ…」一言だけ呟いた。

そして瞬時に彼女の腕から抜けると彼女の前に立ちはだかった。

小さな体ですべての銃弾を受けようとする覚悟でまっすぐ、堂々と立ちはだかっている。

ふと、彼女は少女の体が小刻みに震えていることに気が付いた。怖がっている。恐怖と闘っている。こんなに小さな体で。

『その歳で大層なものだな。覚悟ができているということか。そういうところも親子揃って腹立たしい。その目つきは特によく似ているよ。お望み通り、殺してあげるけどね。』

男は上げた手を少女たちの方向へ振り下ろした。その直後。

激しい銃弾と瓦礫の割れる音がその場の空気を支配した。

煙が立ち上り辺りは何も見えない。

男たちはその煙の中で何か動くものはないか注意深く観察していた。

やがて煙は少しずつ晴れ、影がうっすらと姿を現す。

人の形…というにはいびつなガラクタがそこに座り込むようにたたずんでいた。

『ほう…かばったか。しぶといやつめ。』

ふん、と鼻を鳴らすと男は呆れたように言う。

男たちに背中を向けるようにして座り込んでいる彼女はぐらっとよろけてその場で倒れこんだ。

ひょこっとそこから少女が出てくる。

「なんで…どうしてかばったの…?」

少女は愕然とした表情を浮かべて倒れこんだ彼女に問いかける。

男の手が振り下ろされるその一瞬で彼女は少女の前へ回り込んで覆い被さるように座り込んでいた。それは銃撃が来るまさに一瞬の出来事。少女もいったい何があったのか理解してはいなかった。ただ、気が付いたら彼女が盾になっていた。それだけだった。腹部に穴が開いていた彼女は弾のすり抜けを恐れて手でしっかり穴を覆っていた。それゆえに少女は無傷だったのだ。

「昔…私も言われたことがあったんです…辛そうにしている人がいたら…寄り添ってって…それに、きっと約束も…していたんです…だから、今度こそ…」

彼女は壊れかけたラジオのような音質で小さく呟いた。炎が迫ってきているのが視界にうつる。

彼女は目を閉じた後「ごめんなさい。」と一言だけ呟くと少女を力の限り遠くへ突き飛ばした。

「わ、あ!」

小さな体は宙を舞う。そして離れたところに転がり落ちるとパッと起き上がり、

「お姉さん!?どうして!?」

少し怒ったように声を張り上げた。すぐに立ち上がろうとしたのだが

「…いたっ!」

足に瓦礫が刺さり、痛くて動くことができなかった。

そんな少女の視界にうつったのは変わらず彼女に向けられるたくさんの銃口。そして少しずつ彼女や男たちに迫っている炎。少女はその時、彼女が助けようとしてくれている意図を感じた。

「おねえさん…」

少女は不安そうな表情を浮かべて彼女を見つめる。

彼女はゆっくりと少女の方を見ると申し訳なさそうにして何かを話した。

少し距離があって何も聞き取ることができなかったが彼女は今まで見たこともない、穏やかで優しい顔をしていた。どこかに母親の面影を感じる。

(ごめんなさい。そしてありがとう。どうかあなただけは生き延びて。)

そう言っているように感じた。

少女はハッとして

「お姉さん!だめ!」

と声を張り上げて言う。

その直後、彼女は男たちの群れに飛び込むように片足で地面をけって宙を舞った。

そして

「これで終わりに…しましょう。」

そういうと自らの体を強引に引き裂いて中にあるオイルを周りの炎と男たち目掛けて振りまく。

途端、炎は威力を増し、一気に男たちと彼女を取り囲んだ。

逃げ場を失った男たちは慌てた様子で火を消そうとするが時すでに遅かった。

『貴様…!何をしているかわかっているのか!』

司令塔である陰湿な男が声を荒げて怒鳴っている。そして彼女の首をつかむとそのまま上へ持ち上げた。宙づり状態になっている彼女。そんな状態でも彼女は冷静に、そして口角をあげながら

「ところで。私たちには自爆装置が付いているのですよね。あなたがもし私たち(機械)が不要になったとき、命令を送るだけでその個体を始末できるから、と無理を言って研究員につけさせた装置です。あれ、今起動したらどうなると思いますか?」

淡々と言う。

怒りで顔を真っ赤にしていた男は一気に青ざめた顔をして

「待て、待ってくれ!」

と哀れにも慌てふためく。

「誰だって、きっと命は惜しかったはずです。」

そういうと彼女は胸の中にあるピンを力の限り引っ張った。その刹那。

激しい爆発音が周囲に響き渡る。強風が吹き荒れ、瓦礫の雨が降る。

少女は思わず目を瞑り、顔を覆う。瓦礫の破片が飛んできては少女の皮膚を小さく傷つけていった。

「お姉さーん!!!!」

少女の叫び声など容易にかき消せるくらいの轟音がしばらく鳴り響いていた。

少し爆発の衝撃も収まり風が止んでくると少女は目を見開いた。そして空虚な瞳であたりを見渡す。

そしてよろけながらも瓦礫を支えに立ち上がり、彼女たちがいたであろう場所にゆっくりと足を運ぶ。

辺りは煙と共に瓦礫と、人だったものの残骸。そして金属片が粉々になって飛び散っていた。

思わず少女はその場に座り込む。

そして彼女の最後の顔を思い出す。どこか、お母さんに似ているような優しい顔。でもどこか覚悟のできているような強い意志を感じさせる瞳。

「おかあさん…」

少女はそっと呟く。

お姉さんは本当に私のお姉さんだったのかもしれない。お母さんが作ったのなら私たちは形は違えど姉妹だったのかもしれない。だから、お母さんの面影を見たのかもしれない。そんなことを考えながら少女は涙をこぼしつつ彼女だったであろう残骸を拾い集めている。

少しずつ破片の山が作られていく。

手を切って血がにじんでも少女は破片を集め続けた。

どれくらい時間がたったのか。少女が何往復もして集めた破片は突如として吹いた突風によってふわりと空へ舞う。そしてそのまま風に乗ってどこかへ消えて行ってしまった。

少女はその様子を黙って見つめている。空虚な瞳は空を泳ぐきらびやかな星屑をうつしていた。

その直後、声が聞こえた気がした。

「よかった。あなたが生きていてくれて。これで少しは罪滅ぼしができたかな…」

声はすぐにかき消されて聞こえなくなった。

「おねえさん…」

そっと呟く。悲しげに。切なそうに。

空に向かって手を掲げてみる。優しく吹いた風が少女をそっと包み込んだ。

「きっと悪い人なんかじゃ無かったよね。あなたも…かわいそうな人だった。」

空に向かって微笑みながら言う。もう誰も答えない。だけど、なぜか寂しくない。少女はそう感じた。二人がそばにいてくれる。そんな気がしたから。





―完全に消えゆく前、彼女は理解したことがあった。

少女を守ろうとする気持ち、そして彼らに向けた覚悟の決めた瞳。

それはきっと彼女が少女の母親を殺してしまうときに見たものと同じものだったのだろう。

何かを守ろうと必死になる。

これを親心と呼ぶのではないか。

だから強く見えたのだ。何も恐れず立ち向かう人間こそが恐ろしい。

やはり、少女の母親は強い人間だった。

彼女を作っただけある、芯のある人間だった。

感情を彼女に教えてくれたただ一人の人間。塗り替えられていた記憶がよみがえったとき、彼女はすでに形を失っていた。空へ舞う彼女の破片は空を見上げる少女を見据える。

消えゆく意識の中でそっと祈る。

少女の未来に。そしてこれからの旅路に。





























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親心、とは 月影いる @iru-02

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