第2話 龍使いの里

 

 幼い頃の俺は、我ながら本能のままに動く、里一番の問題児もんだいじだったと思う。

 外の世界にあこがれ、何度も結界の外へ出ようと試みて、失敗した時もあれば、成功してすぐに連れ戻された時もあった。実質、これも成功ではないか。

 おかげで里の結界は以前よりも強固きょうこにされ、今となっては誰一人として許可なく出られなくなった。

 そんな俺が変わったのは、恥ずかしいが、弟が生まれてからだ。

 この里の人間は昔から龍と共存きょうぞんしていた為か、目の色が赤や金色の者が多く、実際俺と両親も両目とも赤色だ。

 しかし生まれた弟の目は赤と青緑のオッドアイだった。

 せめて、赤と金色なら俺もここまで過保護にはならなかっただろうが、残念ながら寒色かんしょく系の目の色を持つ者は生まれつきこの辺一帯を管理されている龍神様からの加護が薄く、病弱びょうじゃくだったり健康体でも寿命じゅみょうが短かったりする。

 実際のところ、弟は他の子よりも家の中で過ごすことが多く、生まれてすぐは危なかった。

 成長して容態ようたいも安定してきたから、両親は共働きへ出られるようになり、俺も昔、迷惑かけたから少しでも助けられるように弟の世話を引き受けた。

 決して外の世界への憧れが消えた訳ではないが、それはもっと弟が成長してからでも遅くはない。今はとにかく、弟を一日も早く立派に育て上げることが一番だ。

 

「……これは、また……派手にやったな~」

 

 買い物から帰ってきてみれば、キッチンが放題ほうだいだった。

 浴室からは弟と弟の相棒の龍の騒ぎ声が聞こえて来ているし……何となくさっした。

 

「すまないが、ここの片付けを先に始めていてくれ。向こうが終われば俺もすぐに手伝う」

 

 そばにいた俺の相棒である金龍きんりゅうのサンにこの場を任せ、俺は荷物を棚の上に一度置き、着替えとタオルを何枚か持って浴室よくしつへ向かった。

 予想通りびしょ濡れで、しかもこの時期に冷たい水は身体に悪い。風邪の元だ。

 以前よりは体も丈夫になったとは言え、まだまだ俺達に比べて免疫力めんえきりょくが弱い……普通の人間並みしかない弟にこの状況は良くない。

 タオルで拭いた時に予想より体が冷えている事を知り、すぐさまお湯をかけてやる。

 

(正直、俺の心臓に悪い!)

 

 程よく温まった事を確認してから俺は新しいタオルを渡して着替えを置き、急いでサンの手伝いに戻ったが、既に片付けは終えてあり、何なら買ってきた物をしまってくれていた。

 さすがに仕事が早い。

 疲れて床で寝転がっているサンに買ってきたビスケットを渡した。

 

「ご苦労様、助かった」

 

 サンはビスケットを受け取り、一鳴きした。

 

「さて、俺はあいつのおやつでも作るか」

 

 机の上や周りに散乱していた材料を考えるに、ホットケーキを作ろうとしていたのだろうが、おそらく何かに驚いたアースが暴れまわったのだろう。

 弟はあれで大人しい性格だから、きっと止めることもできなかった筈だ。

 

「ふぅ~、明日にでも、龍の扱いを教えておくべきだな」

 

 苦笑いをしながら、フライパンのホットケーキをひっくり返した。

 

「おっ、良い焼き加減だ」

 


 翌日から早速、外に出て龍との接し方から育て方について徹底的てっていてきに教え込む。

 この里では昔から龍と共存していく為に、生まれてすぐの赤子に両親の相棒である龍の卵を与えてかえらせ、一緒に育っていく風習ふうしゅうがある。

 卵からかえったばかりの龍が赤ん坊を襲う心配もあるだろうが、そこは親である龍が目を光らせているし、何よりこの里で生まれた赤子には皆、龍神の加護が付く。人間よりも邪気や神気しんきの気配に敏感な龍がその加護に気付かない筈がない。孵ったばかりの龍は特に自身の貧弱ひんじゃくさを本能的に知っている分、成育した龍より余計に気配に対して敏感びんかんだ。

 成長に連れて多少の事は気にならなくなるが、その時には一緒に育った人間の方も強くたくましくなっている為、今度は共に生きる相棒として龍に認められる。

 

「昨日の事を考えるに、どうやらお前の相棒は自らのつかえる主の事を弟か飼育員と勘違いしているようだ」

「うっ……やっぱり」

 

 本人も薄々うすうす気付いてはいたようだ。それなら早くに改善できる。

 

「いいか? 龍はその辺に居る野生動物とは違う。彼等は知能もあるし、力もある。加えてほこりもあるから、弱い人間には見向きもしないし、同じく庇護ひご対象にされてもいざと言う時に命令を聞かないから暴走をする危険だってある」

「う、うん」

「だから俺達は自分の相棒をただの野生動物におとしめず、彼等の誇りと尊厳そんげんを護る為いざと言う時に備えて信頼という絆で支配し、決して暴走させてはならないんだ。だが間違えるなよ。支配と言っても力でじ伏せるという意味ではない」

「んぅ〜?」

 

 先程の説明は理解できなかったらしく、弟は頭を傾げた。

 昔父親から聞いた話と混同こんどうさせたのかもしれない。あの父親は少々強引な手段でも、自己流でどうにかしてしまえるから弟には荷が重い。

 

「力で捻じせたって元々彼等の方が強いんだ。返りちにうだけではなく、逆にこちらの命が危ない。龍を支配してしたがえるというのは、実は人間同士よりもはるかに難しくその道は困難だ。時に寄りい、常にお互いを認め合う……そんな固い絆で結ばれた龍が簡単に暴走など起こす筈がないからな」

「う、う~ん。なんか、よく解らないけど……兄ちゃんの言いたい事、何となく解った!」

 

 必死に自分の中でみ砕いて理解しようとしている弟の真面目さと優しさが可愛くてその頭をでてやる。

 

「まだ少し難しかったようだな、すまん。だけど、ありがとな、嬉しいよ」

「えへへ~、どういたしまして」

 

 嬉しそうに撫でられる弟を見て、アースも羨ましくなったのか、サンに頭を持っていく。察したサンがすぐに頭を撫でてやっていたから、まとめて全員を抱きしめたくなってきたが、ここは外だ。あまり気のゆるんだところを見せるべきではない。

 そろそろ今日は切り上げようと思っていたところに、歩み寄って来る存在が居ることを気配で知った。

 

「おや、あのやんちゃな坊主が立派になったものだ」

「龍長様。こんにちは、今日はお身体の調子は良いみたいですね」

 

 歩み寄ってきたのは里の長である龍長様だ。里の守護をされているという龍神様の血縁者けつえんしゃで半分は龍の血が流れている。それは俺たちの父親も同じではあるが、龍神ではない。だから里一番の実力者ではあるが、親戚ではない。

 

「ああ、お前たちの母親の作った薬のお陰で峠は越えられたよ。また改めてお礼にうかがうとして、今日は例の件の返事を聞きに来たのじゃが……どうか?」

 

 予想していた内容に、先程の穏やかな気分がえてしまった。

 俺は弟をかばうように前に出てサンに目配せをし、弟とアースを連れて少し距離を取ってもらった。

 先程と違って弟は不安そうに俺を見ていたが、今はそれを気遣きづかってやれない。俺はある程度の距離を置けた事を確認して、龍長様に向き直った。

 

「大変に有り難いお誘いではありますが、俺の意思は変わりません」

「そうか……。残念じゃのぅ。お前なら実力や知識も申し分ないし、適任なのじゃが……」

 

 長い顎鬚あごひげさすりながら言われた内容に、頭を下げる。

 

「ご期待に沿えず、申し訳ありません」

「ふむ……なら、お前の弟はどうじゃ?」

「――――ッ、……え? 今、なんと?」

 

 予想外の提案に、俺は下げていた頭を上げ、龍長様を警戒するように見つめる。

 当の龍長様はそれに気付かず、呑気に変わらず顎鬚を摩って晴れた青空を仰ぎ見ていた。

 

「向こうも急いでいるようじゃしな。しかも今度の当主はまだまだ若いそうで、お前か弟くらいが丁度良い話相手にもなりそうじゃと思うてな」

「し、しかし弟は、ご存知かと思われますが、目の色が……」

 

 なるべくこちらの動揺どうようを気付かせまいと平静を装うが、緊張で冷や汗が額に浮かんでしまうのを止められない。

 

「あぁ、もちろん知っておるわ。じゃが、それも普通の家庭であればの話。あの男の血が流れているなら、目の色も力の問題も、些末さまつなことじゃろう」

 

 再びこちらに向けられた龍長様の目は、既に鋭い眼光へと変わり、こちらの心情を見抜こうとしているのが嫌でも伝わって来た。

 これが、龍神の血をわずかでもその身に宿す人間の威圧感だと、身を持って知る。自身に流れている龍の血がどのくらいの強さなのかは知らされていないが、龍神より上である事はない筈だ。

 ついに俺は息苦しさに耐えきれず、膝を付いてしまった。

 

「かっ、はぁ、はぁ……」

「兄ちゃんっ!」

 

 弟の声を聴いて、あまり無様なところは見せられないと無意識にん張ったのか、気を失うという情けない結果にならずに済んだ。

 ようやく正常な呼吸が戻って来た事に安堵し、ゆっくりと息を整えていれば、サンを振り切って駆け寄ってきた弟が心配して顔を覗き込んでくる。

 

「下がってろ……、お前にはきついだろう」

 

 したたってくる冷や汗を手のこうで拭い、ゆっくりと立ち上がる。

 

「うぅ? 何のこと。僕より兄ちゃんの方がつらそうで、見てられないよ!」

「なに?」

 

 俺は信じられないものを見るような目で弟を見るが、確かに平気な顔をして俺の隣に立っている。

 先程の効果は俺限定のものだったのか? 後ろに居るサンを振り返って見たが、俺と同じように疲労が見える。つまり、俺限定ではなかったという事だが……さて、この状況にどう結論を付けるべきか。

 たまたま一番後ろで護られていたから距離的な理由で効かなかったのか? それとも加護の薄さが幸いして効かなかったのか? あるいは単純に幼い子どもだから? どれも決め手に欠ける気がする。

 

「ふむ。年甲斐としがいもなく、少し感情的になりすぎたかもしれんな。許せよ。また日を改めてくことにする。その時は良い返事を期待しているぞ」

「あ、はい。お気をつけて」

 

 思考の中に沈みかけた意識が龍長様の言葉で浮上し、すぐさま取りつくろってその背を見送る。

 どうやら龍長様は気付いて居なかったようだ。


「兄ちゃん?」

 

 心配する弟の腕の中には、眠そうにしているアースが居た。

 こいつの能力とも考えられるが、そんなものあるのだろうか? いや、聞いたことがない。

 俺は頭を振って考えを振り払い、少し外に長く居てしまった事を反省する。

 

「俺は大丈夫だから、早く家へ帰ろう。長く外に居て疲れただろう?」

「あ、えーと、僕はまだ大丈夫だよ。それにせっかくの外だし、近くの森へ遊びに行きたい」

 

 弟からの珍しい希望に、俺は少し思案してから頷く。

 

「解った。俺はこのまま帰るから、陽が沈むまでには帰って来るんだぞ」

「うん、解った! いってきまーす!」

 

 嬉しそうにはしゃいで駆けていく弟を見送り、傍にいるサンへ振り向く。

 

「すまないが、護衛を頼む。何かあればすぐに知らせてくれ。俺は父さん達と少し話がある」

 

 先程の事で体力が消耗しょうもうしただろうが、弟は無意識に体力を消耗している可能性もある為、念の為に見張りを付けることにした。

 サンも同じことを考えていたのか、すぐに頷いて追いかけてくれた。

 

「…………俺の杞憂きゆうに終わればいいのだが」

 

 相棒の背を見送った後、すぐに両親を探しに向かった。

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