第4話 騎士団の追跡

 落鉱バザールでの逃走劇から半刻。

 第四層・黄昏街の外周高台を駆け抜けた九条廉とルーシェ=ヴァンデルは、星霧に霞む貨物用軌条橋の裏側へ身を潜めた。真下では多層都市を縦貫する搬送レールが鉄の悲鳴をあげ、霧にぼやけた街灯が橙色の輪郭を揺らしている。


 「衛士が散開したわ。射線は三方向……早い」

 ルーシェの解析眼が闇を貫き、ビルの屋上に立つ複数の影を映し出す。黒と銀の長外套、胸甲に白い双翼の紋。星骸騎士団――神託評議会直属の精鋭だ。

 廉は背に収めた銃槍カリストへ意識を向けた。〈魔力残弾二一%。連続運用は推奨外〉と脳裏へ淡々と報告が流れる。

 「こんな速度で追跡網を張れるのか」

 「星骸反応は都市全監視網に直結しているのよ。起動した瞬間、評議会が位置データを受け取る。保持者は“災厄の鍵”ってわけ」

 ルーシェは唇を噛み、革鞄から折り畳み式の地図投影機を開いた。淡いホログラムが橋脚のコンクリに踊る。

 「北側の排水ダクトが空いてる。そこを抜ければ第三層へ上がる物資リフトの裏通路に出られるわ」

 「第三層まで行けば追撃は弱まるか?」

 「上層寄りになるほど監視権限は騎士団だけじゃなくなる。経路が増え、目も散る。でも問題は――」


 言い終える前に、橋脚の外へ青白い魔術光が奔った。ぎらりと刃のような鎖が大気を裂き、石塊を粉砕しながら二人の耳元を掠める。

 「見つかった!」


 *  *  *


 騎士団の前衛は五人。全員が軽鎧の上に白銀の外套をまとい、腰には短杖兼用の片手剣。先頭の女騎士が抜剣と同時に魔術陣を展開した。

 「星霧保持者に告ぐ! 即刻武装を解除し、導引座標に従って投降せよ!」

 ルーシェが舌打ちする。「交渉の余地なし。逃げるわよ!」


 廉は《カリスト》を抜き、刃を銃身へ収束させた。星霧が脈動し、背筋に電流が走る。だが魔力残弾の警告が赤く滲んだ。

 (連射すれば記憶の圧迫が来る……)

 「ルーシェ、サイドルートは?」

 「この橋のマグネットレールに沿って南へ! ただし下も上も貨物列車が――」

 轟音。霧の中から無人搬送列車が現れ、橋を擦る火花を散らして駆け抜けた。その車体を縫うように鎖光が放たれ、鉄板が熔解して孔を開ける。炎に照らされ、銀色外套の影が宙を滑るように迫った。


 「跳びます!」

 ルーシェが廉の腕を掴み、橋脚外縁の補助梁へ飛び移る。滑り台のように傾斜した梁を滑り降り、下層の作業足場へ転がり落ちる。金属板の上を転じた衝撃で胸のコルセットが軋み、ルーシェが痛む肩を押さえた。


 追ってきた騎士の一人が宙で腕を振る。魔術陣が千切れた光糸を束ね、槍状に凝結して飛来――。

 「カリスト!」

 廉は銃身を横薙ぎに払った。星霧が反転し、剣状の光を受け流す。だが腕へ衝撃が残り、痺れが指を攫う。

 〈残弾一八% 警告:使用者神経負荷上昇〉

 (わかってる!)


 その隙を突き、先頭の女騎士が足場へ着地した。面当てを外すと、意志の強そうな翡翠の瞳が現れる。

 「私は第一小隊長ラシェル。星骸保持者廉、ルーシェ=ヴァンデル――両名に拘束令状が下った」

 「『落鉱バザール』は評議会管轄外よ。民間人を法解釈だけで狩る気?」ルーシェが睨み返す。

 ラシェルは答えず、肩に付けた水晶端末を操作した。「確認……保持星骸カリスト。危険指数Bプラス。確保優先度A。――交戦を許可する」


 光刃を備えた短杖剣が抜かれる。青い魔術火花が刃縁を流れ、周囲の霧を吹き飛ばした。足場が狭い。ここで長期戦は不利――廉は計算しながら銃槍を構える。


 (一撃で怯ませ、逃走ルートを確保する)

 ルーシェが軽く頷き、鞄から投擲式の遮蔽弾を取り出す。中央に詰めた星霧凝縮粉を炸裂させれば、数秒は熱源探知が乱れる。


 「せーの!」

 遮蔽弾が放物線を描き、青白い閃光を放つ。同時に廉は《カリスト》を斜め下へ突き立て、床板を貫いて蒼い推進流を噴射した。足場が爆ぜ、二人はその反動で高架下の資材搬入パイプへ跳躍――。


 しかしラシェルは遮蔽雲を裂き、杖剣を回転させて追ってきた。旋風のような足技でパイプ上に着地し、刃を突き出す。廉が受け止めるが、女騎士の魔術圧が槍身を震わせる。「動きが鈍い。星骸が泣くわ!」


 足場が傾き、ルーシェが滑空して距離を取る。彼女の瞳が解析線を走らせ、騎士の剣筋をトレースした。

 「廉、彼女の重心は右膝! 三連撃で崩れる!」

 「了解!」

 廉は第一撃で上段を弾き、反転して銃口を女騎士の脇に突き付ける。圧縮星霧が短く炸裂し、金属外套が軋む。ラシェルは辛うじて体勢を維持するが、右膝が鈍く揺らいだ。


 「まだ!」ルーシェが遮蔽雲の端から声を張る。「切り札が来るわ!」


 次の瞬間、空気が粘度を帯び、霧の潮が渦を巻いた。高架の最上段に影が立つ。白銀外套より一段濃い夜色のマント、月下に浮かぶ金髪。そして胸甲中央の紋章には双翼と星霜の紋飾――筆頭騎士の証。


 「エリオット・グレイ……」ルーシェが息を呑む。「あの人が出るなんて」


 影がステップ一つで突出す。距離が百メートルあったはずの空間が折りたたまれ、次の呼吸でエリオットはラシェルの背後に着地していた。

 「下がれ、ラシェル。報告は聞いた」

 「イエス、筆頭!」

 ラシェルが剣を引くと同時に、エリオットの長剣が霧を割った。刃文を模した光が剣身で脈動し、軌跡に星霧の花弁を撒く。


 「星骸保持者、九条廉。君の反応は『落鉱』から都市中枢へ向けて一気に増幅した。危険因子として隔離する」

 声は静かで、鐘のように澄んでいた。顔立ちは整い、額から流れる金の髪が肩で揺れる。英雄譚で語り継がれる完璧な騎士――それが第一印象だった。

 「話し合いはないのか?」廉が問う。

 「君が星骸を自発的に封印し、拘束に応じるなら少数の職員が立ち会うだけで済む。さもなくば――」

 エリオットは剣先をわずかに下げた。「全力をもって排除する」


 ルーシェが肩を震わせる。「あの人、〈落星の再来〉を完全に信じてる。保持者は皆、世界を破滅させる種火だと」

 「……そうか」

 廉は《カリスト》を両手で構え直した。星霧が緊張し、潮騒のような鼓動が耳を満たす。エリオットの剣がわずかに角度を変え、霧の水脈が吸い寄せられた。


 〈敵性魔術式:星雲型加速陣。衝撃推定、使用者の三倍〉

 カリストの分析が脳裏に走る。同時に魔力残弾表示は一六%。全開放は自滅だ。

 (なら、ルーシェの解析と合わせて一点突破……!)


 「ルーシェ、重心解析を!」

 「オーケー!」瞳が星霧を切り裂き、エリオットの筋肉の微動、装甲の圧力分布、足裏の摩擦係数を映像化する。

 「右肩の後ろ! 切り替えの瞬間、一瞬だけ剣速が落ちる!」


 廉は跳んだ。エリオットが踏み込み、空間が折りたたまれる。衝撃波と共に剣閃が炸裂――地面が斜めに切り裂かれ、コンクリ粉塵が夜風に舞う。

 ギリギリでかわした廉はカリストを突き出し、銃口に星霧弾を圧縮する。


 (これで足を止める!)

 発射。蒼白い弾が剣圧と衝突し、閃光が咲いた。だが視界が晴れたとき、エリオットは無傷。剣先に結んだ魔術糸が衝撃を分散していた。

 「分析力は優秀だ。だが君自身の経験が足りない」


 次の瞬間、剣が逆手に翻り廉の死角を突く。避けきれず肩を裂かれ、焔のような痛みが走る。

 カリストが警告を上げ、〈致命損傷回避のため自動遮断〉と表示。槍刃が収束し、銃身が凍る。廉の体内も冷気に似た痺れが回る。


 「廉!」ルーシェが叫び、遮蔽弾を投げた。閃光と同時に彼女は廉の腕を掴み、背後の換気シャフトへ飛び込む。金属フィンの狭い隙間を滑り、霧で濡れた管路に転げ落ちた。


 「無理よ! 正面衝突は――」

 「わかってる……退く」

 血が肩を伝い、コンクリへ滴る。カリストの冷却が終わるまで数十秒。その間に距離を稼ぐしかない。


 シャフトを匍匐で進み、排気口から夜の建設区画へ転がり出る。ケーブルクレーンと未完成の耐霧ドームが林立し、警備灯の間隔が広い。

 「ここなら……!」ルーシェが解析線を走らせる。「感知網が薄いわ。工事用昇降機で第三層へ跳べる!」


 背後で金属を断つ音がした。エリオットがシャフトを一刀で掠り落とし、霧を纏って現れる。夜光が長剣を鋭く照らし、布越しでも分かる筋肉が沈黙の強さを語る。

 「諦めて投降を」冷たい声。だがその瞳には怒りも憎しみも乗らず、確信だけが澄み切っていた。


 廉は息を整え、カリストの銃身を構える。まだ再起動していない。それでも光を帯びぬただの槍でもいい、時間を稼げれば。

 想像よりも先に、ルーシェが一歩前へ出た。

 「彼は無実よ! 星骸と契約しただけで人を傷つけていない!」

 「契約そのものが危険だ」エリオットは剣を下ろさない。「記憶を代償に魔力を得る行為――それが都市と世界を蝕む。千年前の落星も同じ力が暴走した結果だ」

 「じゃあ聞く!」ルーシェの声が震える。「あなたは自分の信じる神託に一点の疑いも挟まないの? 評議会が書き換える歴史に?」

 騎士の眉がわずかに動いた。ほんの刹那の揺らぎ。しかし答えるより早く、遠方で警笛が三度鳴った。援軍が迫る合図だ。


 「時間切れだ。君たちは包囲される」

 エリオットの宣告は冷たくも優しくもなく、ただ事実を告げる鐘の音だった。鋭く剣を翻すと、空気が再び粘度を帯びる。


 「廉、行くよ!」

 ルーシェが昇降機のケーブルを蹴り上げ、操作盤を魔術式で強制起動する。エリオットの剣圧が風を裂くより一瞬早く、籠が悲鳴を上げて上昇した。


 跳躍して踏み込む剣先がわずかに届かず、エリオットは足場の端に止まった。翼の紋が夜気になびき、金髪が白い霧を纏う。

 「いずれまた会う。次は投降勧告ではなく、審判だ」

 静かな声が風に溶け、遠ざかっていく昇降機を追った。


 *  *  *


 第三層へ辿り着いた頃、夜は薄鈍色の黎明へ溶けつつあった。

 建設クレーンの影に隠れて息を整える廉の肩傷を、ルーシェが慣れた手つきで包帯し直す。彼女の指は震えていた。

 「怖かった?」

 「……少し。でも、あの人の信念はもっと怖いわ。ああいう“正しさ”は進路を選ばない。障害は全部切り落とす」

 廉は頷き、夜明け前の空へ視線を向けた。塔心から流れる星霧の滝が青銀に輝き、都市層の環状灯が一つずつ消えていく。


 〈使用者負荷安定。記憶封匣機能、保管状態正常〉

 カリストの報告。

 「記憶を奪われはしなかった。今はそれで十分だ」廉は呟き、ルーシェに目を戻した。「ありがとう。君の解析がなければ倒れてた」

 彼女は小さく笑い、額の汗を拭う。「貸し借りは半々よ。これでおあいこ」


 遠く、筆頭騎士エリオットの姿はもう見えない。だが彼の一太刀が残した斬痕は、都市の空気すら緊張で張り詰めさせていた。

 「騎士団は本気で追ってくる」

 「なら、こちらも本気で走るだけだ」


 薄紫の空の下、二人は再び歩き出した。

 次なる舞台は上層貴族街――禁書が眠る宝物庫。そこへ至る道は、まだ夜の闇を少しだけ名残に残している。

 だが星霧の風は確かに吹いていた。彼らの前途に、より大きな選択と代償が待ち受けていることを告げるように。

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