灰降る国で、君を呼ぶ

@sukiyakiseven

第1話

 白い粒が、ゆっくりと空から落ちてくる。


 最初は雪かと思った。けれど、違った。

 それは触れても冷たくなく、溶けもせず、皮膚にざらりとした感触だけを残す。


 乾いた紙のような、焦げた匂いのする、灰だった。


 真希は、その灰の舞う空の下で目を覚ました。


(……ここ、どこ?)


 朦朧とした意識の中、見上げた空は鈍色に濁っていた。

 空気は重く、すべての風景が湿ったフィルターを通したように色を失っている。音も、風もない。


 足元の地面はひび割れた岩混じりで、草も花もない。

 木々は枯れ、人気もなく、世界はただ静かに灰に沈んでいた。


 身体を起こすと、思わず眉をひそめた。


(……ドレス?)


 自分の体を覆っていたのは、見覚えのない光沢のある生地だった。

 レースが縫い付けられ、腰を締め付けるように仕立てられた衣装。演劇部の“お姫さま衣装”よりもずっと重厚で、現実味がある。


(着せられた……? 呼ばれたときに……?)


 混乱した頭ではそれ以上考えられなかった。


 思い出そうとする。

 最後に見たのは――通学路だった。


 夕暮れ。ランドセルを背負った子どもたち。

 その列から、ひとり飛び出した小さな影。


 伸ばした手。間に合わなかった声。


 そして、衝撃。鋭い音。光。


 その瞬間を境に、意識が途切れていた。


 だが、今感じるすべてが“現実”すぎた。

 肩にかかる布の重さ。足元の硬さ。指先に触れた灰の温もり。


(夢……じゃないよね? 死後の世界?)


 そんな冗談じみた考えが浮かんだが、誰も答えてくれない。

 ――いや、いた。


「名を」


 背後から、低くよく通る声がした。


 真希はびくりと身体を揺らし、振り向く。


 そこには、灰色のローブをまとった老人が立っていた。


 深く刻まれた皺。肩まで伸びた白髪。澄んだ瞳と、重たく握られた杖。

 物語の中にしか存在しないような、魔法使いそのものの姿。


「おまえの名を。呼ばれし者よ」


「……は?」


 口から漏れたのは間の抜けた一音だった。


「な、名? えっと……橘真希、です」


 反射的に名乗ってから、思わず身を引いた。


「ちょっと待ってください。あなた誰? ここ、どこなんですか?」


 老人――後に“グラン”と名乗るその男は、杖を一度地に突き、口を開いた。


「ここはエルダリア王国。王都の外れにある、旧魔道陣跡地。

 この地の王が、おまえを召喚した」


「召喚……? 異世界から人を呼ぶっていう、アレ……?」


「そうだ。王は生前に“継母を迎えるための召喚術”を準備していた。死後、それが発動した」


 夢なら、そろそろ目が覚めてほしかった。

 けれど、相変わらず空は灰色で、匂いも、重さも、あまりにも現実的だった。


「なんで私……? どうして私が……呼ばれたんですか……」


 問いかけると、グランは一歩前へ進み、言った。


「王の遺言だ。

 “我が死後、外より来る者を、王子の継母として迎えよ”と」


 ――継母。


 その言葉が、胸に重たく沈んだ。


「……子どもなんて、育てたことありません。教師でしたけど、“母”とは全然違います」


「だからこそだ」


 グランの声には、断定の響きがあった。


「母の“形”を持たぬ者。血に囚われぬ者。だが、子に寄り添う資格を持つ者。

 そういう者を――王は求めた」


「“資格”なんて、私には……むしろ、子どもを……」


 鋭い頭痛。微かな記憶。


 教室の隅で、誰の声も届かずにいた、あの子。

 言葉をかけても、表情ひとつ変えずに背を向けたままの、あの後ろ姿。


 教師だったのに。

 あの子の心に、何ひとつ届かなかった。


「ならば、なおさらだ」


 グランは言った。


「失敗を知る者にしか、子の傷は見えぬ」


 その一言に、真希は何も返せなかった。


 怖いほど見透かされた気がした。

 けれど同時に、初めて“それでもいい”と言ってくれたような気がした。


 その後、事務的な説明が続いた。


 真希は、王の残した術式によってこの地に呼ばれた。

 生死の境を越えた召喚。魂の状態で引き寄せられた結果、肉体は再構成された。


 それは、転生でも輪廻でもない。

 王の“選択”によって与えられた、新たな居場所――


 あまりにも重たくて、受け入れきれない現実だった。


(……でも)


 灰色の空。

 肌に残る温もり。

 自分の名を求める誰かの声。


 それが今、唯一の“現実”だった。

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