黒髪の魔法使いと、偉大なる赤龍

スザク大温泉

偉大な赤龍

「龍だ!龍が現れたぞ!」

寝ぼけ眼を擦るイリアの耳に入ってきたのは、悲鳴のような町民の声だった。


すぐに意識を覚醒させ、イリアは魔法使いの証である杖を持ち、ローブを羽織って外に出る。


「あそこか。」

王都の街並み。整然と区画整理された街を、キョロキョロと左右に首を振ると、遠くからでも分かる、巨大な赤色の物体が目にはいる。


魔法で肉体を強化し、赤色の物体がいる方向へ疾走する。イリアが駆け抜けた後には、突風が吹き荒れ塵や埃を巻き上げていった。









『我は偉大なる赤龍、グゲルギオスなり!』

ゴウッ。赤龍、グゲルギオスが口を開けて言葉を紡げば、その口の中から膨大な空気が押し出され、グゲルギオスを囲んでいた兵士達にぶつかる。


「と、トール様…一体どうすれば。」

震えた手で、グゲルギオスに槍を構えている、近くにいた兵士が戦士長であるトールに話かける。兵士は槍を構えてはいるが、顔はトールの方を向いている。


「…さぁな。」


ほんの数分前の事だった。王都を巡回中の兵士から、遠くの丘から突如として火柱が立ち上がったと報告が上がった。すぐに装備を着込んで駆けつけてくれば、まさに丘の方向から赤い鱗に身を包んだ龍がこちらに飛んで来ていた。


どうすべきなのか、トール自身ですら全く分かっていなかった。自身も剣を手に持ってはいるが、グゲルギオスの鱗の一枚も傷付ける事は出来ないと確信していた。


「…グゲルギオス様。貴方のような偉大な赤龍が、人間が治める国に如何な用でしょうか?」

とにかく用を聞くために、トールは全身全霊で言葉を選んでグゲルギオスに話しかける。


じろり、とグゲルギオスは王国の街並みから目を離し、トールに向けてその眼を下ろす。


『決まっておろう?我がここに来たのは、貴様ら人間を滅ぼす為だ。』

「…なぜ、我らを滅ぼそうと?」

もはや龍の怒りは明白だった。しかし、トールはなおも質問する。この龍が国を滅ぼすなら、わざわざこうやって話を設ける場を用意する必要がない。


つまり、王国の何かが、文字通りこの赤龍の逆鱗に触れてしまったのだろう。

物事には因果がある。そう教えられて育ってきたトールは、どうにかして龍の怒りの原因を知りたかった。


『700年前、我は勇敢なる勇者と闘い、敗れた。

人間の輝きを垣間見た我は、ほんの少しの間、微睡に浸り人間達を好きにする事にした。』


『しかし、我がこうして今目覚めた時、人間の輝きはどこにも無かった。それどころか、我の体を勝手に盗み続け、仮初の繁栄に喜ぶ人間が湧いていた。』

故に、貴様ら人間を滅ぼす事にしたのだ。


首を大きく曲げ、トールの顔に極限まで近づけてからグゲルギオスはそう言う。圧倒的な生物としての違いを一瞬にしてわからされたトールは、とうとう自身が握っていた剣を手から離してしまう。


トールが剣を離した音を聞いた兵士達も、トールに倣うかのようにそれぞれ持っていた武器を手から落とす。カチャカチャと音がなり、とうとう兵士達はその役目を放棄し始めた。


『…ふん。やはりな。人間の輝きはもう何処にもない。我の体から作られたその武器を使えば、我の体を傷付けられたかも知れぬのに…』

何処か寂しそうに、グゲルギオスは呟く。そして、再度大口を開けて周囲の空気を吸い込み始めた。


『安心しろ。我の心は怒りに支配されている。

よって、貴様らの命を一瞬にして奪おう。

痛みも苦しみも一切感じぬよう、な。』

グゲルギオスの口の奥。途方もない魔力が溜まっていくのをトールは感じる。それがやがて膨大な熱量へと変換され、トールの頬に微かな火傷の跡を作る。


『では、さらばだ、人間共。』

極大な赤い玉が、グゲルギオスの喉の奥から射出される。一斉に散っていく兵士達に目もくれず、トールはそこに立ち尽くしていた。


(これほどまでの魔法を放てるとは…。)

これから死ぬというのに、トールは何処か感動していた。それはおそらく、赤龍が魅せている魔法のせい。


トール自身、大陸に覇を唱える王国の兵士長として、剣術も魔法も人よりも得意だと自負していた。そのトールをして、これほどまでの規模の魔法は打てないという確信。


素直に感嘆する。そして、この魔法を浴びて死ねる事に、何処か喜びすら覚えてようとしていた。


そうして目の前に極大の赤球が飛んでくる。

地面や草木を焼き尽くしながら飛んでくるそれをじっと眺めている。


「ーーー激流。」

遠くからか、近くからか。兎も角、どこかからそんな声が聞こえてきて、トールの目の前は水で覆われる。直後、グゲルギオスが放った赤球が水柱とぶつかり、膨大な水蒸気が生成される。


『…何者だ、貴様は?』

何処か感心するような声色のグゲルギオスの前に、トールの命の恩人は姿を見せる。そこには、トールの見覚えのある、王国きっての魔法使いがいた。


「私は魔法使いのイリア。偉大なる赤龍、グゲルギオスよ。以後、お見知りおきを。」

『…ほう?』

恭しく頭を下げるイリアに、グゲルギオスもどうやら興味を持ったらしい。


極度の緊張から解放され、トールは腰が抜けて地面に倒れる。そして、段々視界が真っ黒に染まっていく。


「戦士長。貴方が稼いでくれた時間のお陰で、おそらく王国は亡国を免れました。」

意識が落ちる瞬間、イリアにそう言われる。

龍の怒りを知っているトールからすれば、王国が生きながらえる事など、なんとも失笑すべき事だった。










「取引をしないか、赤龍よ。」

イリアと龍以外が意識を失った平原で、イリアは龍に語りかける。イリアが行うのは、御伽話に書いてあった勇者が実行した事だ。


『取引、だと?人間の貴様とこの我がか?』

翼をはためかせ、グゲルギオスは言葉を開く。

翼が押し出した空気がイリアの元に押し寄せ、イリアの体制が揺らぐ。


そんな龍の威嚇を物ともせず、イリアは言葉を続けていく。


「そうだ、取引だ。人間の輝きが好きな貴方にとって、この取引はとても素晴らしい物になる。」

かつての勇者は、グゲルギオスと30年以上闘い続け、遂にこの偉大な赤龍に傷を残した。


そしてこの龍はそれを輝きと称して眠りについた。


「貴方は、困難な事をやり遂げる人間の意志。

これを輝きと呼んでいるのでしょう。

ならば、私が貴方に輝きを見せましょう。

700年前の勇者以上の輝きを。」

イリアの言葉に、グゲルギオスは目を丸くする。そして次の瞬間ーーー。



『ク…クク、クハハハハハハッ!!!

面白い、面白いぞイリアとやらっ!

この我と取引、そして、勇者以上の輝きとなっ!』

大口を開けて、グゲルギオスは笑いだす。翼と尻尾も随分と嬉しそうに揺らめいている。


「どうだろうか。私の輝きでもって、王国への制裁は無くしてもらえないだろうか。」

『…ふむ。良いだろう。我の望む物を提示してくれるのなら、我の怒りも収まるはず。』

グゲルギオスは首をコキコキ鳴らしながら、イリアを見下ろす。先ほどまでとは一転、グゲルギオスの目には、確かな知性と興味が宿っていた。


『だが、そうだな。貴様の輝きを見る為に、貴様自身がやるべき事を決めてはならぬ。

どれ、我が一つ、貴様に試練を下そうではないか。』

試練。イリアは内心呟く。


勇者はおそらくこの赤龍に傷をつける事が試練だったはず。たったそれだけで30年かかったのだから、おそらく並大抵の物では無いだろう。


しばらくグゲルギオスは首を振りながらウンウンと唸っていたが、何か閃いたのか首を大きく曲げてイリアの顔に近づける。


『ーー決めたぞ!貴様への試練。それは、

我の寝床を作ってもらおう!』

「…寝床?」


『そうだ、寝床だ!というのも、我がこうして目が覚めたのも、元々住んでいた森が喧しくなったからなのだ。故に、貴様には我の寝床を作ってもらう事にした。』

「成程…。」

そんな龍の言葉に、イリアは顎に手をあてて考える。思っていたよりも優しい試練の内容に、少しだけ安堵した。


しかし、そんなイリアの思いを、偉大な赤龍は打ち砕く。


『寝床を作るにあたって、貴様には魔法の使用を禁ずる。我が用意した道具でのみ、我の寝床を作って見せよ!』

「な…!」

魔法。それは魔力を使う事で発生させられる、様々な現象。


魔法を使えば、水を出したり炎を作ったりする事が出来る。そして、魔法を使えば硬い土や岩石の塊をいともたやすく壊す事ができる。


王国でも1番と言ってもいい魔法使いのイリアにとって、魔法とは文字通り手足そのもの。それが使えなくなるという事は、イリアが培ってきた知識や技術を封印されるのと同義だった。


そんなイリアを尻目に、グゲルギオスはパチンと指を鳴らす。すると、イリアの目の前に2つの道具が降ってきた。


「…これは?」

『ツルハシとバケツだ。この2つのみを使い、我の寝床を作って見せよ。魔法の使用は禁ずるぞ?』

ツルハシを持って見ると、ずしりと重たい。10分以上振れるかも怪しい。


『そして、我の寝床はあの山脈の中に作ってもらうぞ!』

そう言ってグゲルギオスが指を指したのは、王国よりはるか北の大地。


「あそこは…銀冠山脈。」

銀冠山脈。ありとあらゆる生物を拒む、死の山脈と呼ばれている。年中猛吹雪が吹き荒れ、視界は純白に染まるそこは、常に銀色の冠を被っている姿からその名が名付けられた。


『さぁどうする?イリアよ。貴様の輝きを、見せるか、見せないか。好きな方を選んでくれ。』

「……」

喉がごくりと鳴る。唾を飲み込んだのに、どんどん口内が涎に満ちて行く。


銀冠山脈はその地盤の硬さでも有名だ。資源調査に向かった王国の調査隊達が、あそこでは採掘は不可能と結論付けていたからだ。

少なくとも、このツルハシで掘れるような硬度では無いはず。


『安心しろ。その道具には我の血を混ぜてある。我と同じ強度故、あの山の地層も簡単に掘れるだろうよ。

そして、お前にも我の血を授ける。こうすれば、怪我や病気、空腹などで倒れる心配も無くなる。』

つまり、後はイリアが頷くだけ。グゲルギオスもその言葉を待っている。


「ーーわかりました、その試練…」

「待ってください、イリア!」

挑戦すると言いかけたその瞬間、後ろから声がかかる。イリアが振り向くと、そこにはイリアの幼馴染であるリファがこちらに向かって走って来ていた。


「リファ!どうしてここに…。」

「イリア。お願いです。龍の試練を受ける事をやめて下さい。」

王都から全力疾走してきたのだろう。リファの美しい銀髪は、額から滲み出る汗で顔に張り付いてしまっている。


リファとは幼馴染であり、同じ学園で育った。

成長後は、イリアは王国きっての魔法使いとして、そしてリファは王国有数の聖女としてそれぞれ名を上げた。


「私は、この日を予知していました。

怒りに身を任せた龍が、王国に牙を剥くと。

故に、龍の怒りの原因である、龍の素材を使う事をやめるべきだと、常にもうしていました。」


「しかし、その願いは誰にも届かなかった。どれだけ言葉を尽くしても、明日には忘れて龍の素材を取りに行ってしまう。」

ですから、仕方ないのです。リファは悲痛な面持ちで胸に手を当てる。


夕日の間から、2人と一匹の龍の間にそよ風が流れる。時間にして数分だろうか。イリアはリファの手にそっと自身の手を重ねる。


「…まだ、終わっていない。俺の頑張りで王国が生き延びられるなら、命でも賭けるさ。」

「イリア!」

「今度はリファの話を聞くだろう。

失敗して、反省して、そうやって人間はやり直して育って行くはずだ。」


だから、俺は頑張りたい。俺の力で救えるなら、この国の役に立ちたいんだ。


リファの涙を指で拭った後、イリアはグゲルギオスに向き直る。


『…試練を、始めようか?』

「またせて済まない。

俺をあの山脈へ連れて行ってくれ。」

イリアがそういうと、グゲルギオスはニィと口角を吊り上げる。


『勇敢なる者よ!是非とも貴様の輝き、魅せてもらおうか!』

そうしてグゲルギオスはその巨大な手でイリアを掴み、翼をはためかせて空中へと上昇して行く。


「成し遂げて見せるさ。勇者も人の子だったのだから。」

紅き光が落ちる王国を見ながら、イリアはそう呟いた。

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