第28話 月明かりの対峙1

 虫の声と共に、しっとりと夜が更けていく。


 漆黒の闇に包み込まれる中、ぽつりぽつりと灯された明かりが、笙鈴しょうりん居所きょしょをぼんやりと浮かび上がらせていた。


 怯えを隠し切れないふたりの女官が足早に廊下を進み、飛び込むように部屋へ入った。


 明るい室内で、笙鈴は長椅子にゆったりと腰かけ、女官も全員揃っているのを目にし、彼女たちは安堵し表情をやわらげる。


「笙鈴様、異常ありません」

「見回りありがとう。休んでちょうだい」


 見回りから帰還した女官ふたりは、笙鈴のねぎらいの言葉に嬉しそうに表情を明るくさせ、部屋の隅へ移動して疲労感たっぷりに腰を下ろした。


 そして、自分たちのすぐそばで、おどおどしながら背中を丸めて座っている女官へ辛辣な眼差しを向ける。


 よく見ると、ふたりだけでなく、女官の多くが軽蔑や冷ややかな視線を彼女にちらちら送っている。


 それは、占術師せんじゅつしとして笙鈴の身を守るために雇われたというのに、その役目を果たすところか役にすら立っていないからだ。


 そもそも、一刻おきに行われている見回りも、最初は占術師である彼女と誰かが組むという話だった。


 しかし、彼女はすっかり怖気づいてしまい動けず、ずっとこの調子なのだ。


 他の女官たちも怖いのを我慢して順番に見回りを行っているため、不満がくすぶるのも当然だろう。


 雰囲気の悪い室内を見回しつつ、笙鈴……ではなく、魂化術こんかじゅつにより笙鈴に成り代わっている翠蘭すいらんは小さくため息を吐いた。


(女官は全部で六人。そのうちのひとりは、占術師として霊力も度胸も足りず、戦力外……である上に、霊力が周りより若干高いのが災いして、悪鬼の気配により敏感で、恐怖心も大きい。厄介ね)


 そんなことを考えていると、笙鈴が翠蘭の居所を訪ねる際に共に連れてきた側近とも呼べる女官、林杏りんしんが顔を覗き込むようにして話しかけてきた。


「笙鈴様、顔色が悪くお辛そうです」

「気を遣わせてしまったみたいね。でも平気よ」


 林杏の言葉に同調するように他の女官たちからも心配そうな顔を向けられ、翠蘭はすぐさま表情を引き締めた。


 笙鈴は紅玉こうぎょくよりも霊力が低いという点で、先日の魂化よりも術の難易度が上がっている。


 さらに敵は、前回翠蘭の霊力に撤退を選択していることから、今回は相手に翠蘭の霊力を気取られないようにしなくてはいけない。


 霊力を抑えながらの魂化術であるため、繊細な制御力も必要となってくるのだ。


 林杏は翠蘭の返事に歯がゆそうな顔をしながら提案する。


「結界が破られる様子もありませんし、今宵は何も起こらないかもしれませんよ。どうぞ私たちに任せてお休みになってください」


「いいえ。相手はこちらの様子をうかがっているだけ。気を抜いたら一気に攻め込まれます」


 力強く言い切った翠蘭に、林杏は息をのんだ。


 見回りの女官たちからの「異常なし」という報告は、守護札が破られていないというものだ。


 しかし、昨夜結界を張ったのは誰でもない翠蘭本人である。


 彼女たちには見落としている守護札があり、すでにそれらが破られ始めているのをしっかりと察知していた。


(問題はあちらの出方ね。笙鈴さんだけを一気に攻め込むか。それとも、邪魔をさせないために家側にも刺客を送り込んで、同時に攻め込むか。分散型なら応援が来るまで私ひとりで皆さんを守らないといけない……腕が鳴りますね)


 やりがいを感じて翠蘭は思わずほくそ笑むが、林杏から驚きの眼差しを向けられていることに気づいて、慌てて表情を取り繕った。


 その瞬間、またひとつ守護札が破られた。


 翠蘭が機敏に庭へ目を向けると同時に、青い顔で震えていた占術師未満の女官が勢いよく立ち上がった。


 それに驚き、注目が集まったところで、占術師未満の女官が「怖い! 助けて!」と叫び声を上げ、足をもつれさせながら走り出した。


 予期せぬ突然の行動にみんなが唖然とする中で、翠蘭だけは冷静に小声で術を唱え始める。


 すると、まるでそこに壁があるかのように、占術師未満の女官は部屋の出入り口で体ごと跳ね返され、その場に倒れた。


 翠蘭は椅子から立ち上がると、ゆっくり歩き出す。


「命が惜しいなら、部屋から出ないことね」


 占術師未満の女官の傍らで足を止めて厳しくそう言い放つと、くるりと踵を返し、他の女官たちにも命じる。


「あなた方も同様です。ここにいてちょうだい」


 それだけ言って、翠蘭はすんなりと部屋を出た。


 背後で女官たちから「笙鈴様!」と悲痛な声が上がる中、ひと際大きな声が翠蘭の足を止めた。


「お待ちください、武器を持たずしてどのように戦うおつもりですか!」


 翠蘭が振り返ると、壁際に飾るように置かれていた剣の前に林杏がいた


(ああ、そうね。今私は、武術が得意なこう笙鈴だったものね。でも……)


「要らないわ。李翠蘭に術を託してもらっているから」


 中身は翠蘭であり、恐らく笙鈴の物である剣を手にしたところで、うまく扱うことなどできないし、邪魔なだけである。


 はっきり拒否すると、林杏はわずかにうろたえたものの、素早く近づいてきた。


「で、でしたらせめて、私だけでもおそばに!」


 覚悟が定まった目と、腰に携えている剣の柄をぎゅっと握りしめている右手を、順番に見てから、翠蘭はにこりと微笑んだ。


「いいでしょう。あなただけ同行するのを許可します」


 言いながらすっと差し出された手を見つめて、林杏は口を引き結ぶ。


 一気に歩み寄って、しっかりと掴んできた彼女の手を、翠蘭はきつく握り返す。


 そして、術を呟きながら、そのままぐいっと自分の元へ引き寄せた。


 何かの境界線を越えてしまったかのような感覚に、林杏はぞくりと背筋を震わせる。


 ちらりと後ろを振り返り見ても感じた何かは認識できず、さっさと歩き出したあるじを戸惑いと共に追いかけた。


「強力な結界はあるようですが、敵はどこから入り込むかわかりません。少なくとも混乱するでしょうし、具体的な指示を出さずに平気でしょうか」


「平気です。悪鬼の標的は私。私が離れれば、被害に遭わずに済みます」


 翠蘭は林杏の指摘をさらりと返してから、納得しつつも不安を消せずにいる林杏に向かって再度手を差し出した。


「あ、そうだわ、念のため。剣を貸してくださる?」

「え? ……やはり必要ならば、笙鈴様の手に馴染んだ剣をお使いになられた方が」

「いいえ。私に剣は必要ないと言ったでしょう。李翠蘭からまじないを教わったから、試してみたいの」

「ま、まじないですか」


 どちらからともなく足が止まり、林杏は自分の剣を翠蘭に差し出した。


 翠蘭はそれを受け取ると柄を取り払い、刃先に手を近づけながら術を唱え、霊力を吹き込んでいった。


「うん。上出来」


 翠蘭は白く輝きを放つ剣を見つめて満足げに微笑んだあと、刃を柄に納めて林杏に返す。


「……笙鈴様、翠蘭様からいったいなにを教わったのですか?」

「秘密」


 目の当たりにしている光景が信じられないらしく唖然としている林杏に対し、翠蘭は「ふふふ」と小さな笑い声を上げてから、庭に出るべく廊下を進み始める。


 肌寒さを感じながら月明かりの下に出たところで、翠蘭は真っ先に庭の中で存在感を放っている大木へと視線を向ける。


「くれぐれも油断せず、行きますよ」


 口元に笑みを湛えて翠蘭が宣言すると、大木に嫌な気配を察知した林杏も体をそちらに向けて、硬い声音で「はい」と返事をした。



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