第9話
『ねぇイオリくん、外に出たらさ、一緒に海を見に行こうね』
薄暗く、冷たい研究施設の一室。
窓の外には、灰色の空しか見えない。
隣には、俺と同じように被験者として扱われていた、色素の薄い髪の少女、ミユが座っている。
『海……? なんだそれ』
『本で読んだの! すごく広くて、青くて、キラキラしてるんだって! 私、絶対イオリくんをそこに連れて行ってあげる! だから……約束ね!』
彼女は、辛い実験の日々の中でも、決して希望を失わず、いつも儚げに、しかし強い意志を込めて笑っていた。
そうだ、俺はこの約束があったから、あの地獄のような場所から脱走できたんだ。
ミユを、外の世界に連れて行くために。
◇
記憶の奔流から意識を引き戻し、俺は記録を読み進める。
そこには、ミユが持つとされる特異な超能力の詳細が記されていた。
未来の可能性を断片的に視る力。
そして、感情の高ぶりに呼応して、周囲の空間そのものを不安定化させ、歪める力。
魔導師会は、彼女のその稀有な力を危険視すると同時に、制御可能な兵器として転用することを画策していた。
記録によれば、実験は次第にエスカレートし、最終的にミユの力が制御不能なレベルにまで増幅。
研究施設の一部を巻き込む大規模な「空間暴走事故」を引き起こした、と結論付けられていた。
そして、被験者ミユは、その事故により「消失」した、と。
(事故……? 本当に、ただの事故だったのか……?)
俺の胸に、拭い去れない疑念が渦巻く。
あの施設で行われていた非道な実験の数々を考えれば、単純な事故とは到底思えない。
その時、隣でデータベースを解析していたユウトが叫んだ。
「イオリ! 見つけたぞ! このファイル、深層部に隠された暗号化ログがある! 今、解読する!」
ユウトが必死に端末を操作すると、画面に新たなテキストが表示される。
それは、例の「事故」直後に、ゼファルと思われる人物(コードネーム:ドクターZ)が、魔導師会本部と交わした極秘の通信記録だった。
『……目標(ミユ)の異能指数、予測通り臨界点に到達。空間暴走を確認。周辺施設への被害甚大なるも、予定通り“起爆”は成功と判断』
『被験者ミユの回収は不可能と判断。関連データに基づき、“消失”として処理。関連研究員には記憶処理を推奨……』
起爆……? 消失として処理……? 記憶処理……?
「……ふざけやがって……!」
俺の身体から、静かだが、底知れないほどの冷たい怒りのオーラが立ち上る。
事故なんかじゃなかった。
ミユは、あいつらに、モルモットのように扱われ、危険性を確認された上で、意図的に力を暴走させられ、そして証拠ごと「処分」されたんだ!
許せるはずがなかった。
ミユにした仕打ちも、そして、俺たちの記憶を弄んだことも。
◇◇◇
その頃、地上にある生徒会室では、リュシアが魔導師会本部から送られてきた一枚の緊急指令書を、震える手で読んでいた。
赤いインクで禍々しく記されたそれは、彼女の予想を遥かに超える、非情な内容だった。
『特級危険因子、如月イオリの存在を確認。関連データ(Project ARK含む)と共に即時確保せよ。抵抗する場合、及び情報漏洩の危険があると判断される場合は、関連施設、関係者を含めた完全排除を許可する』
完全排除。
それは、イオリだけでなく、真実を知った可能性のある者、協力者、ひいてはこのアルカノ=レギオス魔導学院そのものをもターゲットとする、事実上の殲滅命令だった。
「……なんという……!」
リュシアは指令書を握りしめ、唇を強く噛む。
魔導師会の闇は、彼女が想像していたよりも、遥かに深く、そして残酷だった。
彼女の隣では、副会長ゼファルが、冷静にその指令書に目を通していた。
「……やむを得ませんね、会長。魔導師会の決定とあらば。我々も覚悟を決めねばなりません。全ては、魔法による世界の安定と秩序のために」
彼はリュシアを気遣うような素振りを見せながら、その実、水面下では既に独自の行動を開始していた。
魔導師会の正規部隊とは別に、彼自身の私兵ともいえる強化魔導師たちを密かに招集し、地下資料庫へと向かわせる。
彼の真の目的は、魔導師会の命令を遂行することではない。
イオリという最高の“素材”と、Project ARKの全てのデータを、誰にも邪魔されずに確実に手に入れることだ。
そのために、邪魔者は全て排除するつもりなのだった。
◇◇◇
俺は、怒りに震えながらも、Project ARKのデータの中に、さらに衝撃的な記録を見つけていた。
それは、俺自身――如月イオリに関するファイルだった。
研究施設にいた頃の俺の身体データ、能力測定記録、そして……数回にわたって実施されたとされる「記憶封印及び置換処置」の詳細な記録。
特に、ミユに関する記憶――彼女が「事故で死んだ」と、俺が強く思い込まされていたこと。
そして、俺があの施設から脱走できたのも、実はゼファルによって、意図的に誘導されていた可能性が高いこと――が、克明に記されていた。
「俺の……記憶も……あいつらに、作られたものだったってのか……!」
怒りを通り越し、言いようのない虚無感が俺を襲う。
俺のこれまでの行動も、ミユを探すという目的すらも、全てはゼファルの掌の上で踊らされていたに過ぎなかったのか……?
だが、同時に、心の奥底で、消えかけていた微かな希望の火が、再び燃え上がるのを感じた。
(ミユは……「消失」として処理されただけだ。本当に死んだとは、どこにも書かれていない……! なら、まだ……まだ生きてる可能性があるんじゃないのか!?)
◇◇◇
地上では、イオリたちの帰りが異常に遅いのを心配したクレアとエミリアが、いてもたってもいられず、それぞれの方法で情報を集め始めていた。
クレアは魔法研究会のあのマッドな先輩(意外にも学園の裏情報に精通していた)に泣きつき、学園地下の魔力反応を探ってもらっていた。
「第七セクター付近で、異常な魔力干渉反応と……何かを強く封じ込めているような反応があります! イオリくんたちが、そこにいるのかも!」
一方、エミリアは風紀委員としての権限とネットワークを最大限に活用し、深夜にも関わらず、生徒会役員の一部が武装して地下施設へ向かったという情報を掴んでいた。
「まさか、イオリに何かあったのでは……!? 」
二人は顔を見合わせると、どちらからともなく頷き合い、俺たちを助けるために、危険を承知で地下へと向かう決意を固めていた。
そして、もう一人。
アイゼルもまた、学園内に漂う不穏な魔力の流れと、ゼファルの怪しい動きを独自に察知していた。
彼は誰にも告げず、一人、夜の闇の中を疾走する。
(あの男……やはり何かを企んでいるな。如月イオリを利用して、何をしようとしている……?)
彼自身もまた、ゼファルや、あの研究施設と、浅からぬ因縁があった。
「……気に食わん。あの男の好きにはさせん」
彼の足もまた、確実に、この地下資料庫へと向かっていた。
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