第十二話 ムラサキカガミ ②
「愛理さん、先ほどの話ですが」
「お、蒼さんへの返事?」
愛理さんさんが片づけの手を止めてこちらをに視線を向ける。無言ではあるが、みどりさんも興味津々に見つめている。
「みどりさんには申し訳ないですが……蒼さんになった時にキッパリ断ろうと思います」
「あら意外」
「一応、理由も聞いてもいいでしょうか」
予想だにしていなかったのか・それとも単に望み通りの回答でなかったのか、その表情に少し険しさの色が見えた。
「蒼さんは素敵な方だよ。そんな彼女に好意を持たれるのは嬉しいし正直勿体ないぐらい。ただ……多分あの子は理想の男性像を僕に重ねてしまってるんだ。仮に恋人関係になったとしても僕は彼女の期待に応えられない」
「仮に蒼が付き合うなら私も理人さんの恋人になってもいいとしたら!……どうでしょうか」
意外にもみどりさんが食い下がり、僕は一瞬返答につまった。愛理さんも目を丸くして固まっている。
「それでもNo。ギャップがより大きくなって損するのが二人に増えるだけで、それこそlose-loseの関係になってしまうよ」
「そうですか……」
みどりさんは残念そうにつぶやくと片付けに戻る。その背中からどこか寂しさが感じられ、胸が縄で締め付けられたかのように苦しくなる。
一通り片付けが済むと、愛理さんがパンと大きく柏手を打った。
「よし、片付けも済んだしそろそろお開きとしようか。みどりくんもいいかい?」
「は、はい。大丈夫です!今日は楽しかったです!」
みどりさんも立ってぺこりと頭を下げる。
「みどりくん、一応確認なんだけどいいかな」
「はい、いいですよ。なんでしょう?」
「今回の依頼はまだ継続するんでいいよね?もし契約を停止するなら払い戻しの金額の計算とかしなきゃなんだけど」
わずかな沈黙。
「……2人なら任せても大丈夫だと思いますし、ひとまず継続でお願いします」
「うん。了解」
「え?」
そう話す2人の瞳には冗談の色はない。愛理さんもイジメの復讐の話題も全く出さないし、みどりさんも蒼の話ばかりしていた……それで蒼さんを殺すでOKだと?
彼女らの会話が理解できないまま時は過ぎ、2人は玄関で別れの挨拶を始める。僕は彼女の挨拶にも生返事でしか返すことができなかった。
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「愛理さん、依頼は継続するってどういうことですか!?」
みどりさんが帰ったのを確認した後、僕は彼女の手首をつかんで壁に追い詰めた。
「言葉通りの意味だよ」
「自分の言っていることの意味が分かってるんですか!」
愛理さんは変わらず真剣な目つきだ。まるで自分はいたって正常だと、そう語るような彼女の表情に僕は少し気圧された。
「ちゃんと説明してください、納得できません」
「理人くんの動揺もわかるよ。でも、できればこれは理人くんに気づいてほしいんだけど、難しいかな」
気づく……?何か見落としてるっていうのか?
「落ち着いて考えて。私たちのもともとの目的はなんだった?」
「みどりさんと蒼さんの関係性、協力してるかとか連絡してるかの確定……ですっけ」
「うん、正解。あともう一個あったでしょ」
「④と⑤のやつですか?」
「いいね、それも正解。じゃあそれを理人くんの違和感と合わせてみて」
「違和感……?」
違和感と聞いてぱっと思いつくのはやはり脅迫について追及や確認をしなかったことだろう。それと……以前愛理さんと話していたのは『なぜ蒼さんが出現せざるを得ない精神状態になったか』ということ。
今日判明したのはみどりさんと蒼さんが 連絡を取っていること。でも蒼さんは脅迫の調査についてはみどりさんに秘密にしてほしいと言っていた。つまりみどりさんは事件のことについて知らないはずだ。
「みどりさんがは事件のことについて知らないはず、蒼さんも連絡しない情報を自分で選択しているからそこは確定」
「そうだね。理人くんとの事も話していなかったし、記憶の共有ではなく記録での共有という形が彼女の実態だった。裏を返せばみどりくんは蒼さんが普段どうしているかを大体把握していたことになるよね?」
確かに彼女は蒼さんが大学に通っていたりしていると言っていた……隠してたのは少しショックだったけど。あれ?でもよく考えるとそれじゃ話が成り立たない。
「……何故みどりさんは依頼をしてきたんでしょうか。乗っ取りの犯人は蒼さんって最初から分かってたじゃないですか」
「うん、しかも当の本人は理人くんと蒼さんがくっつくことに好意的だった。そのためなら自分の恋愛感情など気にならない程度にはね」
「そこが納得できないんですよ。蒼さんを消すつもりがないのに、どうして依頼を継続しようとするんですか?」
彼女はにんまりと笑う。
「じゃあちょっと状況の整理をしようか。ちょっと前に方針を見直そうって言ったよね、どんな内容だったっけ」
「なんで蒼さんがまた出るようになったか、ですよね」
「うん。でも私たちが調べた限りでは今の生活は安定していそうだった」
「はい」
「じゃあ仮に、みどりくん”も”脅迫の書類を見つけていたとしたら?」
予想だにしない一言に思考が一瞬止まる。
「でもそれは蒼さんが見つけた書類で……まさか」
「そう、『④暴力性のある第三の人格があり、犯人はみどりくんでも蒼さんでもない。』これを仮定すると、次のようなストーリーが想定できる」
彼女が自信気に僕に顔を近づけ、そのまんまるな瞳に僕の顔が反射する。
「3つ目の人格……かりにムラサキと呼ぼうか。ある日みどりくんはムラサキが行っていた脅迫の証拠を見つけてしまう。しかし日記にそんな記録はない。彼女は思う、蒼が私に隠れてこんなことをしているのだろうか。もしそうなら私が責任をもって殺してしまおう、いや、殺さなければならい」
「そして依頼をしてきた、と」
「うん。それで私たちが調査を始める。しかし調査結果は彼女の予想を裏切るものだった。結果はいたって異常なし、みんなにも迷惑をかけないように振舞うところまで昔の彼女と変わらない。そこで彼女はある考えに至る、もしかしてもう一人いるのでは?」
―――更にもう一人の人格。冗談だと軽く考えていたはずの可能性がだんだんと高くなっていき、僕は身震いした。
「しかしここで問題が一つ。それは果たしてムラサキは記憶の共有をしているのか?ということだ。少なくとも脅迫できる程度にはイジメの頃の記憶はありありと残っていることは確定してる」
「しかも僕らから記憶の共有の可能性について聞いていたし、猶更意識しますよね」
「そう。彼女の視点では少なくとも黙認という形を取らないと報復されるリスクがあるということ」
みどりさんの視点でこれまでの事件を振り返ると確かに恐ろしい。今まで蒼だと思っていた乗っ取りが実は全く別人の可能性がでてきて、しかもその人は自分のイジメを材料に脅迫まがいのことをしているのだ。
それに気づいた時の彼女の恐怖とはどれほどのものなのだろうか。……しかしその仮定に立つと理解できないことがある。
「でも解離性同一性がみどりさんが脅迫の書類を見たのが原因だとしたら卵と鶏が逆になっていませんか?ムラサキが書類を用意するためには、みどりさんを乗っ取らないといけないんですよね?」
「うん……問題はそこなんだよねー。この証拠を見るに結構な期間でみどりくんを乗っ取っていたことになるんだけど、それがどういうメカニズムか説明できてなくて」
「じゃあこの仮説ってそもそも怪しいんじゃないです?」
「でもさっきのみどりくんの反応を見るに合ってそうなんだけどなー……なんか通じ合った感じしたし」
その時、僕の背後からしゃがれた声がする。
「犬神憑き、だよ」
「ふぇ?」
愛理さんが素っ頓狂な声をあげ僕の顔越しにのぞき込む。愛理さんの顔がみるみる青ざめていって僕も慌てて振り返った。七宝繋ぎのゆったりとしたスカートに薄ピンク色のブラウス、そして首には大きな真珠とパールのネックレス。
愛理さんの祖母、そして四方探偵事務所の元・探偵の四方 明美がそこに立っていた。
「おばあちゃん!?」
「山竹亭に行ったって聞いたでな、何やっとんだと思って軽く調べてみたら出てきたでよ」
「いやいやいやいや、そこじゃなくていつの間にウチに来たの!?」
「ウチに来たって、ココは元々あたしんちだしいつ来てもええじゃろ」
明美さんは僕らの上を跨ぎ大股で歩きながら事務所を一通り見回した後、ソファーに浅く腰掛けた。愛理さんも僕の下からするりと抜け出すと負けじと明美さんに向かって大股で歩み寄った。
「そこ私の特等席!」
「何ゆうとる、元々はあたしの指定席だで」
「あーもう!」
向かい側、ちょうど明美さんと対角の位置に愛理さんが座る。ようやく頭が回ってきた僕は慌ててコーヒーの用意を始めた。
「山竹の美琴ちゃんから愛理が男と寝とったって聞いたもんで、一体何の事件に巻き込まれたんかと思ったけど、その様子だと理人とやったんか?」
「あれは魔が刺したというか気の迷いというか、とにかく違うの!」
「ほーん、で、ひ孫の顔はいつ見れそうかね」
「そういう事はしてないから!!」
「さっきだって今にもおっ始めそうな雰囲気だったがね」
「ちーーがーーうーー!」
愛理さんがあっという間に会話の主導権を奪われていていて、思わず笑ってしまった。
「理人、いつものくれる?」
「もう用意してますよ」
明美さんにコーヒーを出す。よく分からないがインドネシア産とエチオピア産の豆を良い感じに配合したものらしい。本当は別々に焙煎したほうがいいらしいのだが、手間だからということで許してもらっている。
カチャリ、とカップとソーサーが心地よい音を立てる。明美さんは背筋をすらっと伸ばし、慣れた手つきでカップに口をつける。その動作からは年齢を感じさせない力強さがあった。
「さっすが、うちの孫と違って気が利くねぇ」
「何度もやってたんで勝手に覚えただけです」
「そーれを気遣いって言うもんだで、ほんっとあんたはいい子だねぇ」
明美さんが僕の腰をバンバン叩く。シンプルに痛い。愛理さんが不満そうな声でつぶやくように言う。
「んで、犬神憑きってどーいうことなの?」
「これがあのみどり?って子の家系図。全く探偵を名乗んならこのぐらい自分でなんとかせんとあかんで」
「うるさいなー」
ぶつくさ言いつつも、愛理さんが明美さんの書類を受け取る。ソファーに広げてみると思ったより大きな図で僕は少し畏怖にちかい恐怖を感じた。
「えーっとみどり……相羽みどり…っと」
家系図の右下の方に『相羽
「みどりってこんな漢字だったんですね」
「……うん、そうだね」
愛理さんもまじまじと家系図を見ている。
「見るべきはその碧って子じゃなくて、その子の母親」
「碧さんの……母親?」
『相羽 碧』の線をたどる。父親は「相羽
「なんというか、お坊さんっぽい名前ですね」
「その寂然っての旧姓に答えがあったのさ」
「旧姓?」
「そう。彼女の旧姓は尾神、犬神筋だ。みどりって子も当然犬神憑きの血を継いでいる」
「ちょっと待って下さい、その……犬神憑きってのが碧さんに何の関係あるんですか」
「もう察しはついとるじゃろ。わーっとることをいちいち説明するのは趣味じゃにゃあで、あとは愛理から聞き」
「えっ私?」
突然の指名に素っ頓狂な声を上げ、彼女が目を丸くする。
「おみゃあに決まっとろう。色気ついてばっかのぉて少しは頭働かせんと」
「いいい色気づいてなんかないよ!」
「なんじゃ、あんなぴらぴらした下着買っといて」
「見たの!?」
「たあけ、あんたが適当に脱ぎ捨てた服は誰が洗っとると思うとる」
思わず愛理さんの方を見てしまう。酒や片付け、先程のいざこざでスーツの型は崩れてしまっているがそれでも華奢なボディラインはしっかり主張していた。
「へっ?」
僕の視線に気づいた愛理さんの顔がみるみる赤くなっていく。
「り、理人くんのヘンタイ!!」
国語辞典の衝撃を側頭部に受けながら、僕の意識は星の光の中に消えていった。
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