第10話

「よし、データのコピー完了!  イオリ、ずらかるぞ!」


 ユウトが叫ぶ。

 俺たちは全てのデータを確保し、第七セクターから脱出しようとした。


 しかし、通路に出た瞬間。


 ガシャァァン!


 背後の扉が自動的に閉鎖され、同時に、通路の前後が分厚い魔力障壁によって完全に塞がれた。

 そして、周囲の空間から、俺の超能力の働きを鈍らせる、特殊な抑制波動が放射され始める!


「くっ……体が……重い……!」


 俺の動きが明らかに鈍る。

 天井のスピーカーから、ゼファルの歪んだ声が響き渡る。


「フフフ……お待ちしていましたよ、如月イオリ。そして、余計な詮索をしてくれた、好奇心旺盛なネズミくん。貴重なデータごと、ここで大人しく捕獲させてもらいます」


 通路の両側の壁が開き、中から黒い戦闘服に身を包んだ強化魔導師たちが、武器を構えて次々と現れる。

 完全に包囲された。絶体絶命のピンチだ。


 万事休すかと思われた、その時。

 ゴウン、と重い音を立てて、近くにあった資材運搬用の古いエレベーターが緊急停止し、その扉が内側からこじ開けられた。


 現れたのは――息を切らせた、リュシア=ファルゼンだった。

 彼女の手には、兄アルトの形見だという、古びたペンダントが強く握りしめられている。


「副会長……いいえ、ゼファル!  あなたの思い通りにはさせません!」


 リュシアは決意を秘めた瞳でゼファル(の声がするスピーカー)を睨みつけ、ペンダントを高々と掲げる。

 そして、震える声で、しかし力強く詠唱を開始した。


 ペンダントが眩いばかりの白い光を放ち、周囲に満ちていた異能抑制の波動を中和していく。

 それは、彼女の兄アルトが、いつか現れるかもしれない自分と同じ力を持つ者――俺のような存在――のために、最後の希望として遺した、特殊な術式だった。


「兄さん、力を貸して……! この歪んだ秩序を、正すために!」


 彼女の覚悟を決めた声が、地下通路に響き渡る。


 リュシアの助けによって異能抑制の波動が解かれ、俺の力が完全に戻る。


「サンキュ、会長!」

「話は後だ! 今はここから脱出するぞ!」


 俺は即座に反撃に転じ、襲いかかってくる強化魔導師たちを次々と無力化していく。


「邪魔だ、どけぇっ!」


 怒りを力に変え、理不尽フィールドを展開し、敵の魔法を無効化し、超能力による不可視の衝撃波で敵を吹き飛ばす。

 ユウトも必死に応戦し、ハッキングで敵の装備を誤作動させ、俺を援護する。


 混乱の中、俺は資料庫のさらに奥、壁の一部が巧妙に偽装された隠し扉があることに気づいた。

 そして、その扉の向こうから、微弱だが、暖かく、そして……どうしようもなく懐かしい気配を感じ取る。


(この感じ……間違いない……!  ミユだ! ミユは、この奥にいる!)


 扉には、第七セクターのそれよりもさらに複雑で強力な封印が施されている。

 だが、俺はその懐かしい気配に導かれるように、無我夢中で扉に手を伸ばしていた。


「ミユ……!  生きてるんだな!?  返事をしろ、ミユ!」


 俺の声が、固く閉ざされた扉の向こうにいるはずの彼女に届くことを、ただ必死に願って。


「――おやおや、そこまで気づいてしまいましたか」


 その声と共に、隠し扉の前に、音もなく一人の男が姿を現した。

 純白の白衣を纏い、穏やかな笑みを浮かべている。

 だが、その瞳の奥には、底知れない狂気が宿っていた。

 副会長、ゼファル=ロイド。


「ええ、その通り。彼女は生きていますよ。私の研究の集大成……私の最高傑作……Project ARKの到達点としてね」


 彼は、まるで自分の作品を披露するかのように、愉悦に満ちた声で語る。


「彼女の類稀なる異能と、魔法の根源的エネルギーを融合させ、私自身がこの世界の法則を超えた“神”となり、愚かな人類が作り出したこの不完全な世界を、一度リセットして、私の手で完璧に再創造する。それこそが、私の崇高なる目的なのです」


 そして、彼は俺を見て、さらに歪んだ笑みを深める。


「そして君、如月イオリ。君はそのための、最高の触媒であり、最終的な器となる存在だ。さあ、光栄に思いなさい。君も、この私と共に、新たな世界の礎となるのです!」


「ふざけないでッ!!!!」


 エレベーターから降り立ち、ゼファルの狂気に満ちた独白を聞いていたリュシアが、怒りに震える声で叫んだ。


「あなたは! 兄を殺し! ミユさんという一人の少女の人生を踏みにじり! そして今度はイオリまで、自分の歪んだ野望のための道具にしようとしている! そんな歪んだ理想、この私が、兄に代わって打ち砕いてみせる!」


 彼女は杖を強く握りしめ、ゼファルに対して最大級の攻撃魔法――紅蓮の炎が渦巻く灼熱の槍――を放つ。

 それは、もはや生徒会長としての立場を完全に捨て、一人の人間として、兄の仇敵であり、学園を蝕む癌であるゼファルに敢然と立ち向かう、彼女の魂からの決意の表れだった。


「……やれやれ、少しは物分かりが良くなったかと思いましたが、やはり所詮は、感傷に流される愚かなお嬢さんだ」


 ゼファルは、リュシアの渾身の一撃を、まるで戯れのように、片手で軽く受け止め、霧散させる。

 その力の差は、絶望的なまでに大きい。


「会長! こいつは俺がやる!」

「いや、ここは私が!」


 リュシアがゼファル本体と対峙する。

 その隙に、ゼファルが新たに呼び出した配下――異能対策を特別に施された、精鋭中の精鋭部隊――が、俺とユウトに襲いかかってくる。


「邪魔だ、どけぇぇぇっ!」


 俺はミユがいるはずの扉へ行くために、怒りを爆発させ、理不尽フィールドを全開にする。

 周囲の魔法効果を無効化し、超能力による物理攻撃で敵を次々と粉砕していく。

 ユウトも必死にハッキングを続け、敵の装備を誤作動させたり、防御壁を展開したりして、懸命に俺を援護する。


「ミユ!  待ってろ!  今、必ず助けに行くからな!」


 激しい戦闘の最中。

 俺が吹き飛ばした敵兵の一人が、偶然にも隠し扉に激突し、その衝撃で、固く閉ざされていたはずの扉が、わずかに開いた。


 そして、その隙間から。

 弱々しい光と共に、少女の声が、確かに漏れ聞こえてきた。


「…………い…………くん…………?」


 それは、掠れていたけれど、間違いなく、俺がずっと探し求めていた、ミユの声だった。

 彼女はまだ意識があり、俺の声に、俺の存在に、反応してくれたのだ。


「ミユッ!」


 俺は声のした方へ、必死に手を伸ばす。

 だが、新たな敵が、まるでそれを阻むかのように、俺の前に立ちはだかった。


「……ふふ、面白い。実に面白い余興です。まさか、ここまで抵抗するとは思いませんでしたよ」


 ゼファルは、リュシアの猛攻を余裕で捌きながら、楽しそうに呟く。

 そして、彼は懐から小型の通信機を取り出し、そのスイッチを入れた。


「ですが、残念ながら、ショータイムはここまでです。皆さん、お待たせしました。主役の登場ですよ」


 その言葉が合図だった。


 ゴゴゴゴゴゴ……!


 学園全体が、いや、この空間そのものが激しく振動し始める。

 そして、俺たちがいる地下施設の遥か上空――学園の上空の空間が、まるで裂けるように歪み、そこから、巨大な、禍々しい威容を誇る、多数の魔導師会の飛行艇が出現したのだ。


 無数のサーチライトが、混乱に陥った学園を冷たく照らし出し、飛行艇のハッチが開かれ、完全武装した魔導師たちが、次々と降下準備を始めるのが見えた。


 地下での俺たちの攻防と同時に、地上でも、学園全体を巻き込む、魔導師会による総力戦が、今まさに始まろうとしていた。


 俺は、頭上から降り注ぐ絶望的な光景を見上げ、しかし、心の奥底で燃え上がる怒りと決意と共に、不敵な笑みを浮かべて、こう呟いた。


「……上等じゃねぇか。まとめてかかってこいよ、クソ野郎ども」


本当の戦いは、ここからだった。

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