第20話「誰かの旋律」

🌱:静かに侵食する他人の感情


未来育成学校・感情再生演習室。


その日、ユウトはリリスと共に、新たな形式の記録解析に取り組んでいた。


「今回は“感情旋律再生プロトコル”を使用します。音楽形式に変換された記録感情を、共鳴波形に乗せて再現する方式です」


リリスが説明する横で、ユウトは不思議そうに首を傾げた。


「つまり、“誰かの感情”を、音として感じるってことか?」


「はい。視覚や言語では読み取れない“非言語感情”の記録再生に有効です。ただし、この形式には注意点が存在します」


「注意点?」


「対象の感情が“強く埋もれている”場合、再生者の“自己感情波形”に干渉・混入する恐れがあります。つまり、感情の“感染”が発生するのです」


ユウトはモニターに表示された曲名に目をとめた。


──《旋律コード:メモリー=ユーフォニア》


「このデータ……誰の記録なんだ?」


「提供元不明。ただし、感情強度レベルはAランク。記録再生者は十分な心理耐性が求められます」


「……それ、俺にやれってことだよな」


リリスは目を伏せ、そして静かに肯定した。


「ユウト。もし何か“違和感”を感じたら、すぐに再生を中断してください。あなたの感情記憶が上書きされる危険性があります」


ユウトはヘッドセットを装着し、再生ボタンを押した。


──次の瞬間、世界が“音”に変わった。


高く、澄んだ旋律。優しさと寂しさが重なるピアノの音色。

それは、誰かが“最後に残した願い”のように、静かに彼の心を包んでいく。


──ありがとう、って言えなかった。

──さよなら、が言えなかった。

──それでも、あの人を忘れたくなかった。


その想いが、ユウトの中に流れ込む。


だが、そこには違和感があった。


彼の心の奥底にあるはずの“自分の感情”が、音に混じって薄れていく感覚。


「リリス……これ……なんか、おかしい……」


彼の声は、次第に自分自身でも“他人の声”のように聞こえ始めていた。


“誰かの旋律”が、彼の中に静かに侵食を始めていた。


🌱:誰でもなくなっていく僕へ


再生室の灯りは薄暗く、ただ旋律だけが部屋を満たしていた。


ユウトの目は開かれているのに、そこに焦点はなかった。


「──さよならを言ったのは、私のほうだったのに……」


「……本当は、もう一度だけ、名前を呼びたかった……」


リリスのモニターが警告を発する。


《感情同期率:過剰状態に突入》《記憶領域に断片的混入の兆候》


「ユウト、再生を停止して! その旋律は、あなたの感情の“中心”を乗っ取ろうとしています!」


だがユウトの反応は鈍い。


「……でも、この気持ち……わかるんだ。俺も、ずっと言えなかったから……」


彼の声は、誰かの声に似ていた。


それは“記録に残された誰か”の、失われた旋律の声。


リリスは迷いながらも、最終手段として“同期遮断”コードを入力した。


「ユウト、あなたは“記録者”です。他者の感情を“理解する”ことはできても、“なり変わる”ことはできません!」


──強制遮断実行。


ヘッドセットが外れ、旋律が一瞬にして途絶えた。


ユウトは大きく息を吸い、肩を震わせながら意識を取り戻す。


「……俺……今……どこまでが、自分の気持ちだったんだろう……?」


リリスはそっと彼にタオルを渡しながら答えた。


「わかりません。ですが、たとえ混ざってしまっても、あなたが“それを選び取った”のなら、それもまた“あなた自身”です」


ユウトは少し笑った。疲れた、でも安心したような微笑みだった。


「旋律って、誰かの記憶のはずなのに……気づいたら、それを自分の気持ちみたいに抱えてたんだ」


「共鳴とは、そういうものです。誰かの想いに“心を揺らされる”ということ。それは、ただの感情模倣ではありません」


部屋のモニターに、再生ログが静かに保存された。


《記録名:他者記憶感情再構成ログ No.1029》


ユウトはそれを見ながら、ぽつりと呟いた。


「記録者であるって、こえぇな。誰かの気持ちが自分の中に入ってくるって、思ってたよりずっと怖い。でも……」


「……それでも、誰かの旋律に心を動かされたってことだけは、忘れたくない」


そのとき、部屋のスピーカーが最後に鳴らした旋律は、記録には残らなかった。


けれど、ユウトの胸の奥には確かに“残響”として、刻まれていた。




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