シティ
オレンジ11
第1話 シティ
シティに入った瑠璃が案内所の扉を開けると、サトナカはいつものようにカウンターの中にいた。サラリーマン然としたスーツを着てピンと背筋を伸ばして立つサトナカは、瑠璃に向かってほほ笑んだ。
「白石瑠璃さんこんにちは、ご用件をどうぞ」
口角はしっかり上がっているけれど大きく見開かれた目。サトナカを見ると瑠璃は、保育園で見た腹話術人形を思い出す。サトナカは大人だけど、なんだか似ている。
「図書館の鍵、貸してください」
「少々お待ちください」
サトナカは後ろを向くと、壁にびっしりと並ぶ臙脂色の小さな引き出しの一つを静かに開けて中から金色の鍵を取り出し、瑠璃に向き直る。
「どうぞお楽しみください」
瑠璃は、小さいがしっかりとした重みのある鍵を受け取った。
すると周りの景色が揺らぎ、目の前がすっと暗くなる。そして次の瞬間には、瑠璃は図書館の前に一人で立っていた。
(今日は飛ばしてくれたのか)
もし飛ばしてくれなかったら徒歩での移動になるから、シティ滞在時間の半分しか図書館にいられなくなるところだった。そう思うと、ほっとした。
丘の上に建つ図書館は、プラタナスの木立に囲まれた茶色いレンガ造りの洋館だ。木立の根元には、ネモフィラが群生している。
シティの時間と季節は現実世界と連動していて、穏やかな春の陽が新緑とネモフィラの淡い水色を浮かび上がらせている。それらの鮮やかさから瑠璃は目をそらし、足を早めた。
また、来てしまった。しかも今日は高等部入学式の二日後。新年度開始早々、またやってしまった……そう思うと、いてもたってもいられず、早く図書館の中に逃げ込みたくて、瑠璃は入り口の石段を駆け上がり、急いで鍵穴に鍵を差し込んだ。
カチャリ、と小気味いい音をさせて鍵が開く。ドアノブを掴んで回し、向こうに押すと、ドアはゆっくりと開いた。
瑠璃がドアを閉めると、館内を照らすのはブラインドから漏れる光だけになった。
薄暗い館内には、少し埃っぽいような、古びた紙の匂いが漂っている。この匂いが瑠璃は好きだ。
右手にはカウンターと二階へ続く階段。左手には天井までの高さの書架。
瑠璃はいつものようにモスグリーンの絨毯の上を足早に進み、カウンターの奥にある小ぢんまりした作業室に入ると、壁際に設置された机の上に置かれたデスクランプから垂れる真鍮の短い紐を引いた。
カチリ、という微かな音と共に、柔らかい灯りが幾何学模様のステンドグラスに灯る。瑠璃はほっと息をつき、ビロード張りの椅子に腰を下ろした。ランプが照らす机の上には、春休みにタブレットで読んだ本が十冊、きちんと積み重ねてある。
(本なんて読まずに勉強すべきだったのに。どうして私はいつもこうなんだろう)
瑠璃は本の山を見てため息をついた。
どうしてか、物事を計画立てて進めることができない。
だから中等部では赤点ばかり。
担任、両親、瑠璃、校長先生を含めた五者面談では、
「高等部では赤点が三つあると留年になるが、大丈夫か?」
と何度も念を押され、その度に
「はい、頑張ります」
と答え、やっとのことで高等部進学が認められた。
いつもは優しく感情をほとんど出さない父親も、さすがにあの時は不機嫌だった。
高等部進学の条件として、欠席日数を減らすことはもちろん、春休み中にがっちり中等部の復習をすることも求められた。なのに私は――そこまで考えて、瑠璃は思考を中断した。
せっかく嫌いな算数を一時間も頑張って(途中で何度か息抜きしたが)、三十分のシティ滞在時間を獲得したのだ。せめて今は、好きなことに没頭しよう。
やってしまったことは仕方ないのだし、明日からのことは現実に戻ってから考えればいい。
瑠璃はまた本に視線を戻した。
『推し、燃ゆ』、『カラフル』、『コンビニ人間』、『ツナグ』、『午後の曳航』、『東京の子』、『悲しみよこんにちは』、『星の王子さま』、『西の魔女が死んだ』、『燃えよ剣』
この十冊は、現実世界で瑠璃のタブレットに常駐している方のサトナカが選んだものだ。
瑠璃の「私にぴったりの本、選んで。昔のがいい」という指示に基づいて画面に表示されたのをインストールして、読んだ。
タブレットにいるサトナカは、シティにいるサトナカと同一のプログラムだが、姿かたちを持たない。
瑠璃が口頭または画面への入力により質問をすると、タブレットのサトナカはウィンドウに回答を表示する。話すこともできるのだが、瑠璃が耳から聞くよりも文字で回答を読む方を好むからだろう、タブレットのサトナカは滅多に話さない。
サトナカが選んだ十冊をざっとブラウズしてみたところ、どれも瑠璃の興味を惹きそうなそうな内容だった。が、『燃えよ剣』だけは解せなかった。あらすじを読むと「新選組」という武士たちの物語で、瑠璃の特性とは無関係に見える。
「サトナカ、『燃えよ剣』ってどんな話? どうして選んだの?」
瑠璃はきいた。
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