第9話
気づけば雨はしとしと……と小粒で降っている。
そろそろ止みそうだ。
隣にはオフの姿でくつろいでいるるびぃ……麗奈の姿。
柚はその正体にはまだ気づいていない様子。
「はぁぁ〜〜〜〜つっかれたぁぁ〜〜〜〜」
ソファに背もたれに思い切り寄りかかって、完全にくつろぐ。
生徒会活動してる時の麗奈そっくりだ。
(オフのるびぃさん、可愛い……)
普段は見られないオフのるびぃを見てつい見惚れてしまう。
キメ顔の写真が多い中、ゆっくりしているところを見ると、安心するというか……。
とにかく、こんなるびぃのショットは貴重だ。
「ねぇねぇ柚ちゃ〜ん……」
「は、はい……!何でしょう……!」
急に甘えた声で名前を呼ばれて心臓がぴくんと跳ねる。
「ハグとか急にされたら嫌なタイプ……?」
「へっ……は、ハグ、ですか……!?」
「そうそう〜こっち側何も無いし寂しくて〜……」
左腕をぴんと伸ばして、上下にぶらぶらさせて見せる。
麗奈の左側には何もない。あるのはひじ掛けだけ。
でも、彼女が欲しいものはぬくもり。
「柚ちゃんに寄りかかっちゃダメかな〜って……」
「え、えぇ……!?」
「ねぇ、いーい?」
「え、えぇっとぉ……」
恥ずかしくて、照れくさくて……もじもじしながら俯く。
「ありがと♡」
答えなんて聞く前に、柚の身体にぎゅっ……。
「えっ……!?」
「あ〜〜柚ちゃん可愛いぃ〜気持ちいい〜あったかぁ〜い……」
(癒しだ……♡)
「……っ!?」
まだ寒気のあった柚の身体は、今ので完全にぽかぽかだ。
身体中あったまって心地よいが、それよりもドキドキしている。
やはり、こんなのおかしい……推しが目の前にいて、さらに触れられるだなんて……。
「おまたせ〜って……こら!お友達の前でみっともない姿見せない!」
「ファンの数減るわよ!?」
「この子ファンだよ〜」
「えっ……?」
「もっとダメじゃない!オフすぎ!!」
口出ししながらも、タオルを取って戻ってきてくれた五十嵐マネ。
そして、お弁当も。
「はい、これお弁当ね……」
「あ、あの……おいくらでしょうか……」
「えっ?いやだ〜もう〜要らない要らない!さぁ!食べて食べて!」
「で、でも……!」
「大丈夫だよ!遠慮しないでっ!」
「……っ」
こちらに向けられる笑顔を見るたびにドキッとしてしまう。
段々と慣れてきたけど……今の状況に慣れる方が怖い。
「それじゃ、私は先に失礼するわね、柚ちゃん、ゆっくりしていっていいからね!」
「あ、ありがとうございます……っ」
「さいなら〜〜!」
五十嵐はもう帰るようで、奥の方へと去っていった。
これで完全に柚とるびぃの二人きり。
「じゃ、食べよっ!」
「は、はい……!」
「いっただっきまーすっ!」
「おぉ〜!焼肉弁当だ〜!」
「柚ちゃん!これ当たりだよっ!」
弁当の蓋を開けて子どものように喜ぶ麗奈。
やはり、芸能活動している人にとって、お弁当は楽しみのひとつなのだろう。
「えっ、お弁当に当たり外れあるんですか!?」
「ん〜全部美味しいからハズレは無いけど、焼肉弁当は当たりだって事務所の先輩たちが言ってるの!」
「そ、そうなんですか……」
(こんな美味しそうなもの……わたしが……)
麗奈はパクッと初めのひとくち。
「ん〜っ!美味しい〜!!」
味はもう知っているはずなのに、何回食べてもおいしい味。
麗奈もこのお弁当が大好きだ。
お米は真っ白で粒立ちがよく、つやがあってキラキラしている。
そこに焼き肉のタレがかかっていて、輝きのある茶色が染みている。
牛肉は薄く切られていて、脂身の乗ったもの。
口の中に入れた瞬間、香りが口いっぱいに広がり風味を感じられる。
タレは甘めで、同時に旨味も感じられる熟成されたタレだ。
お米も牛肉も国産で、いわゆる高級焼き肉弁当だ。
「食べてみてよっ!」
「は、はい……!いただきます……っ」
「んっ……」
そう言われて柚もひとくち。
「どーお??」
「お、美味しいです……!」
「食べてるとこも可愛いなぁ〜♡」
「えっ……!」
「あははっ♡」
お弁当をもぐもぐ食べているかわいいファンを見て、無邪気に笑う麗奈。
隣で微笑んでくれる柚を見られて、うれしいのだ。
「あ、あの……こんな事言うのも何ですが……」
「ん〜?」
「るびぃさんは、お時間大丈夫ですか……?私は全然1人でも……」
「何言ってるの!君を1人にするわけにはいかないよっ!君可愛いんだし、こんな暗い中ひとりで歩いてたら誘拐されちゃうよ!」
「ゆ、誘拐……!?」
「そうだよ!だから私も待つ!一緒に!」
「あ、ありがとうございます……」
「いえいえ〜!ゆっくり話せるしね!」
「……」
麗奈は本気で心配したような声で言う。
こんな暗い夜道、しかも雨も降っている中を一人で歩くなんて危険すぎる。
少しの沈黙の後、柚が口を開く。
「本当にいいのでしょうか……」
「えっ?」
「私……るびぃさんのファンなのに、こんなに親しくしていただいて……申し訳ないといいますか……。私なんて、ファンの中の下ですし……」
「は!?そんな事ないでしょ!!」
「えっ?」
「柚ちゃんは私の一番の可愛いファンだよ!!」
「……っ」
「私、嬉しいんだよ……女の子のファンがいてくれて……しかもまだ高校生でしょ?そんな若い子が知ってくれてすごく幸せ……可愛いし……」
「可愛い可愛いって……!照れてしまいます……っ」
「あははっ事実言ってるだけだよ〜♡」
「……っ」
ころころ表情を変える麗奈。
優しい口調になったり、真剣になったり、甘々になったり……。
そういうところにも、惹かれる。
「……やはり、ファンは男性が多いのですか……?」
そんな時、素朴な疑問。
「ん〜そうだねぇ〜……私とまりんは男性が多めかな〜」
「そう、ですか……」
「ん?どうしたの?急に……」
「い、いえ……その……男性って、なんかその……綺麗な女性の身体に興味ある人が多いじゃないですか……それが嫌で嫌で……」
「柚ちゃん……?」
柚が綴る言葉に対して、少し驚く麗奈。
「世間ではニュースとかで良く見ますけど、セクハラとかが多くて……」
「どうしてファンなのにそんな事するんだろって、私には全くできません……身体だけに興味もって、変な事考える人が、私は嫌いです……」
柚は純粋の意味で”紅玉るびぃ”が好きなのだ。
恋とか恋愛感情とかではなく、ひとりのファンとして。
初めてできた推しだ。
だからこそ、大切に推したいし、ずっと見ていたい。
そういう心無い人たちの言動は許したくない。許せない。
「少し悪口にはなりますが……そういう人、気持ち悪いです……きっと女性はみんなそう思ってます……だから、その……」
(柚……)
「私が言うのも変ですが……るびぃさんには、そんな目に遭ってほしくないなと思って……」
「……」
「す、すみません……変な話で……!」
「ううん、変じゃないよ……心配してくれてありがとね……」
「……っ」
少し悲しそうな……目を細めて微笑んでお礼を言う。
心配してくれるのはうれしいことだ。
でも、心配させてしまっていることはよくない。
ファンの子を不安にさせるわけにはいかない。
「確かに、そういうニュース多いよね……さっきさ、私が中学生の時に推してたモデルさんの話したじゃん?実際にその人もセクハラに遭ってさ……そこから怖くなったよ……正直、気持ち悪いとも思ったし、そんな事するならファンじゃないじゃん、とか思った……」
「でもね、そのモデルさん、今も続けてるんだよ……頑張って……自分でたっくさん努力して……その姿に憧れた……どんな事があっても決して夢を諦めない人で……かっこいいなって……」
「……っ」
麗奈は、そういう人にも憧れた。
”夢を叶えた”で終わりじゃない。
ゴールじゃない。
”スタート”なのだ。
例えどんなことがあろうと、夢を壊させない。諦めない。
そんな彼女たちの強い意志が麗奈の心を動かした。
自分だって、夢を諦めたくないから。
かっこよくて、好きになって、憧れて。
ずっとずっと追いかけてきた人たち。
”私もあんな風に強くなって輝きたい”。
この思いは、胸の奥に静かにしまっている。
「心配してくれてすごく嬉しいし、ありがたいよ……。でも私は大丈夫!絶対そんな事させないから!」
「……るびぃさん」
そう言ってファンの前では強がって笑顔を見せる麗奈だが、本当はすっごく怖い。
セクハラのニュースだなんて、今では毎日見るような悪質なものだ。
あんなこと、自分がされるだなんて考えたくもない。
想像しただけで、気持ち悪い。
過去のトラウマを思い出す……。
「……柚ちゃんこそさ、何かあるんじゃない?」
「え……?」
思わぬ問いに体が反応してしまう。
「言いたくないなら聞かないし、無理に言わなくてもいい……。でも、溜め込まないで。言えることなら、言ってほしい」
「……」
言葉が詰まってしまう。
人と話すことは、ただでさえ苦手なのに、自分のつらいことを話すなんて……。
泣いてしまいそうで、怖い。
でも、彼女になら……伝えられるかもしれない……。
少し間を空けてから、ゆっくりと口を開く。
「……実は、さっき嘘ついちゃって……」
「え……?嘘って、なんの……?」
「鍵、あります……」
柚はポケットから恐る恐る鍵を取り出す。
「えっ!ほんとじゃん!持ってたんだ……」
「えっ……理由、聞かないんですか……?」
「ん~?だって、あえて隠してたっていうことは、言いたくない理由があるからなんでしょ?」
「……っ」
図星だ。
柚には言いたくないことばかり。
人に話すのは怖い。
話した後にどんな反応されるかとか、想像して話したくなくなってしまう。
人が怖い。
でも……きっと、るびぃさんは違う。
ちゃんと、向き合って聞いてくれる気がする……。
「大丈夫、私も同じだからよくわかるよ」
「えっ……」
「家に帰るの、こわいの?」
「……っ!」
これもまた図星。
どうしてわかるのだろう……。まだ何も話していないし、お互いのことなんて何も知らないのに。
「……はい」
「そっか……そうだよね……」
「私も家が嫌な時あったなぁ~、疎外感というか……何もかも空っぽ……そんな気がしてさ。一時期、家に帰るのが怖くなっちゃったんだ……家に帰ることで、まるで現実を突きつけられたみたいに感じるから」
微笑んで語る麗奈。でも、どこか儚く、無理して作り出した微笑みに見えた。
そして、ずっと遠くを見つめている。
「同じ……なんですかね……」
「あははっ、そうだね。似た者同士……かなっ?」
「……」
嬉しいような、嬉しくないような……そんな、複雑な気持ち。
でも、確かなことはある。
”今、隣にいてくれることがすっごく嬉しい”。
「話してみても、いいですか……?」
「……うん、もちろん。自分のペースで、ゆっくり話してみて」
「ありがとうございます……」
心の奥で深く深呼吸を1回して、話し始める。
「わたし、先ほどの通り、家が怖くて……。家族は母と、父と……それから年の離れた姉がいて……」
「昔はすっごく優しくて、わたしたち姉妹に平等に接してくれてたんです……。でも、お姉ちゃん、とても頭が良くて……。それに比べてわたしは、全然テストの点数取れないし、成績も悪いしで……。目の前でお姉ちゃんだけ褒められるのを見るのがつらくなって……」
「……」
麗奈は何も言わず、黙ったまま柚の揺れる瞳を見つめて真剣な眼差しで聞いている。
「それで、お姉ちゃんはとある地方の大学に受かったので、家を出て行ったんです……。そこからがしんどくて……。これまで優しく接してくれていたのに、お姉ちゃんと比べられ続けて、毎日説教の嵐で……怖くて……」
「柚……」
今まで黙って聞いていたが、柚の震える体を見ていたら、もう我慢できない。
気づいたら柚の背中に手を伸ばして、優しくさすっていた。
「だから、もう家になんて行きたくなくて……どうしようって……っ」
柚の揺れていた瞳から、大粒の涙がぽたぽたと落ちる。
次第にその涙は、柚のスカートに落ちて、濡れた染みとなっていく。
「よしよし……」
かけてあげられる言葉が見つからない麗奈は、ずっと撫でて触れるしかできることはなかった。
でも……」
「じゃあ……私が今、いっぱい褒めてあげるっ」
「……え?」
「柚はこれまでたくさん頑張ったよ……ほんと、生きてるだけでもえらい……そういう周りからの目とか態度とか、怖いよね……。でもさ、それも乗り越えられたから、今こうして話せてるし、生きてるんだよ?すごいよ……えらいよ……。ほんっとにえらい……ほんと、頑張ったね、柚……」
ぎゅっと柚の震える体を全身で抱きしめながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「うぅ……っ」
まるで、これまでの我慢や苦しみの縄が解けていくように涙が溢れてくる。
また、あたたかい胸に包まれているから……というのも涙が溢れてしまう理由のひとつだろう。
つらいことや悲しいことがあった時、誰かに寄り添ってもらうと自然と涙が溢れてしまうのだ。
強い弱いなんかじゃない。
”人間”だから。
今までのすべてを、肯定してくれた気がして、とても嬉しかった。
これまで人間のあたたかみを知らなかった柚にとって、どれだけその言葉で救われたか。
これは、”推しだから”という理由ではない。
きっと同じような経験をしてきた人が寄り添ってくれたからだ。
それも、とても丁寧に。
真剣に、見放さず、しっかり聞いてくれたことがうれしかった。
「ありがと……っ、ございます……っ」
涙が溢れて止まらない目をこすりながら、必死に思いを伝える。
「……うん。いいんだよ、このくらい……。でも、今はゆっくりしよう?泣き止むまで、ずっとこうしてるからね」
「はい……っ」
その言葉が、声が……優しすぎて。
さらに涙が溢れてきてしまう。
好きな人に、こんな姿見せたくないのに……。
拭っても拭っても、隠しても隠しても……その涙は止まることはなくて。
麗奈のぬくもりと肌の感触に安心しながら、ゆっくりと目を瞑った。
「……」
(そっか……)
麗奈は、柚を包み込むように抱きしめながら、心の中で言葉を続けていく。
(そんなことが、あったんだね、柚……。学校だけじゃなくて、家まで……。でも、あの時……)
『今の私の居場所です……!』
先日言ってくれたこの言葉が脳内によぎる。
(これを聞いた時、すっごくうれしかったんだよ……ああ、柚にちゃんと寄り添えてるんだなって……支えられてるんだなって……。居場所を作れてるんだなって……)
(絶対に大丈夫だよ、柚……。生徒会のみんなは柚の味方だから。何があっても、絶対に離れない……離さない)
(そして……私、紅玉るびぃも、君の味方だよ……まぁ、如月麗奈、なんだけどね……。バレるまでは、こうしてていいよね……。ごめんね、裏切って……)
今の姿は紅玉るびぃ。
けど、心は如月麗奈のままだ。
今は如月麗奈……”麗奈先輩”として寄り添っている。
身体も、心も。
そして、そのあと麗奈もそっと目を瞑った。
外にはまだしとしとと降り止まないが、小雨の雨。
真っ暗な闇のようだが、二人の間にはぽっと柔らかい明りが差し込んでいるようだ。
どんなに外が暗くたって、今のこの空間は、あたたかくて柔らかくて安心する。
”今だけはこのままでいたい”……お互いそう思う夜のひと時であった。
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