第2話 吟遊詩人は跳んだ・2
公園で声をかけてきたハーフエルフたちに、イズナは向き直った。
「わたしに何か?」
まっすぐ見返すと、彼らは一瞬口ごもった。
「エ、エルフがやらなければならない仕事がある。ついて来い」
「エルフが? わたしがですか?」
「おまえだ」
この地に住むのがほぼエルフだけだったころは、ガードという者はいなかった。ハーフエルフたちが増えいつの間にかそんな職ができていた。
先導するガードのハーフエルフの背中を追った。
身体強化の魔法を使っているらしき速さに、イズナも体に魔法を巡らせてついていく。
連れて来られたのは、公園の一角だった。
ここ何十年の間に立ち入り禁止となり高い柵が設けられた場所で、普段はガードに守られている。
緑の野が広がる公園だが、そこには世界樹の枝と枝の間にできた大きな穴があるのだ。
ぽっかりとちょっとした湖くらいある。
ハーフエルフの子どもが近くまで来てしまったら危ないから、立ち入り禁止にしたのはよかったと、イズナは思う。
その穴からちらりと下を見れば眼下には、いつか日本の上空から見た景色に似た風景が広がっていた。
——飛行機の窓からは、こんな感じで富士山が見えていましたね。
ここが立ち入り禁止になる前、イズナは前世のことを思い出しては、時々見にきていた。
下に見える大地は、懐かしくて切なくて、少しだけ恋しい気がしていたから。
だが、今はそんな甘い感傷に浸っている場合ではない。
いつの間にか、大穴を背に追い詰められていた。
いくら魔法に秀でたエルフでも、飛ぶなんてできない。
うしろに一歩足を踏み外したら、死ぬ。間違いなく。
魔素が濃い風が吹き上げて、イズナの長い淡金色の髪をかき乱した。
対峙する三人のガードたちは無表情にそれを見ていた。
「さぁ早くそこから
「え、ええ?! いや、下りるって、落ちるの間違いでしょう?!」
わざわざこんなところに連れてきたあたりで、いやな予感はしたのだ。
いったい、何がどうなって、そういうことになったのか。
ちらりと足元に見える景色。笑いそうになる膝に力を込めて、イズナは聞き返す。
「というか、なぜですか?!」
「下りるも落ちるもどちらでも構わないだろう。おまえは世界樹の根本へ行き、世界樹の管理者となるのだ」
「世界樹の管理者……? 落ちた死体がその管理者とやらに? え、下界って、ゾンビなエルフが支配する世界ですか?」
「そんなわけないだろう! エルフはそこから下へ行っても死なないらしいぞ。今だって同じように下へ行った前任者がその席に就いているのだから」
「前任者……」
「おまえは次の世界樹の管理者となる」
世界樹の管理者。
初めて聞く言葉だった。
なぜ、そんなものになれと言われているのだろうか。
心当たりはまったくない。
吹き上がる風に
髪を押さえて、話の続きを待つ。
「世界樹の葉が枯れてきているのがわかるか。エルフの魔力でもって世界樹は保たれているのに、今の管理者の魔力が尽きかけているのだ。だからおまえがその跡を継ぐ」
「そんな大役を、なぜわたしが……?」
他にもエルフがいるのに、なんでイズナにそんな話が来るのだろう。
第一、そんな大変な話であれば、長老——クローネの界長が決めることではないのだろうか。
「この役目はエルフしかできないと、三界規範とやらで定められているらしい。その大穴から行くと記録が残っているそうだ。エルフは夏虫のおまえしかいない。おまえがやるに決まっているだろう」
「え、わたししかいない? いや、長……」
まさかこの者たちはイズナのことを世界にひとり残されたエルフだと思っている?
森の奥深くからまったく出なくなったエルフたちを、知らない?
そういえば、長老は数十年ほど町に出ていないと聞いたような気がする。
人間やハーフエルフの生きる年数では、会ってない者が多い可能性がある。
しかし、ハーフエルフたちの親であるエルフは?
子をもうけたエルフたちもずいぶん森へ引っ込んだが、それでも全員ではないだろう。
見ないフリをしているのか、ガードやその上にいる者たちの独断なのか。
「……界長の許可なくそんなことをしては、精霊の報復がありますよ」
「界長の許可はある。この召集状は界長の名の元に出されている」
「中を見せてください」
開かれて向けられた紙にあったのは知らない名前だった。
「名前が界長じゃない——」
「おまえ! グーズ様を侮辱する気か!!」
うしろに控えていた男から槍が繰り出された。
とっさに横へ避けると、引いたかかとに地面の感触がなくなった。
「ひっ……!」
イズナはとっさに身体強化の魔法をかけて難をのがれた。
「おい! なんで武器を出すんだ! 殺してしまったら役目を全うできないだろう! こいつが生きて下へ行かないと世界が滅びるんだぞ!」
三人の中で一番髪色が濃い男が、憎々しげに舌打ちをした。
「チッ。忌々しい。純血がなんだっていうんだ」
なんでそんなに憎まれているのだろう。
森に追いやられたのはエルフだし、ここから落とされるのもエルフなのに。
「……と、とにかく、わたしの一存では……」
この者たちは、森の中で生きているエルフがイズナしかいないと思っている。けれども、実際はいる。
本当なら、こんな大変はことは界長である長老ブーリン様の指示を仰ぐべきだ。
でもここでイズナが逃げたら、いつなんどき他の者が落とされるかわからない。
どうしてもエルフを落とさなければならないというのなら、森の奥まで探しに来るかもしれない。
森の奥深くに暮らすエルフの仲間たち。
下界でどんな暮らしになるのかわからないが、人間がたくさんいるテラリスにエルフが住むのは大変かもしれない。
このクローネにいるハーフエルフとですらいっしょに暮らせないエルフが、人間ばかりの界へ。想像するだけできびしい気がしてきた。
それならイズナが行く方が断然マシだろう。
「あの、みんな本当にここから降りてるんですか……? せめて、もう少し穏便な下り方は……?」
「気まぐれにやってくるドラゴンを待つとでも? まったく高尚な仕事にお就きになるエルフ様は、いろいろとうるさくいらっしゃる」
「もうめんどうだから突き落とせばいいんだ」
じりじりとハーフエルフたちが近づいてくる。
撃退しようと思えばできる。
三者合わせても魔力量はイズナよりも少なく見えるし、魔法勝負でも負けないとは思う。
だが、イズナが行くと決めたのだ。
覚悟をしよう。
もしかしたら、エルフも暮らせる人間の町があるかもしれないし。骨笛を聴いてくれる者もいるかもしれない。
このどこか満たされなかった気持ちに、ハマる何かがあるかもしれない。
————ただ、もうちょっと怖くなく行きたかったですが!
焦れたガードたちが一歩近づいた。そろそろ幕引きの時間らしい。
歴代の管理者とやらがここから向かったのなら、大丈夫か。きっと死にはしない。
イズナは胸に手をあてて、恭しくお辞儀をした。
「————それではみなさま、ごきげんよう」
一世一代の大ダイブ。
魔力をがっちりとまとって、跳んだ。
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吟遊詩人無双な物語、連載開始しました。
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