第一話:最優先事項は「睡眠環境」。聖域構築、はじめました。

女神への恨み節を空に向かって叫んだところで、腹の足しにも寝床の足しにもなりはしない。これが現実。異世界の、あまりにも過酷で面倒くさい現実だ。


吹きさらしの廃屋。床には得体の知れないキノコ。壁には不審なシミ。そして何より、安心して体を横たえられる場所が、どこにもない。


「…はぁ……」


深い溜息が、隙間風に乗って虚しく消える。

まずい。非常にまずい状況だ。このままでは、文明的な生活はおろか、俺の生存理念の根幹である「快適な睡眠」すら確保できない。ニートにとって睡眠環境は、水や食料と同等、いやそれ以上に重要な生命線なのだ。睡眠の質が下がれば、日中の活動(主にベッドの上での思考活動)の質も下がる。これは看過できない一大事である。


「やるか…」


俺は重い腰を上げ…る気には全くなれないので、とりあえず廃屋の中で比較的マシな壁際にもたれかかり、女神から授かったスキルについて改めて思考を巡らせた。


スキルは三つ。【聖域構築】【最適化】【魔力炉心】。

魔王討伐用らしいが、そんなことは知ったこっちゃない。俺が注目すべきは、これらのスキルが俺の快適ニートライフにどう貢献できるか、その一点のみだ。


まず【魔力炉心】。これはエネルギー源だ。今は容量が小さいらしいが、節約すれば光熱費ゼロ生活が可能になる。素晴らしい。


次に【最適化】。既存品の強化と解析。これで身の回りの道具をメンテフリー化できる。これも非常に魅力的だ。


そして、【聖域構築】。神聖な力で空間を加工・構築し、魔を退ける要塞や結界を作る。内部は常に清浄で、侵入者を拒む…。


「……これだ」


俺の中で、一つの確信が生まれた。

要塞? 結界? そんな大層なものはいらない。俺が今、このスキルで作るべきもの。それは、『究極の寝室』だ!


防犯(物理・魔物)、防音、防虫、そして何より、常に清潔で快適な温度が保たれた、俺だけの絶対安眠空間。それこそが、今俺が最優先で確保すべき『聖域』に他ならない。


「よし、決めた。まずは寝床だ」


俺はスキル【聖域構築】の発動を試みることにした。頭の中に流れ込んできた情報を反芻する。どうやら、空間や物質に対して「こうなってほしい」という明確なイメージと意志を向けることで、神聖な力が作用し、現実を書き換える…らしい。


(まずは…範囲だな。この廃屋全体を聖域化するのは…魔力が足りるか? いや、そもそもこんなボロ屋全体を清浄化する意味がない。寝るスペースだけでいい)

俺は廃屋の隅、比較的壁と屋根が残っている一角に狙いを定めた。

広さは…まあ、シングルベッド+α、三畳程度のスペースがあれば十分だろう。

(イメージは…そうだな、俺の前世の自室。ただし、超清潔で、静かで、安全で、快適な温度のやつだ)


具体的なイメージを頭の中に描く。壁の亀裂は塞がり、床板は新しくなり、天井の穴も消える。窓には見えない結界が張られ、外からの侵入者(虫含む)や騒音をシャットアウト。そして、空間全体がほんのりと暖かく、清潔な空気に満たされる…完璧だ。


俺は集中し、スキルを発動させた。

「【聖域構築】…発動!」

瞬間、体の中から何かがごっそりと抜け落ちるような感覚。これが魔力消費か? 同時に、目の前の空間が淡い光に包まれた。

光が収まると、そこには…


「………………え?」


壁の亀裂は…微妙に小さくなった? 床板は…なんか色が少し綺麗になった? 天井の穴は…相変わらず空が見える。結界? どこにもない。温度? 隙間風が前より心なしか冷たく感じる。


(……嘘だろ?)


これが、神聖な力による現実改変? 俺のイメージが悪かったのか? それともスキル自体がショボいのか? いや、女神は「強力」と言っていたはずだ。対魔王戦線の切り札なんだろ?


「も、もう一回だ!」


俺は再度、より強く、より明確なイメージを込めてスキルを発動した。魔力がさらに消費される感覚。空間が再び光る。

結果は…ほとんど変わらなかった。壁の亀裂が、さらにほんの少しだけ、ミクロン単位で狭まった気がしないでもないが、誤差の範囲だ。


「なんでだよ!? 俺の快適睡眠空間は!?」


俺は愕然とした。まさか、異世界に来てまでこんな苦労を強いられるとは。女神め、やっぱり食わせ物だったのか!


「いや、待てよ…」


俺は冷静に(なろうと努力して)頭の中のスキル情報を再確認した。

【聖域構築】…神聖な力で空間を『加工・構築』し…

(加工…構築…? つまり、何もない空間にいきなり理想の部屋が出現するわけじゃないのか? 既存の物質を『加工』したり、あるいはマナを物質化させて『構築』したりする必要がある…?)


だとすれば、話は変わってくる。このボロボロの廃屋をベースにするからダメなんだ。素材が悪すぎる。


(なら、どうする? 一度更地にするか? いや、それこそ魔力がいくらあっても足りんだろう…)


俺は廃屋の中を見回した。腐った木材、崩れた石壁、謎のキノコ…。

そうだ、これらを「素材」として使えばいいんじゃないか? スキルで一度分解して、清浄なマナで再構築すれば…

(イメージは…まず、この三畳スペースにあるガラクタを全部、基本的な『木材』と『石材』のマナ粒子に分解・浄化。そして、そのマナ粒子を使って、イメージ通りの壁、床、天井を『構築』する!)


これなら、既存のボロさを引き継がずに、全く新しい空間を作り出せるはずだ。問題は、そんな複雑なイメージとプロセスをスキルが実行してくれるか、そして俺の魔力が持つかどうかだが…。


「やるしかない…! 俺の安眠のために!」


俺はけして諦めない。こと睡眠環境に関しては。

三度目の正直。【聖域構築】を発動! 分解、浄化、そして再構築のイメージを、脳が焼き切れんばかりに念じ続ける。


ゴオオオッ!


今までとは比較にならない魔力消費と共に、対象空間の廃材が眩い光と共に霧散し、そしてキラキラと輝くマナ粒子へと変わっていく。そしてその粒子が、俺のイメージ通りに収束し、形を成していく!


光が収まった時、そこには確かに「部屋」と呼べる空間が出現していた。

真新しい木材でできた壁と床、しっかりと塞がれた天井。窓枠には、触れてもいないのに外気が遮断されている感覚がある。これが結界か! そして何より、空間全体がふんわりと暖かく、清浄な空気に満ちている!


「で、できた…! 俺だけの聖域…!」


俺は感極まってその場にへたり込んだ。魔力はほぼ空っぽ。体は鉛のように重い。

しかし、目の前には理想の寝室(の原型)がある。この達成感は何物にも代えがたい。

…いや、まだだ。まだ完成じゃない。


部屋はできたが、肝心の「寝具」がない。この木の床で寝るのは、いくら清浄でもごめんだ。


「次は…ベッドだ…」


俺は残りの魔力と、スキル【最適化】に望みを託すことにした。幸い、廃屋にはまだ分解・再構築していない廃材がたくさんある。これを【ストラクチャー・アナリシス(構造解析)】して、使えそうな木材を選び出し、【リミテッド・エンハンス(限定強化)】で耐久性を上げれば、ベッドのフレームくらいは作れるはずだ。


問題はマットレスと布団だ。さすがに木だけでは…。

近くに動物でもいれば、毛皮を…いや、狩りなんて面倒すぎる。それに、なめしたり加工したりする技術もない。

(…そうだ、雑草!)

廃屋の周りには、やたらと元気な雑草が生い茂っている。これを大量に刈り取ってきて、聖域構築の応用で「浄化・柔軟化」加工を施し、布袋(これも廃屋のボロ布を浄化・再構築して作る)に詰め込めば、簡易的なマットレスと掛け布団くらいにはな

るんじゃないか?


「天才か、俺は…」


自画自賛しつつ、俺はフラフラになりながらも行動を開始した。

【構造解析】で使えそうな木材を見つけ、【限定強化】で耐久性を上げる。【聖域構築】で木材を加工し、シンプルなベッドフレームを組み立てる。


次に、外に出て大量の雑草を刈り取り(これが一番疲れた)、聖域内で浄化・柔軟化加工。同時にボロ布から丈夫な布袋を作成し、加工した草を詰め込む。


数時間後。


魔力も体力も限界寸前だったが、俺の目の前には、質素ながらも確実に「ベッド」と呼べるものが完成していた。手作りの草布団は、思ったよりもフカフカで、清潔な匂いがする。


俺は完成したベッドに倒れ込むようにダイブした。


「……最高……」


硬くも柔らかすぎもしない絶妙な寝心地。結界に守られた静寂。ほんのり暖かい清浄な空気。


これだ。これこそ俺が求めていたものだ。

異世界に来て初めて、俺は心の底から安堵感を覚えた。

もう大丈夫だ。ここなら安心して眠れる。


(…魔力炉心…まだ容量小さいんだよな…節約しないと…)

(…明日からは…食料の安定確保…だな…面倒くさい…)

(…あの女神…絶対、俺が苦労するの楽しんでるだろ…)

色々な思考が頭をよぎったが、心地よい疲労感と安心感には勝てなかった。

俺は、異世界で手に入れた最初の聖域で、泥のように深い眠りに落ちていった。


ニートにとって、睡眠こそが全ての基本であり、最優先事項なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る