第8話 外編『傾き相談所 ―藤井のリハビリ室―』
駅から少し離れた坂道を上ると、小さな建物が見えてくる。木の看板には、こう書かれている。
傾きリハビリ相談所
〜どんな傾きでも、お気軽に〜
扉を開けると、風鈴のような音が鳴った。
「いらっしゃい。今日はどんな傾きですか?」
カウンターにいたのは、かつて“傾けなかった男” 藤井だった。白衣の代わりに、やわらかなセーターとメガネ。表情は相変わらず真っ直ぐだが、その目には以前にはなかった“余白”がみえた。
今日来たのは、こんな人たちだ。
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最初に来たのは、少し後ろに傾いてしまう青年・岸本。
「最近、背中が重くて前に進もうとしても、誰かに引っ張られてる感じがして」
藤井は笑って言った。
「それは、誰かの想いが、そっと支えてくれてる証拠かもしれませんよ。背負ってもいい。でも重すぎたら、少し下ろす方法も一緒に考えましょう」
次に来たのは、左右に揺れ続ける青年・秋山。
「右に行けばよかったか、左にすればよかったか、毎晩悩んでばかりで」
「揺れることは、進むことです」
藤井は、少しだけ自分を傾けて見せた。
「波は揺れても、岸にたどり着きます。焦らずいきましょう。
そして、一度傾いたら戻れない男・斉藤も、ふらっと立ち寄った。
「ここに来たって、戻れるわけじゃないんだけどさ」
「戻らなくても、進める道を探しましょう。ここには地図もないけど、話すことで道が見えるかもしれません」
斉藤はちょっとだけ笑って言った。
「相変わらず真っ直ぐだな、お前」
「でも、今の俺は傾けますから」
誰もが、何かしら傾いていた。それでもいい。ここでは、傾いていても誰も責めない。むしろその“傾き”にこそ、名前をつけてあげる場所だった。
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ある日、ひとりの子どもが相談所にやってきた。
「ねぇ、“まっすぐ”って正しいの?」
藤井は少し考えてから、やさしく言った。
「“まっすぐ”が正しいんじゃない。自分の重心がある場所が、正解なんだよ」
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夕方、相談所の窓から差し込む陽が、斜めに床を照らしている。藤井は椅子に座りながら、小さくつぶやいた。
「傾くって、きっと、生きてるってことなんだな」
その背中もまた、ほんのわずかに傾いていた。でも、ちゃんと地に足をつけていた。
傾いても、倒れない。
倒れても、また立ち上がれる。
そんな人々が集まる、優しい相談所が、今日も静かに開いている。
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