第17話 終業式の半日授業ってワクワクするよね

 気付くと私は、令和の、見慣れたワンルームに立っていた。テーブルには最近ずっと読んでいた「涼宮ハルヒの憂鬱」の文庫本が散乱していた。えっと、そうだ時間。


 急いでスマホを取り出すと朝6時。寝坊していないことに安堵して、そのまま何気なくスマホをいじる。LINEには昨日の結愛ゆあとのやり取りが残っていて、久しぶりに高校時代のメンバーで飲みに行こうみたいな計画を立てていて。


 ふと気になって、知っている連絡先を片っ端から見ていく。まず結愛がいて、橋本はしもとさんとか高校時代の懐かしい顔ぶれがあって、最近見つけた委員長のインスタのDMがあって。


 あおいの連絡先だけがどこにも無かった。


 そうか、私は葵と友達になっていなくて、逆になんで連絡先を知っていると思ったんだろう。連日の残業で疲れた頭を頑張って動かして、「あ、仕事に行かなきゃ」と我に返った。


 そうしていつものようにドタバタと準備して、急いで玄関を開けた私は──


…………

……


 はっ! 夢か!


 ベッドの上で目を覚ますと、私は普通に2010年7月の自室にいた。今日は一学期の終業式で、明日からとうとう夏休みだった。


 懐かしい、令和の夢を見ていた気がする。そりゃそうか、夢ってのは過去の記憶で作られる。今からすっごいややこしい事を言うけど、時間軸的には未来でも、“あの令和”は私の中では過去なのだ。


「人間は根源的に時間的存在である」


 シュタゲで覚えた、実はよく意味が分かっていないハイデガーの言葉を唱えてみるも、なんだかあまり気分が晴れなかった。


 でも今日は終業式だと思うと、不思議と気分が晴れてきた。夏休みも楽しみだけど、なんと言っても半日授業という特別感。放課後に何して遊ぼうかと考えていると、ワクワクした。


 そうだ、葵。


 iPhone 4のスマホを開くと、LINEもインスタも入っていなくて、でも昨日の夜まで葵とやり取りしていたメールがあった。「Re:Re:Re:Re:」がいっぱい続いているやつだ。


 久しぶりに令和の頃の夢を見て、私はこの世界で葵と仲良くなるのが一番の目的だったと思い返す。現状でも、すごく仲良くなれた気がしている。でももっと先があるようにも思えた。だってまだ一年生の一学期すら終えていない。


 それに、こうしてよく葵と話すようになって、最初に想像していた以上に、自分は彼女との会話を楽しく感じることに気付いた。ずっとオタク友達が欲しかったっていうのもそうだけど、多分それだけじゃないかもしれない。


 もっと葵と時間を積み重ねていきたい。大人になっても、スマホから絶対連絡先が消えないくらいに。


 朝からそんなことを考える私は、こんなにも高校生になってしまったんだなと、心の中で少し自嘲した。


…………

……


 一周目の世界の高校生時代と比べて、私の高校生活はだいぶ違うものになった。


「結愛おはよう!」

「んー」


 ここまでは同じ。でもここに委員長が入ってきて、終業式の後に何処に遊びに行こうかとか、そんなことを3人で話し始める。


 そしていつも少し遅めに登校してくる葵が教室に入ると、私たち3人はぞろぞろと葵の席を取り囲む。


 結愛は前の飯島いいじまさんの席に許可を取って座って、私は朝が弱い葵にいつでもダル絡み出来るポジションに立って、委員長は一言二言喋って他のグループにも顔を出したり出さなかったりして。大体いつもこんな感じで、一周目の世界とは全く異なるモーニングルーティンだ。


 突然ですが、クラス内カーストについて。


 スクールカーストなどとも呼ばれるこの概念は、2010年の「桐島、部活やめるってよ」や、2011年の「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」で、広く知られるようになった。


 ただその言葉自体はもっと前からあった。あるいは言葉を知らなくても、漠然と教室内の階級を意識していた学生は多かったように思える。


 しかしこのクラスはと言うと、委員長と結愛という圧倒的な上位存在がいたため、そこまで露骨なクラス内カーストは生まれなかった。片や社会的なガチの上流階級。片や外で何やらバンド活動をしている見た目はモデル並みのギャル。どちらもクラスという狭い社会で上だの下だの言うことが、馬鹿らしくなるような存在だ。


 そうして生まれるのはカースト制ではなく、“役職制”のクラス。


・スポーツ女子が集まったスポーツ担当グループ。

・粒ぞろいの文化部たちの文化担当グループ。

・ギャルではないが比較的派手な子が集まったファッション担当グループ。

・真面目な子が集まった勉学担当グループ。

・リベロの委員長と橋本さん。


 こんな感じでそれぞれの特色を持った、横のつながりのグループが形成された。強いて言えば色々なグループに顔を出す、委員長の絶対王政と言えるかもしれない。


 女子高なので、異性の存在が無いことも大きい。ここで意外な女子高あるある(私の主観)を1つ。女子高のぶりっ子キャラは結構みんなから好かれるぞ!


 で、何が言いたいのかというと、そんなクラスの中において、一周目の世界と一番変わったのは、葵の立ち位置だった。


「あ、いずみんおはよう! 今日も眠そうだね! また遅くまでアニメ見てたの?」

「いやゲームしてた」


 こんな感じで、私や結愛、委員長以外のクラスの子からも、「いずみん」というあだ名で普通に話しかけられるようになったのだ!


 それも2010年の世界において、オタクを隠すことなく、「オタクキャラ」として受け入れられている。オタクでもない女子たちが、浅い知識で葵にアニメの話などを振っているのを見ていると、まるでここだけ令和のようだった。


 でも……、と、私の頭の中に悪い考えが浮かぶ前に、振り払う。葵にいっぱい友達が出来るのは、とても嬉しい事だ。私はまた、終業式が終わったら葵やみんなと何処に行こうか考え始めた。


…………

……


 結局この日は大掃除をして、終業式をして、昼に学校が終わったからみんなでご飯を食べに行って、カラオケをして。期待通りに楽しい一日だった。


 でもまだ、今日という日を終わらせるには何かが足りない。


 部屋のベッドの上で悶々とそんなことを考えていた私は、夜の10時頃に家を出た。


 電車で2駅。見慣れない閑静な住宅街を歩いて、私はなんの変哲もない一軒家の前で止まった。葵の家だ。ひょっとしたら私は今から、すごく迷惑なことをしようとしているのかもしれない。


 アニメとかで見るように、小石を投げて葵を呼び出してみようかと思ったけど、さすがに迷惑だし、そもそも葵の部屋が何処かわからないのでやめておいた。代わりに葵の携帯にメールを送る。


 程なくして玄関から葵が出て来て、


「みーちゃん。こんな時間にどうしたの?」

「ねぇ葵! 花火やろっか!」


 バケツと花火セットを持った私は、こんな夜遅くに葵を花火に誘うのだった。


…………

……


「ねぇ葵見て! ウィンガーディアム・レヴィオサー!」

「レヴィオーサ! みーちゃんのはレヴィオサー」


 少し蒸し暑い夜の公園で、手持ち花火に火をつけて、ハリー・ポッターごっこをする私と葵。今日もずっと葵と一緒にいたけど、なんだか久しぶりに葵と話したような気分になっていて、ちょっと浮かれていた。


 でもそんなハイテンション花火大会も長く続かず、ちょっと飽きて来て、葵と一緒にベンチに座りながら線香花火をたらす。なんだか葵の隣に座ると、さっきまでのぬるい夏の夜の空気はどっかにいって、少し涼しくなったように感じられた。


 夏草を揺らす静かな風の音と、虫の声。


 今の葵は半袖のTシャツに短パンというとてもシンプルな格好で、青白くて細い手足が伸びていた。遠くから見たら、少年に見えるかもしれない。私はふいに、そんな葵の小さな肩に頭を預けてみた。


 虫よけスプレーの匂いの奥にある、あの柑橘系が混ざった落ち着いた香りが鼻腔をくすぐった。私が大好きな葵の匂いだった。こうしていると、すごく心が安らいでいくのを感じた。


「みーちゃん、なにかあった?」

「うん。ちょっと怖い夢見ちゃった」


 そう言葉にして、私にとって“元の世界”が、いつの間にか悪夢になっていることに気が付いた。あまり良くない兆候かもしれない。だってこうして葵の肩に寄りかかっている時間は、本来ならば得られなかったものだから。


「あと今日はあんまり葵と話せなかった」


 普段はちょっと恥ずかしいけど、今日はどこまでも弱気になれる気がした。背が低い高校1年生の女子に甘える、アラサーオタク女の姿がここにあった。


 そんなことを自虐的に考えていると、葵が、


「なんだか今日のみーちゃん、めんどくさい彼女みたいだね」

「え?……あ!」


 それ私がいつか葵に言ったやつ! 私は葵の肩から頭を離して、「言うようになったじゃん」と肘でぐりぐりした。


 晴れているけど星はあまり見えない夏の夜空に、私と葵の笑い声が吸い込まれていく。明日からはいよいよ夏休みだ。


「ねぇ葵、夏休みは何しよっか」


 そう考えると、さっきまでの少し憂鬱だった気持ちはすっかりどこかに行ってしまった。葵の細い指がまた新しい線香花火を2本掴んで、そのうちの一つを渡してくれた。

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