第23話 一人の僧侶と有名武将の霊
【深山幽谷】
――松林を抜けると急に視野が開け、そこには短い草ばかり生えた原っぱがあった。
山はそこで終わりを遂げ、ここから先は直角に切れこんだ断崖絶壁になっていた。
眼下には見渡す限りの展望が開けていた。
――地上は遥か下だ――
――飛ぼう―― 俺は即座に決断した。
――断崖の端を蹴って宙へ舞った――
〈恐怖感はまったくない。これが夢だったら恐くて絶対飛べないし、近づきたくもないだろう。異次元世界だとわかっているから飛べるのだ〉
獲物を狙う鷹のように――悠々と大空を回遊する。
――実に雄大な眺めだ――
飛んでみると――地上までかなりの高度差のあるのがわかった。
――風をつかまえて上昇する必要はまったくない。
地上にはなだらかな斜面の大地にそって――うっ蒼とした――深く、そして黒く見える森が果てしなく続いている。
――なんとなく昔住んでいた木曾の風景に似ており――懐かしい風景のように思えた。
――が、しかし――ここは現代とはほど遠い太古の森林である。
――道らしきものさえ見あたらない。
文明のこん跡はいっさい認められず、ただ――貝のように押し黙った黒い森が横たわっているだけだった。
――上空をまるでグライダーのように、右に左に旋回滑空する。
誘導霊が二基の推進エンジンになっているのだろうか――俺の左右の腕を両がわからしっかりと抱えこんでいる二体の霊の存在が感じられた。
機械の力を借りずに――生の肉体だけで飛んでいるのだ。
こんなことは人間にはとうてい真似できない。
――霊にあたえられた特権だ――
〈みなさんもあの世へ行ったら満喫してください。――寿命を迎えたらですよ〉
俺は大空を飛ぶ楽しさと――下界の素晴らしい眺めを満喫した。
人間もこんな事が出来れば、イヤなことや悩んでいることが、一気に吹き飛んでしまうものを……。
――それにしても集落がまったく見あたらない。
そこで取りあえずは――自分の家のあった辺りに行ってみることにした。
――なんとなくここが俺の生まれ育ったあたりの〈この世界での投影〉なのかなと〈直感的に〉思い始めていた。
――確かこの辺りだと思い、上空をトンビのように旋回していると――一軒の古めかしい農家のあるのが見えた。
――よし!ここがいいだろう――と、早速降りてみることにした。
農家の脇に立つと何ともいえない、長閑な雰囲気がただよっていた。
なつかしさがプーンと臭ってきそうだ。
時間が止まった世界とでも言おうか――まったく時の流れを感じさせない不思議な空間であった。
――実に長閑だ――
農家の並びに古めかしいお堂があった。
ここの住人が仏事に勤しむためのものなのだろうか。
観音開きの扉が少し開いている。
――誰かがいそうな気がして中を覗いて見た。
すると、仏前に一人の僧侶が座しており、ひたすら瞑想に耽っていた。
頭に被った頭巾や、身にまとった法衣・袈裟などには、豪華に金箔が張られていた。
――が、その金箔がところどころ剥がれ落ちていて、なかなか時代がかった価値あるもののように思われた。
ただならぬ気配を感じさせるこの僧侶さえ、何百年もの年月を経た骨董品のように思える。
――たちまち俺の中の好奇心が疼き始めた。何か、話しかけてみよう。
――すみません――
俺は腰折り加減に声をかけてみた。
――僧侶は振り向くと――俺に何かを感じたのか、
「ほう、どこから来た」と、こちらが何かいう前にいきなり聞いて来た。
「人間界から来たんですが……」
と答えたが、あまり言葉にはならなかったようで、聞こえたかどうか定かではない。
僧侶はつぎの瞬間――スッと右の間に移っていて――斜めの位置から俺と正対した。
きちんと正座して――まじまじと俺を見つめている。
――隙がない――
――その立ち居振る舞いには一分の隙もうかがえず――年季のはいった金箔の袈裟が、ますます位の高さをうかがわせた。
そろそろ行こうと思ったが――名前だけはしっかり聞いておこうと――あらためて聞いてみた。
「あのう、お名前は……?」
「加○○正」
「えっ!」
俺が意表を突かれたような顔をしていると、再び、
「加○○正じゃ!」
と、僧侶は、堂々と臆することなく言った。
突拍子のない名前を聞かされたので、本当かどうかと、僧侶の顔をしげしげと見つめた。
いかめしい顔つきだ。
目をカッと見開いて、俺を見据えている。
しわだらけの顔は、面長だが荒削りな精悍さを漂わせていて――いくぶん頬が角張っていた。
ツヤが出るほどの見事な日焼けをしており、少し浅黒いようだ。
しかし、体格はいかつくガッシリと、堂々とした風貌だった。
――さすがに戦国の気風を感じさせ、毅然として一分の隙もなかった。
武士の面がまえである。
俺を真正面から見据え、「名前は……?」と、逆に俺の名前を聞いてきた。
こちらも名乗った――が、名乗るほどの者ではない。
「では主人を呼んでくる……」
といって、俺がついてくるのを見越して、サッサと家の中に消えていった。
俺も追いかけるように――家の中に入って行った。
農家風の造りではあるが、ちゃんと座敷と床の間があり、武士の隠居住まい、あるいは隠れ住まいといった雰囲気であった。
なんとなく昔住んだ我が家に似ている。
――俺は導かれるように、この家の中心的な客間であろう座敷に座っていた。
――もはや僧侶は現れなかった。
不思議だったのは――一度、衣冠を着けた人物が主人の座に現れたと思ったら――すぐに消えて、またつぎの人物というぐあいに――何回か入れ替わったことだった。
これは一体、なんなのだろうか?――いまだにわからない。
――そのうち、家来らしき狩衣を着た男が、向かって左手に座った。
上座は空いていてそこに座るべき人物を待っている。
――いよいよ現れた――
まるで能の舞台でも見ているような身のこなしで――脇の廊下から出てきたのは、威厳のある爺さんだった。
白衣に絹の袴をはいて――もちろんちょんまげを結っている。
水戸の御老公のような人物であった。
――まるっきり時代劇の世界に入り込んでしまっている――
老人は武士らしく物腰に風格があったが、顔には穏やかな笑みを浮かべていた。
老人は上間へは座らず、まっすぐ俺の座っているところに来て、俺の手を握り、
「いやぁ、○○さん。いつも世話になっております……。驚かせてしまって申し訳ございません――」
――と、なぜ知っているのか、俺を姓で呼び挨拶をしてきた。
やけに親しげな話しぶりだ。俺を知っているのだろうか。
ともあれ――こちらも――、
「あんた何者?」
とも言えず、訳のわからないまま、適当に調子を合わせることにした。
長居はできないが――せめて名前だけはしっかり聞いておこうと思って訊ねてみた。
「すいません。お名前は……?」
すると、少し困ったような顔をして、ちょっと間を空けてから――、
「年寄りのことで、あまり喋りすぎては、差し障りがありますので……」
と、なぜか名前を明かすことを渋った。
最後のほうはあまり聞き取れなかったが――俺は老人の気持ちが痛いほど良くわかった。
――俺は老人の気持ちを察し――納得した。おそらく名の知れた人物だったのではないか。それゆえにおいそれとは語れなかった。
霊界の不問律のようなもの――禁忌――異次元世界の人間にたいして、あまり話しすぎてはならないのだ。
――秘密の多い世界なのである――
無理に聞いて、この老人に迷惑がかかってはならない。
俺に会ってくれたし、貴重な体験もさせてもらった。
どなたかは知らないが――その気持ちだけで十分だ。
俺はそれ以上聞かず、立ち去ることにした。
廊下に出ると、老人も見送りに来てくれて、
「何か土産を……」
といいながら中庭におりて、昆布か何かを見繕っている。
俺は――人間界へどうやって持ち帰ればいいのだろう――と思い悩んでいると、そこへ母そっくりの人が来た。
人も集まってきたようだ。小さな家にしては多すぎる人数である。
「ちょっと持って行けないし、どうしようか……?」
と、相談するように話しかけると、母も、
「いいよ、いいよ。行っちゃいなよ」
と、俺に目配せした。
なぜ、こんな所に母さんがといぶかしく思ったのだが――母本人でもないようだし
――母の背後霊なのだろうか?
本人よりもきつい感じの顔だが――似ているから関係がありそうだ。
この母そっくりな人(霊)には今までに何度か会っている。いろいろ助けてくれるのだ。
なごり惜しかったが、家を出ようとしたところで、幕が閉じられていった。
♥本人かどうかはわからないが、誰でもが知っている有名武将の名前を、はっきり名乗ったのは確かである。
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