第十三話 ムラサキカガミ ③
ぼぉーん、ぼぉーん、と時計の音が聞こえて僕は目を覚ます。事務所のシーリングファンが視界の真ん中に映る。何があったか思い出せないが、どうやら寝おちしてしまったようだ。
起き上がって窓を見ると外はすっかり暗くなっていた。
「あ、理人くん起きたんだ。良かったぁ〜」
事務所の奥、キッチンの方から愛理さんが顔を出す。
「おはようございます、どのくらい寝ちゃってました?」
「ざっと30分ぐらいだよ。おばあちゃんはすぐ目が覚めるって言って帰っちゃったんだけどなかなか目を覚さなくて、正直救急車を呼ぼうか迷ってたよ」
救急車……?ソファーを見ると僕の寝ていたところに氷冷枕が置いてあった。そういえば何かに殴られて気を失っていたような気がする。
「愛理さん、僕なんで気を失ってたんでしたっけ」
「え?えと、酒の飲み過ぎだったかな?あははは」
「なんか大事な事を忘れてるような……」
彼女が僕の方に近寄っていつもの席に座る。白梅の香りが僕の鼻腔を刺激して、少し意識がハッキリしてきた。
「なんか、愛理さんの方を見てると思い出せそうな……」
「あー、えーっと、犬神憑き!碧くんが犬神憑きの血を引いてるって話!」
「確かにそうでしたね。あとなんかもう一つあったような……」
「それだけだから!それだけ!」
愛理さんがおもむろに国語辞典を持つ。理由はわからないが僕はこの件はこれ以上彼女に追及するのはやめようと思った。
「それで今回の件と犬神憑きってどういう関係があるんでしょうか?というかそもそも犬神憑きって何なんでしょうか?」
こめかみに指を当てながら彼女は口を開く。僕は自然とその唇に視線が寄ってしまった。
「じゃあまず犬神憑きについてから説明するね。犬神憑きってのは犬の怨霊をその身に宿したり誰かに憑かせたりする人たちを指す言葉さ。いわゆる憑きもの筋ってのの一種だね」
「イタコさん的な存在ってことですか?」
「うーん、イタコというとちょっと語弊があるかな。呪術的な儀式や医療行為に関わったりみたいな話は聞いたことないし」
「じゃあ、どういう存在なんですか?」
愛理さんは少し口を開くもすぐに言いよどんだ。ぐわんぐわんというシーリングファンの回る音が何回か聞こえた後、彼女は僕から目をそらしながら話した。
「特徴としては急に吠えるようになったり、体の一部がけいれんしたりって感じだね。他にも性格の急激な変化・精神的な不調も犬神憑きだと見做される事もあるんだ」
「それってよく分かんない病気をとりあえず犬神憑きってことにしてるだけなんじゃ……」
「そういう解釈もあるね。でもいい面もあって、一般的に犬神憑きがいる家庭は裕福になると言われているんだ」
「なるほど、丸っと悪いことだらけでもないんですね」
彼女は変わらず目を合わせない。彼女の表情が僕のそのぬか喜びは間違いだと物語っていた。
「……ただ、犬神は嫉妬深く他人の財を盗んだり周りの家に災いをもたらすと言われていて、差別の対象になっていることが多い。これは私個人の解釈だけど……家庭が裕福になると言われているのも『犬神憑きがいるから裕福になる』のではなく『あいつが裕福になったのは犬神憑きの儀式をしたからだ』という解釈なんだと思う」
―――差別。碧さんが被害にあっていたイジメと結び付けてしまうのは早計だろうか。
「次に碧くんとどう関係があるかだけど、現状でははっきりしたことは言えない、ごめんね。でもおばあちゃんが言うってことは関係はあるんだと思う。だからその線で可能性を列挙していく形になるけど大丈夫?」
「はい」
僕は返事をしながら、蒼さんが「犬の話はだめ」と言っていたことを思い出した。点と点が嫌な形で結びついてくる。
「まずは『碧くんとイジメのつながりについて』からね。
① 碧くんは犬神憑きの血筋であることがクラスメートに知られていて、イジメの被害にあった。
② もともと碧くんには犬神が憑いていてその影響で時折奇妙な挙動を取ってしまうことがあり、イジメの被害にあった。
③ イジメと犬神憑きは全く関係なく、単にイジメにあっていただけ。犬神憑きは別の所で関係がある」
「たしかに、現状では何とも言えませんね」
「しいて言うなら、私たちが犬神付きの症状を見ていないし②の可能性は薄いぐらいかな」
「普段からそうなってるなら調査中に気づきますからね」
「うん。それにここを掘ったとしても事件の核心からは遠いと思っている。重要なのはむしろ次」
彼女の真剣な声に僕は思わず唾を飲んだ。
「次は『ムラサキと犬神憑きの関係性について』。
④ ムラサキこそが犬神であり、犬神特有の気性の荒さからイジメた相手に復讐している。
⑤ ムラサキは存在するが、犬神ではなく別の交代人格である。
⑥ ムラサキは存在せず、碧くんがイジメの復讐をしている。
⑦ ムラサキは存在せず、碧くんと蒼さんの2人が協力してイジメの復讐をしている」
「えっと、ちょっと整理させてください。まずはムラサキが存在するかどうかでざっくり分かれるのと、存在しないならだれが復讐をしてるか、ってことですね」
「うん。理人くんに復讐を止めさせることを依頼してきた以上、蒼さんは容疑者から外れるわけだ」
「仮に協力していたとしても後ろめたさを感じていて消極的な感じ、と」
碧さんがあんなに攻撃的なはずがないという疑いからムラサキの存在を想定し始めたわけだし、結局は碧さんか否かという話に終始するのか。
「ムラサキは存在する方が可能性が高いはず。だって碧くんの依頼は『蒼を消す』ではなく『ムラサキを消す』だと解釈すればつじつまが合う」
そう話す彼女の様子は自信があるというより、ムラサキであってほしいと願っているようだった。正直僕もそう思う。碧さんと蒼さんを本気で居なくなればいいと考えてるだなんて、あまりに悲しすぎる。
「蒼さんだって『みどりに犬の話はNG』って言ってましたし、少なくとも犬神憑きが関係はしてると思います」
「そうだね、理人くんは何か気になるところはある?」
「えーと平野さんでしたっけ、碧さんの友達が言っていたマスコミかどうかってやつは少し引っかかります」
「現状では何とも言えないね。完全な憶測だけどイジメの関係者にマスコミがいるとかマスコミのせいで注目を浴びてしまったとかかなぁ」
「改めて平野さんに聞いてみます」
「うん、私も碧くんのイジメについてもう少し調べてみるよ。たとえば彼女が犬神憑きならば儀式を行った可能性もあるし、アプローチを変えて調べてみる」
手帳にすらすらと書くと、愛理さんはパンと柏手を打って席を立つ。
「じゃあ今日はお開きとして、調査はまた明日としよう」
思わず大きなため息がでる。心配そうに愛理さんがのぞき込んでくる。
「ちょっと疲れたかい?」
「いえ、大丈夫です」
彼女が視界から消える。直後、僕の頬にやわらかくひんやりとしたものが触れた。彼女が後ろから僕の顔を包み込むように両手を当てているのだと気づくのに、時間はかからなかった。
「いいかい理人くん、私たちは今回の案件でも運命共同体なんだ。隠し事や気遣いはナシにしよう」
愛理さんの指がふにふにと僕の頬を押す。別に普段からため息は付いていると思うのだけど、やっぱりこの人には敵わないようだ。
「わかりました、話します」
「よろしい。発言を許可します」
僕は無意識にもう一度ため息をついてしまい、慌てて自分の喉に力を入れた。
「これまで結構な量の調査をしてきたと思ってたんですが、それでもまだ知らない情報が出てきて、思ってたよりまだまだ道のりは長いんだな……と、ちょっと思っただけです」
彼女の指が僕の顎の下に入り、頭を抱え込むような形になる。
「理人くんは私の助手なんだから、調査不足の責任は探偵の私にある。だから理人くんは責任を感じなくていい。……といっても、理人くんはそういっても責任感を感じるだろうけどね」
僕は彼女の手の甲にそっと触れる。彼女の穏やかそうな声と裏腹に脈はしっかりと速く、少し笑ってしまった。
「それに情報はかなり揃ってきてる。何があったのかもだいたい見えてきたわけだし」
僕には想像もつかない。いくつか重要そうな点が散らばってはいるけど、それらはバラバラで形をなしてくれない。難しい英作文をやらされているような気分だ。
「やっぱり僕は、普通の人なんですね」
「私だっておばあちゃんのように話を聞いただけで事件を解決できるような探偵じゃない。普通の人が頑張って探偵になろうとしているだけ。だから理人くんが必要なんだし、理人くんは十分頑張ってるよ」
「僕からしたら愛理さんは普通の人じゃないですよ」
「そんなことない……って言っても謙遜だといいそうな理人くんのために、一つだけ告白してあげよう」
「なんですか?」
彼女の手に力が入る。僕は自然と正面を向かされて彼女の顔が見えなくなる。
「実は私の推理の仕方は結構理人くん頼りなんだ。分かんない時はとりあえず可能性を列挙して理人くんの反応を見る。そして理人くんが一番本当そうな反応をしたものにアテを付けてるってわけさ。意外でしょ」
「ちなみにどんな反応を見てるんですか?
「えへへ、それは企業秘密。教えたら理人くん絶対意識しちゃうでしょ」
もうこの話だけで意識してしまいそうだ。彼女の手が再び頬に戻ったかと思うと、ぺちぺちと僕を叩いた。
「じゃあ次は理人くんの番ねー」
「え、僕も話すんですか?」
「当たり前だろー、これでも結構勇気出したんだぞ。ほーら」
急かすように再びぺちぺちと頬を叩く。
「えーと、じゃあ……実は先々週から食器をシンクに入れっぱなしです」
「そんな普通のことじゃなくて、ちゃんと暴露しなさい」
彼女が僕の頬を甘くつねる。暴露できることなんてあったかなぁ……。
「えーと、実は事務所の会計が怪しい時にちょっと別のバイトしてます」
愛理さんの指に力が入り、硬直する。
「もうちょっと、その、ショッキングじゃない方向で」
「へへ、仕返しです。じゃあこれはどうでしょう」
シーリングファンの音の中、ごくりと彼女が唾を飲む音が聞こえる。
「実はこのやりとりの中で、色気付いた愛理さんが最近買ったものが何かを思い出しました」
「それは忘れろおおおおお!!」
こめかみをグリグリされ、僕は思わず呻き声を上げた。
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