混沌の国のアリス

エルシィ・ローズ

第一話:きさらぎ駅

第一話『きさらぎ駅』


人が消える話って、わりとどこにでもある。

誘拐、事故、駆け落ち、家出──理由はさまざま。

でもね、なかには、どこにも行っていないのに「いなくなる」人たちがいる。

そしてそういう人の多くは、“知らない場所”に迷いこんだんだって、私は思ってる。


たとえば「きさらぎ駅」。

有名な話だから、もう知ってるかもしれないけど──

今日はそれを、私が話す番。


私はアリス。年齢はあんまり意味がないから、言わない。

名前もたぶん仮みたいなもの。

ただ私は、こういう「変な話」に、妙に縁がある。

そしてときどき、それを人に話す役目をもらってる。

語るだけ。手出しはしない。だって、もう終わった話だから。


……さて、「きさらぎ駅」。

あれは、冬のある夜の出来事だった。


当時、ネットの掲示板に「はすみ」と名乗る女の人が書き込みを始めた。

時間は23時過ぎ。彼女は静岡県内の私鉄に乗っていて、そろそろ家に着くころだったらしい。

けれど、いつも通りの駅を過ぎたあと、様子がおかしくなった。

車内には他の乗客がいなくなり、窓の外には見覚えのない景色。

電車は止まらず、いくつかトンネルを抜けて、やがて無人の駅に到着した。


「きさらぎ」──ひらがなで、そう書かれた駅だった。


見たことのない駅名。

駅員もいないし、時刻表もない。

携帯の電波は圏外になり、地図アプリにも駅は出てこなかった。


彼女は不安になって、掲示板にこう書き込んだ。


「知らない駅に着きました。きさらぎ駅という名前のようです。どうすればいいですか?」


最初はみんな、ネタだと思って面白がってた。

けれど彼女はずっと書き込みを続けた。

駅を出ても道がなくて、山の中みたいで、誰にも会えなくて──


「線路を歩いて帰ろうと思います」


という投稿を最後に、彼女は駅から離れ始めた。

そして、しばらくして──


「誰かに声をかけられました。戦に巻き込まれたって言ってます」

「何かが近づいてくる気配がします」

「トンネルに入りました」


そこまで書いて、投稿は止まった。


警察に届けられた形跡もない。

彼女の身元も、結局特定されなかった。

それで、話は「怪談」として終わった。

存在しない駅。知らない場所。戻ってこない人。


……ね、すごくよくできた話でしょ?

ネットの作り話だって、今でもそう言われてる。

でも私は、少しだけ違うふうに考えてる。

ああいう話は、“作られた”んじゃなくて、“語らせられてる”ことがある。

たとえば、ほんとうにあったことを、偶然に拾った人が、書き込みという形で世界に流したりする。


きさらぎ駅は、そういう場所なんだと思う。

普通の地図には載ってない。誰かが案内してくれるわけでもない。

でも、すこし目を離した瞬間に、ふとたどり着いてしまう。

無人駅。見知らぬトンネル。引き返せない線路。


似たような経験をしたっていう人も、他にいる。

駅名が違ったり、景色が違ったりするけど、本質はたぶん同じ。

あちら側と、こちら側の境目。

境界がゆらいだとき、ほんの少しだけ、踏み越えてしまう。


私?

行ったことは、ない。

でも、きさらぎ駅のホームに似た場所は、夢の中で見たことがある。

白い看板、冷たい風、音のしない線路。


──ああ、ひとつ言っておくね。


あの駅には、戻ってこれた人の話がない。

戻ってきた人は、もう普通の言葉で話せなくなってるのかもしれない。

あるいは、「戻ってきた」と思ってるけど、もうちょっと違う世界にいるのかもね。


だから、電車に乗るときは気をつけて。

とくに、深夜の各駅停車。

眠るなら、ちゃんと降りる駅の手前で目を覚まして。

……さもないと、扉が開いたその先が、

あなたの知っている駅とは限らない。




ではまた次の怪談で。

今度は、あなたの番かもしれないけど。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る