お題:【知を以て理を成し、知を以て理を失う】-2
「これこそが、人類が至るべき幸福の最終形だ。…そう、在るべきなんだ」
無数の生命維持装置に繋がれ眠る彼女を見ながら、己に言い聞かせるかのように彼は呟いた。
――――――――――
目を覚ませば、時計が指している時刻はだいたい正午。カーテンを開ければ明るい陽光が部屋を照らし、夜の残り香を追い払う。
誰かが用意してくれていた朝食と言うには遅い食事に手を付けながら、今日は何をしようかと大真面目に悩んでいた。
——なんて、夢のような日々なのだろう。
ふと、妙な違和感が胸を過る。見慣れた筈の空の色は、こんなに青かったろうか? 穏やかな日々は、果たして当たり前の物だっただろうか?
一度心に浮かんだ不安は、拭う事の出来ない黒い染みとなって広がっていく。いてもたってもいられなくなって、身支度もそこそこに外に飛び出した。
当たり前のように繰り返されていく毎日。惰性のように流されていく日常。しかし、気付いてしまえばそれこそが異常で、非日常である事は明らかだった。
車道には、車は通らない。通行人は、誰も居ない。私以外の人間が消え去ってしまったかのような、私だけが取り残されてしまったような状況。こんな中を、何も気付かずにどれだけ暮らしていたのだろう?
記憶を辿っても靄がかかったように曖昧で、答えなど出てくる筈もない。世界が狂っているのか、それとも狂っているのは私なのかすら分からなくなってくる。
「…帰らなきゃ」
言い聞かせるように呟き、振り返る。いつの間にか空は黄昏の色を映し、家路へと向かう道には誰かが落とした影法師が長く、長く伸びている。
「…誰?」
さっきまで無かった筈の人影に、思わず身を堅くする。そもそも、振り返るまではまだ遥か頭上に有った筈の太陽が、今は地平線の向こうに沈もうとしている。目まぐるしい場面転換に、目眩すらしてくるようだった。これは、まるで……
「…夢の中の満ち足りた幸福の、何が不満なんだい?」
人影から、優しい声がする。その何処かで聞き覚えの有る声を呼び水として、私は現実を思い出す。
…ある日、唐突に世界は終わりを迎えたのだ。空は色を失い、木々は枯れ果て、木の葉のように命が散っていく。私が生き残ったのは、単に幸運だったからだった。
終幕を迎えた世界で、僅かに生き残った私のような人間も、次々に飢えや天変地異で倒れていく。私もどうしようもなくなって、行き倒れた所であの声が聴こえたのだ。
「…これが人類の終わりで、あってたまるか」
静かな、怒りにも近い声。それが、思い出せる私の最後の記憶だった。
「…ここは、夢? ……どうして、私はこんなところに?」
口をついて出た疑問に対して、影は少しの沈黙の後に答える。
「…世界は、人が生き続けるには余りに過酷な環境に成り果てた。人という種が再び繁栄するには、果てしなく長い時がかかるだろう。…だから、保護したんだ。現実に押し潰される事もなく、幸福だった日々を夢見れるように」
考える。確かに、記憶の中の現実は過酷だった。逃げ惑う日々、身近になってじった死の恐怖。逃げ出したい気持ちが無いと言えば、嘘にはなるけれども。
「…貴方の幸福は、どうなるんですか?」
予想外の問いが投げ掛けられたのか、影が言葉に詰まる。
「…貴方は、今も現実を生きているのでしょう? なら……私だけ、夢見てなんていられないもの」
その言葉に影は答えない。しかし私の言葉を受けてか、周囲の光景は霞み薄れていく。これは、目を覚ます前兆なのだろう。
目が覚めたら、何をしようか。まずは目の前に居るであろう大馬鹿を、一度ひっぱたく所から始める事にしようか。
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