少女、犬、そして男。



 一人は幼さを残した少女。ベッドの上にいて、脅えたような顔で見上げている。

 もう一人は、二十代後半の男。脱ぎ捨てたシャツを振り返りもせず、無言で近づく。


 男は首輪を投げる。

 少女はおそるおそる、それを手に取る。


 自分の手で、首に、はめる。


 男は厳しい視線を送り、少女を見下ろす。

 少女は薄い色の毛をそっと撫でて、息は荒くなる。


 犬。


 犬は、腹を出している。

 男の手が、そのむき出しの腹を撫でると、気持ちよさそうに、声を漏らした。


「……わん」




「ごめん……なさい」


 少女の懇願するような謝罪の声に、男は一顧だにしない。


「こういうとき、どうするってオレは教えたっけな」


 はっとして、少女はすがりつくような瞳で、男を見上げる。


「お願いします……」

「で、オレは、どうすればいいんだ」

「この犬のこと、かわいがって……ください」


 首輪は、きつくしまっている。

 繋がれている。


 少女は苦しそうだ。


 ベッドの上で、少女が息を漏らす。

 男は、静かに言う。


「仕方ないな」


 少女はほっとしたように、目を潤ませる。

 それを見計らって、男は続けた。


「なら、外で散歩でもしてくるか」

「それは……」

「へえ。イヤか。オレと一緒じゃ、イヤってことか」


 わずかに面白そうに、男は口角をあげた。


「さて、どうしてやろうか」

「その……」

「犬は、犬らしく。そうだろ」


 声が、小さく聞こえた。


「……わん」





 裸の犬が、そこにいる。

 首輪をしていて。

 繋がれて。


 男の手には、その首輪に繋がるリードがある。

 リードを引っ張ると、犬は苦しそうに、うめく。


 外にいると、他人から声をかけられることもある。

 男はそういうのはあまり好きではない。


 だから、あまり人に会わないような道を選ぶ。

 犬は、四つん這いのまま、進んで行く。


「どうした」


 男が連れているのは犬だ。犬には人間の言葉は使えない。

 わん、と鳴くしかできない。


「おしっこか」


 答えはない。


「……するなら、そこの電柱にしろよ。それともなんだ、見てほしいのか」


 犬は、道ばたで、してしまった。





「なるほど。一匹、大きいのを飼ってるんですか」

「ええ。手間がかかるやつで」


「繋いどかないと逃げますからね。最近はうるさいですから」

「飼い主の責任ってやつですよ」


「道具は使ってます?」

「いや、あんまり。ただ……餌はちゃんとやってますよ」

「それは良いことですね」


「あと、毎晩かわいがってます」

「……スキンシップをしないと、すぐに拗ねますからねえ」

「結構大人しいですからね。うちのやつは」

「いいですねえ。うちのはうるさくてうるさくて。周りに聞こえないよう気を使うんですよ」


「まあ、けっこう叫びますからね」

「静かにするよう、躾してはいるんですが……なかなかね」


「ま、犬ですからね。難しいですよ」

「ええ。最初はキャンキャン鳴くやつを、従順にする。それもまた楽しいというか」

「おっと、オレはこっちなんで」

「ああ、これは失礼。では、また機会がありましたら」


「ええ。あ、そうだ。今度うちのやつの写真でも持ってきましょうか」

「うちは動画で撮り貯めてますよ。そのうち鑑賞会でもします?」

「それもいいですね。では」

「では」




 裸の犬が、首輪に繋がれている。

 逃げ出せないように。

 犬は、逃げようという気などないかのように、その部屋の中で大人しくしている。


 男が部屋に入ってくる。

 犬は、期待に満ちた目で、男を見上げる。


「……わん」

「ああ、今日も可愛がってやるよ」


 お尻から生えている、大きな尻尾を、そっと撫でてやる。

 犬はくうぅんと甘えた声を出す。


 気持ちよさそうに、犬はごろんと転がる。

 その腹を、男は素足で軽く踏んでやる。


 犬は嫌がらない。

 素直に、その足を受け入れて、息を荒くする。


 今は夜だ。

 頭の良いこの犬は、大声で喚くようなことはせず、声を抑えている。


「そら、ご褒美だ」


 突き入れたそれを、犬は嬉しそうにくわえ込んだ。

 とても美味しそうに、恍惚とした表情で、よだれを垂らしながら。





 犬は、裸だ。

 いつでも、裸だ。


 つけているのは、首輪だけ。

 それだけで、十分だった。


 主人と飼い主。

 その関係に、犬はとても喜んでいた。


 遊んでくれる。

 優しくしてくれる。


 怒られるときもあるが、気持ちよくしてくれる。

 服従のポーズをするのも、嬉しい。


 彼は、最高の飼い主だった。

 

 



 少女は、男を睨んだ。

 男は楽しげに笑っている。


 少女は、犬ではない。

 男に好き勝手にされたことを、少女は怒っている。


 犬は男を飼い主だと思っている。

 男を見ると、つい尻尾を振ってしまう。


 もう、それは身体に刻み込まれた関係だった。

 手遅れだった。

 少女はしばらく怒っていたが、もうどうしようもないことだと受け入れた。


 犬は、男のモノになった。

 犬ならば何も考えなくて良い。

 それはとても幸せなことだと、少女はぼんやりと、思った。


「……わん」


 何もかもを諦めて、少女は切なげに、笑った。

 代わりに、男のモノとなった犬は、ただ、その幸せに浸っていた。

 




【後書き】

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 ネタバレ。犬。少女。男。部屋の中にいるのは二人と一匹です。

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