第7話 番外編『リハビリ室の傾き方』

 藤井は今、リハビリ室にいる。


 あの日、突風に倒されて骨折した彼は、数週間の入院生活を送ることになった。そして今、リハビリが始まっている。


 最初に驚いたのは、理学療法士の女性がいきなりこう言ったことだ。


「藤井さん。今日は“傾く練習”をしましょう」

「えっ……?」

 思わず聞き返すと、彼女はにっこり笑った。


「身体のバランスを取り戻すには、傾くことを恐れないのが大切なんですよ」


 藤井は一瞬、言葉を失った。それはまるで、自分の生き方そのものを言い当てられたようだった。


「僕、まっすぐじゃないと……不安になるんです」

 思わず本音がこぼれた。


「わかります。でも、傾くって、倒れることじゃないんです。戻る力を信じることなんですよ」

 彼女の言葉に、藤井は少しだけ救われた気がした。


 それからというもの、彼は少しずつ“傾く練習”をはじめた。最初はほんの数度、身体を右に傾けるだけで、びくびくしていた。けれど、傾いても元に戻れるという体験を重ねるたびに、心にも小さな変化が生まれた。


 ある日、藤井はふと理学療法士に聞いてみた。


「傾いても戻れるって、人生もそう、ですかね?」


 彼女は黙ってうなずき、少しだけ自分の話をした。


「私も昔、大きく傾いたことがあります。病気で夢を諦めて……でも、傾いたからこそ見えた景色もあるんですよ」


 その言葉に、藤井の胸の奥に、すっと風が通った気がした。


 退院の日、彼はほんの少し、肩を斜めにして歩いてみた。誰にも気づかれないくらい、わずかに。


 でも、それは確かに“傾けた”一歩だった。


「まっすぐだけじゃ、前に進めないんだな」 

 小さくつぶやいた彼の背中は、どこか軽やかだった。

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