第2話 英雄と標的
――東ドグマ、訓練場。
照りつける日差しの下、乾いた銃声が響いた。標的の赤点がスモークの向こうに瞬いて消える。訓練用の長距離狙撃銃を肩に乗せ、私は息を吐く。
「また中央命中。……いや、これで八発連続か」
後方から聞こえるケリド・フェルナンデス准尉の声は、呆れと驚嘆が混ざったような響きだった。
第七小隊の他の隊員たちは、遠くの標的を見ながら声を失っていた。距離、風速、揺れる陽炎――全てを見切り、撃ち抜く。
別に才能などではない。ただの訓練成果だ。私は才能よりも反復を信じている。
「……視認と照準、完了。撃ちます」
次の一発で、私は訓練コースの最高記録を更新した。仲間たちが小さくどよめくのを感じた。だが、そこに称賛は少なかった。明らかに浮いていた。
「お前、ほんとなんなんだよ……」
ぽつりと呟いたのは、同じ小隊のトーガ。皮肉ではなく、純粋な疑問だったのだろう。だがその言葉の裏には、嫉妬と警戒が滲んでいた。
セブン・ブライト少尉もまた、そんな空気の渦中にいた。
「うーん……流石だよな、ヴィクトリア軍曹。風を読むタイミングも絶妙だ」
彼は私の記録に感心している様子で、さらりと声をかけてきた。だがその言葉に返事をする者はいなかった。あの言葉に悪意はなかったのだろう。だからこそ、彼の存在は余計に目障りに映る。
――小隊長である彼は、まだ小隊に受け入れられていない。
最年少で少尉、そして即日で小隊長に任命された存在。誰がどう見ても、出る杭だった。しかも、その杭は鋼鉄製のように打たれ強い。平然としているその態度も、周囲の反発を生んでいた。
「……はしゃぎ過ぎるな。ここは演習場であって、遊び場ではない」
フェルナンデス准尉が軽く一喝し、場の空気を戻した。
そのとき、基地内に警報ではなく、無線による指示が走った。
『第七小隊、即時帰隊せよ。司令部より通達。全隊集会を行う』
*
東ドグマ司令部、中央棟。
アリスドラント国内でも最も過酷な戦地を担うこの司令部は、実質的に中央からの支援を絶たれ、ほとんど孤立した状態にある。
弾薬はぎりぎり。補給はいつも遅れがち。新兵はすぐに消耗し、熟練兵は再配置される。
――それでも指揮が崩れない理由は、ただ一つ。
カイ・クラウド大佐の存在だ。
「あれが……クラウド大佐」
私は整列する中で、前方の壇上に立つその男を見た。三十代前半のはずだが、老成した雰囲気が全身に滲んでいる。鋭い眼光と、静かな佇まい。威圧するでも鼓舞するでもないのに、その場の全員を一瞬で掌握していた。
その姿は、戦場の記憶で削られた彫像のようだった。
複数の勲章が飾る軍服に慢心はなく、立ち姿ひとつで「信じるに足る」指揮官であると訴えかけてくる。
彼は十一年前、アグナリア連邦との局地戦争において、たった一個中隊で敵軍を包囲殲滅し、戦線を押し戻した。
それは、アリスドラントの近代戦史において“東ドグマの奇跡”と記される出来事だった。
前線での英雄。部下を見捨てず、最前線で共に戦い、傷を負ってでも生きて帰る。無駄を削ぎ落とした合理性と、人間味を両立させた、稀有な指揮官。
「東ドグマは政府の目からは外れている。支援は少ない。だがこの地は、守らねばならん」
彼の演説は短く、そして明確だった。
「我々は孤立しているが、無力ではない。各員、自らの任務を全うせよ」
厳しく、だがどこか温かい言葉に、兵士たちの背筋が伸びた。
士気は、彼一人の存在で保たれていた。
その後、大佐は壇上を降り、整列した兵士たちの間を静かに歩いた。
一人の兵士の前で立ち止まり、声をかけた。
「……ノルテ。弟は元気か?」
その若い兵士は驚いた表情を浮かべたが、すぐに敬礼し、力強く頷いた。
「は、はい! 先日、手紙が届きました!」
大佐はほんのわずかに口角を上げただけだったが、その兵士の表情は目に見えて明るくなった。
そして次に、大佐は私の前で立ち止まった。
「ヴィクトリア軍曹。狙撃訓練、見ていた。実に見事だった」
私の心臓が、一拍だけ強く鳴った。思わず姿勢を正し、敬礼する。
「恐縮です」
「自分の腕を過信するな。ただ、それは武器になる。しっかり活かせ。期待している」
短い一言に、ただの評価ではない何かが込められていた。私はその意味をまだ、受け止めきれずにいた。
その直後だった。
セブン・ブライト少尉が、一歩列から離れ、手を挙げた。
「大佐。失礼します。第七小隊、現行の補給体制に問題があります。特に精密射撃用のカートリッジが旧式のまま。更新申請は誰が止めてるんでしょうか?」
一瞬、全員の視線がセブンに集まった。まさかの直訴。それも場をわきまえないタイミングで――だが。
クラウド大佐は、その申し出に眉一つ動かさず、ただ静かに問い返した。
「確認しておこう。……その情報、何を根拠に?」
「各隊の射撃精度ログと整備記録です。本日の射撃訓練で現状確認、申請記録の時系列と、承認ラインの滞留箇所も確認済みです。資料提出できます」
「……なるほど」
大佐はほんの少し、口元を緩めた。
「報告を上げろ。小隊長の判断で動ける範囲であれば、即日対応する」
それだけ言って、クラウド大佐は歩を進めた。
ざわめきが広がる中で、私はセブンに目を向けた。
「……あんた、わざとでしょ……」
「うん。今のは“信頼の貯金”。この基地じゃ、黙ってても打たれる。なら先に、成果を差し出して手を打っておかなくちゃだろ?俺みたいのは現状誰も面白く思ってないんだからさ」
セブンはそう言って、子供のように笑った。
それが計算か、本心か――私にはまだ分からなかった。
この男の感情は、読めない。
表情は柔らかいが、目は冷静過ぎるほど冷静で。
それでも、何かを演じているようにも見えない。
彼が無邪気に見える瞬間すらある。
だが、その天真爛漫さが、逆に周囲を苛立たせる。
「出る杭は、打たれる」と言うが、彼の場合は――打たれる理由すらないほど、突き抜けているのかもしれない。
――ただ、事実として。
私は今、この東ドグマで生き抜かねばならない。そして、目の前の小隊はあまりにも統率が取れていない。
不安は、未来ではなく、現在にあった。
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