吟遊詩人はラブ&ピースを歌う

くすだま琴@コミカライズ「魔導細工師ノー

第一章 世界樹の樹冠から

第1話 吟遊詩人は跳んだ・1



 緑の野にぱっくりと開いた大穴を背に、追い詰められている。

 いくら魔法に秀でたエルフでも、飛ぶなんてできないのだから。

 うしろに一歩足を踏み外したら、死ぬ。間違いなく。


 魔素が濃い風が吹き上げて、イズナの長い淡金色の髪をかき乱した。

 日に輝く湖のように青い瞳が揺れる。

 緊張にゴクリと喉を鳴らすと、エルフの長い耳が動いた。


 イズナをじりじりと追い詰めるのは、このクローネ樹冠界の住民であるエルフ——ではなく、ハーフエルフたちだった。

 エルフの女ひとりに対して、木槍を持った三人が迫ってくる。


 前世が日本人という記憶を持つイズナには、ハーフエルフは馴染みのある姿。

 丸さを残した耳は、エルフの尖ったそれより優しげに見えるのに、口から出る言葉は残酷だ。


「さぁ早くそこからテラリス大地界へ下りろ。役立たずのエルフよ」


「え、ええ?! いや、下りるって、落ちるの間違いでしょう?!」


 わざわざこんなところに連れてきたあたりで、いやな予感はしたのだ。

 いったい、何がどうなって、そういうことになったのか。

 ちらりと足元に見える景色。遠く遠くに緑の大地、テラリスが見えている。

 笑いそうになる膝に力を込めて、イズナは聞き返す。


「というか、なぜですか?!」


「下りるも落ちるもどちらでも構わないだろう。おまえは世界樹の根本へ行き、世界樹の管理者となるのだ」


「世界樹の管理者……? 落ちた死体がその管理者とやらに? え、下界って、ゾンビなエルフが支配する世界ですか?」


「そんなわけないだろう! エルフはそこから下へ行っても死なないらしいぞ。今だって同じように下へ行った前任者がその席に就いているのだから」


「前任者……」


「おまえは次の世界樹の管理者となる」


 世界樹の管理者。


 初めて聞く言葉だった。

 なぜ、そんなものになれと言われているのだろうか。

 心当たりはまったくない。

 逃げ出そうにも、うしろに下がれる場所もない。


 なんで、なんでこんなことに————……。




 それは、イズナの前に樹冠のガード守護者たちが召集状を持って現れた、今朝のことだった




 ◇ § ◇




 ここは世界樹の枝が茂る場所にある、クローネ樹冠界

 世界樹の根本に広く土地を持つテラリス大地界、世界樹の根が伸びる大地の奥のハマー地中界と合わせて三界と呼ばれている。

 クローネはエルフが住まう土地であった。古くは。


 日に照らされた葉がさざめく朝の公園。

 ハーフエルフの子どもたちがぱたぱたと駆け回っては楽しげな声をあげている。

 こんな小さい子たちをたくさん見るようになったのは、ここ最近、数十年のことだ。


 長く生きるエルフはそのせいなのか、精霊の血を引くと言われているせいなのか、子どもができにくい。

 それを神が心配しているのだと、ドラゴンが語った。


 ドラゴンは実際にしゃべるわけではなく、思念で会話をする感じなのでそれらしきことを、その場にいた全員が感じ取ったというところだ。

 時々、気まぐれのようにやってくる、長いヘビのようなドラゴンは、人間を背に乗せてくる。

 そうやって連れて来られた訳ありの人間が、ぽつりぽつりとクローネに住みついた。


 元々、同種族であっても他者と積極的に交流しないエルフだが、たどり着いた人間のことは不憫に思って大事にした。

 そのうち人間と結婚するエルフが出て来た。そしてエルフ同士ではなかなかできない子どもが、人間との間にはできたのだ。人間とエルフの男女どちらの組み合わせでも。

 子どもを作ったエルフの寿命は短くなる。だがそれを引いたとしても、ゆるやかにハーフエルフは増えていった。


 ところが百数十年ほど前にドラゴンが来た時、十数人の人間がやってきた。

 瞬く間に種族の人数は逆転した。

 数は力だ。

 力を振るいだした人間やハーフエルフは、不憫に思って面倒を見ていたエルフたちを下に見始めた。


 そんな人間たちと交流をやめるのは当然のことだった。

 エルフたちは、元々住んでいた町から森の奥深くへと住まいを移した。

 追いやられたとも言う。


 イズナも一応森に住んでいる。

 だが、かなり町に近い場所だった。

 だって、森の音だけが聞こえる静かな場所で、日なが一日ひとりでのんびり暮らすとか、無理だから。


 イズナは前世の記憶がある転生者である。

 あまりエルフっぽくないのは、日本人としての記憶があるせいなのだろう。

 小さいころから不思議と思い出す景色は、ここのものとは全く違っていた。

 緑は少ない、灰色の四角が並ぶ大きな町。

 その記憶の光景は、歳をとるにつれ鮮明になっていった。


 前世で亡くなる前は、日本の都市部に住む公務員だった。

 耳に入る騒音は生活の一部だったし、シンとしてなんの音もしないよりは、他者の気配がある方が落ち着いた。

 気楽におひとりさまで暮らしていたけれども、決して孤独が好きなわけではなかった。


 元々は、都市部からそう離れていない地域の名家の一族に生まれた子どもだった。

 すぐとなりに住む本家の伯父の家には従兄いとこがひとりいて、祖父母や一族の愛を一身に受けていた。

 対して前世のイズナは歳の近い従兄と比べられ、けなされ虐げられていた。


 従兄より目立つことは許されず、ちょっとでもいい成績や賞状などもらおうものなら祖父母から延々、「女がでしゃばるなぞ言語道断!」と叱られたものだ。

 両親は祖父母に逆らえず、言いなり。


 そんな鬱屈した少女時代をなぐさめてくれたのが音楽だった。

 高校も従兄よりいいところは受けさせてもらえず、そこそこの学校に通っていたが、そこでギターと出会ってバンドを組んでいた思い出は、今も輝いている。


 それからずっと、ギターがかたわらにあった。

 大学に行って地方公務員になると嘘をついて国家公務員になった。地方公務員などになって、土地に縛られ、一族のサンドバッグになるのはごめんである。

 そして都会で念願の一人暮らしを始めた。家賃は高かったが防音がしっかりした部屋に住んだ。エレキギターにヘッドホンがあれば完璧。


 外では目立たないよう息をひそめるように生きていたが、家でギターを弾いている時は仕事のことも実家のことも忘れられたのだ。

 うるさい親や親族のいない生活。

 素晴らしきかな、おひとりさま。


 ただ時々、友人たちと上ったステージがたまらなく恋しかった。スポットライトも会場に叩きつける音も一体感も、どうしようもなく焦がれた。

 もう少しだけ勇気があれば、たとえばひとりでも路上に出て、たとえばメンバーを募集してライブをしたら、またあの空気を味わえたのだろうか。


 手元の横笛を口元へ持っていく。

 音楽が好きな長老が作った、灰色ハゲワシの骨の横笛だ。

 味のある音色が細くあたりへ溶けていく。

 子どもが近寄ってきたので、ちょっと楽しげなマーチを吹けば、ぱっと笑顔になった。

 小さな観客を前に元気な旋律を奏でた。

 音に乗せて体を動かすと、子どももいっしょに動きだす。


 ——音楽はいいよね。心に響いて通じ合えるもの。


 イズナが笑いかけたその時。

 刺すような声が楽しい場を切り裂いた。


「——こら、だめでしょ! そんな夏虫の近くになんて行かないの!」


 子どもの母親らしき者が来て、座り込んで聴いていた子の手を引いた。

 最初は言うことを聞かなかった子どもも、イズナに向かって「こんな子どもがいるところで、下品なことしないで!」と怒声が投げられれば、立ち上がって離れていった。


「下品かぁ……」


 ここまではっきりと言われたのは初めてだ。

 別にお金などいらないし、子どもからお金をもらおうなんて思っていない。

 イズナが奏でる音楽を気に入ってくれたなら、気持ちをほんの少しのコインで示してもらえたらうれしいっていうのは、下品か。


 夏虫というのは、キリギリス的な虫のことなのだとか。

 夏場に遊んで暮らして冬場に蓄えがなくて死ぬ虫。どこかで聞いた説話になぞらえ、仕事をしない者を街ではそう呼ぶらしい。


 あくせく働いていると、遊んで暮らしているように見える者をそう言いたくなる気持ちはわかる。

 日本にいたイズナも、物価の高い町で暮らすにはまっとうに働いても余裕がなく、お洒落をしてカフェのテラスで幸せそうにしている人を羨むこともあったから。


 ただ、エルフはそもそもが違うのだ。

 人間の血を持つ者たちがなぜ働くかといえば、食べるためだし、生きるためだろう。

 でもエルフが守る森には、体を整える植物や野菜や果実がある。あとは魔力と綺麗な水があれば、エルフたちは生きていけるのだ。

 森には全て揃っていて必要なだけ手に入るから、人間やハーフエルフたちのように働く理由がない。

 このクローネの中央にある森を健やかに保つことがエルフの使命であり、それだけしていればあとはすることがないのだ。


 それは幸せなことだと言われるかもしれない。

 飢える心配がないということ。

 生きるために仕事をしなくていいということ。


 でも、満たされない。なんていうのは、わがままで贅沢なことなのだ。

 わかっているけど。


 今日はもういいかと笛をカバンに入れて帰り支度をしているところに、クローネのガードが三人近づいてきたのだ。

 召集状と書かれた紙を持って。





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