第3話 初めての授業
国語の教諭が教室に入ると授業は淡々と進められた。
この時間が古文の授業であっても、転校生のトムがいても何も変わらない。
教師がトムに授業内容の問いを答えさせることも無い。
みな知っているのだ。トムがどんな問いを質問しても完璧に答えてしまうであろうことを。
だから、だれもがこんな事態が起きようとは想定していなかった。
教諭は『枕草子』を窓側から順に読み上げるように言った。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく……」
区切り良く順番に読み上げていく。そして次はトムの番になった。
「冬は」
「ああ、トム君は読まなくてよろしい。続きは土岐さんから読みたまえ」
土岐さんは立ち上がって訴えた。
「先生! トム君は転校生です。つまり立派な生徒です。なんでトム君の順番をとばすのでしょうか」
静かだった教室はざわつき出した。
「トム君は生徒の立場だが、改めて授業を教わる立場では無いだろう。あくまでもAIとの親睦と共生を目的としてクラスのみなさんのために入学しているのだから、その目的には授業を教わる行為までは含まれていない」
国語の教諭は理路整然と答えた、はずであった。
「それでは英語の授業で帰国子女の子がいたら、先生は同じように朗読させませんか」
この土岐さんの言葉が引き金になった。
クラスが一斉に喧騒に包まれたのだ。
特にガラの悪い生徒は率先して、教諭に罵声を浴びせている。
すると静かにトムは挙手して発言を求めていた。
国語の教諭はそれを見とめると、クラスの一同を制してトムに発言するように促した。
トムは席を立ち上がった。
クラスは未だざわついてはいたが、視線は一様に彼に注がれていた。
「先生の許可が有れば朗読させて頂きたいのです。それにわたしが朗読することは生徒同士の親睦と共生の目的に反しません」
「ま、まぁそうだな。それでは続きはあらためてトム君に読んで貰おうか」
するとトムは教科書も持たずに、静かに朗読を始めた。
「冬はつとめて。雪のふりたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またされでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。……」
トムの朗読はゆったりと抑揚を付けて、まるで歌でも歌うように読み上げていた。
みな一様にその発する声に聞き入っていた。
「先生。皆と同じくらいの文節まで読み上げましたが、続けて読み上げたほうが良いでしょうか」
その声に一同は我に返った。それは国語の教諭も同じであった。
「ああ、そこまででいい。続きを……」
「お話を遮ってしまってスミマセン。わたしは平安時代のゆっくりした時間の流れを想定して読み上げましたが、合っていましたでしょうか? 時代が下ると今様(いまよう)などの詩歌も詠まれるようになります。しかし当時の人々がどのように読んでいたのかは定かな文献や資料が残されていません。わたしの朗読は間違っているでしょうか」
トムは当たり前のように国語の教諭に質問していた。
その内容はともかく、普通の生徒が教師に質問する姿であった。
しかし国語の教諭は答えられない。教えるべき内容では有るが正しい解答が無いからだ。
それに教育指導要綱に載っていないことを教えることは憚られた。
教室はひとときの静寂に包まれた。
生徒たちも今の朗読に心打たれていたが、それが正しいかどうかは分からなかった。
自然と国語教諭の回答に皆の視線が集まっていた。
「歴史的に正しいかと聞かれると答えることが難しい。ただし古文としては正しく朗読していました。そうした読み方を範とするかどうかは皆さんが各々考えてみて下さい。続きを土岐さん読み上げるように」
「昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、……」
土岐さんは皆よりもゆっくりと読み上げたが、特に抑揚は付けずに読み上げていた。
トムは土岐さんの朗読を聞きながらひとり考えていた。
(わたしは転校生であるのだから生徒であると認識していたが、何か齟齬があるようだ)
キーンコーンカーンコーン
鐘の音が鳴り響くと、そこで授業は終了となった。
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