第3話日和、攻めに回る

──ガチャリ、と玄関の鍵を開ける音が響く。


「おじゃましまーす……って、わ、ほんとに詩音せんぱいの家……なんか、緊張してきたかも……」


靴を脱ぎながらソワソワと周囲を見回す日和を見て、私は小さく笑った。


「何回も来てるでしょ。今さら緊張するような仲じゃないって」


「でも、でも……今日は特別なんです。2人きりで、埋め合わせですし……」


顔を赤らめながらそんなことを言う日和の横で、私はスーパーの袋を下ろす。


「そういえば、日和。本当にまたカレーで良かったの?」


「はい!この前のやり直しをするという意味でも!それに詩音せんぱいのカレー、本当に凄い美味しかったですし」


はっきり言って私はもうカレーはごめんだけど。

でも、彼女たちが嬉しそうに“おかわり”してくれたお陰で、鍋の中身もちゃんと空っぽになったし。

そこだけは、ちょっとだけ救いだった。


「じゃ、適当にくつろいどいて。サクッと2人分作っちゃうから」


「はいっ!」


私はキッチンに立ち、淡々とカレーを作る。野菜の皮を剥いて、切る。単純作業の繰り返しだ。今度はもっと凝った料理に挑戦してみようかな。

振る舞う相手はいくらでもいるんだし。



日和がソファーに座り、じっとこちらを見つめているのが背中越しでもわかる。



「詩音せんぱいが私のためだけに料理を……ああ〜っ!まるで同棲中のカップル、いや、家族みたいです〜〜!」


「そうね、じゃあ結婚したら毎日作ったげる」


「……ほんとですかっ!?せんぱい〜!!!」


その時、日和が後ろから急に抱きついてきた。


「ちょ、包丁持ってるから!危ないって!」



「……ご、ごめんなさい。嬉しくてつい……」


日和がしょんぼりと袖を引っ込める。私は苦笑しながら、カットしたじゃがいもを鍋に放り込んだ。


「そんなに喜ばれると、作り甲斐があるわ。あーんしてあげるから、ちゃんと待っててね〜」


「わ、わぁ……はいっ、ぜったい待ってますっ!」



グツグツと煮込まれていくカレーの香りが、部屋にじんわりと広がっていく。


テーブルに皿を並べると、日和が小さく拍手して椅子に座る。


「わぁ…!この前より、もっと美味しそうです!」


「同じレシピで作ったけど」


「でも、気持ちがこもってる気がします!今日は2人きりですし!」


「まぁ、日和の事を考えながら作ったのは事実かも」


「……っ、詩音せんぱい……!」


頬を染めて口元を抑える日和。私はそれをよそ目にカレーをすくってパクパク食べ始める。


「サクッと食べてお風呂入っちゃおっか」


そんな私を見て日和が不満げそうにこちらを見てくる


「……あーんはまだですか?あーんは?」


そういえば食べさせて欲しいんだったっけ。子供じゃないんだから……いや私も結花によくあーんされてるな。人のこと言えないや。


「はい、あーん」


スプーンを差し出すと、日和は嬉しそうに口を開けた。


「あーん……っ」


パクリと咥えて、もぐもぐしながら頬をほころばせる。


「ん〜……やっぱり、詩音せんぱいのカレー、大好きですっ!」


「そういえば、天音がね。フラれて落ち込んでるの。どうすれば励ませるかな?」


「……あー、また例の人ですか」


日和がスプーンを止めて、少しだけ眉を下げる。


「今度は……どんな人と付き合ってたんですか?」


「三股してるクズ。あの子って尽くしすぎちゃうタイプだからさ、良いように使われちゃうんだろうね」


「せんぱいってその人には甘いですよね〜……もしかして、その人とも関係を持ってたり……?」


日和が睨むようにこちらを覗き込んでくる。


「…ないよ。天音だけはない。昔からの友達だもん」


「ふぅん……本当に?」


「本当だって、信用ないな…。私の顔が嘘をついてるように見える?」


「見えます!」


日和は堂々と言い切った。


「昨日だって別にセフレの集まりじゃないって、嘘ついたじゃないですか」


「私、帰りにあの2人にちゃんと確認したんですからね。やっぱりセフレだったんじゃないですか」


「……まぁ、うん。バレてたか」


私は肩をすくめて答える。

嘘を突き通す気は、最初からなかった。


「でも別に隠すつもりじゃなかったし。あの時は“飯の時間に下ネタはやめとこう”ってだけ」


「……でも、詩音せんぱいが私だけのものじゃないのは、寂しいです」


「だから言ったでしょ。私は誰とも付き合う気はないって。これは、お互いを慰め合うための関係なんだから」


「でも……それでも」


日和はスプーンを置いて、立ち上がると私の隣に座った。


「せんぱいが、誰のものでもないなら……“今だけ”でも、私のものになってください」


「うん、いいよ。今日の私は日和にあげる」


「だからさ、さっさと歯磨いてお風呂でいっぱいキスしよ?私も日和が欲しいの」


日和がこちらを見上げる目は、期待と欲望が入り混じった色をしていた。


「……はい。私の全部、せんぱいにあげます」


──


風呂上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら、私はリビングの明かりを落とす。


日和は既に布団に潜り込んでいて、顔だけをひょこっと出していた。


「今日はずっとそばにいてくださいね……」


「わかってるよ。ほら、こっちおいで」


私が手を広げると、日和は遠慮なく滑り込んできて、ぎゅっとしがみついてくる。


「……せんぱい。今日は……私に、攻める方を…やらせてくれませんか?その、絶対満足させて見せますから」


「えっ?」


日和がぎゅっと私の手を押さえつけてきた。

瞳の奥に、いつもの“甘えた”とは違う、ほんの少しの決意が見え隠れする。


「……だって、せんぱいばっかりズルいです。たまには、私に全部ゆだねてください」


「……ん。分かった。日和の好きにして良いよ」


優しいくせに、どこか強引。

そんな日和に包まれるうちに、私はそっと目を閉じた。

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