第18話 お泊り会と膝枕
夏休みに入って最初のイベントは、
葵に案内されて、私、
「おおぉ……」
いかにも、という感じの部屋だった。机の周りにはゲーミングPCに2台のモニター。そしてゲーミングチェア。本棚にはライトノベルや漫画がずらりと並んでいた。しかし結愛は、
「意外と普通の部屋じゃん。もっとフィギュアとかがいっぱいあるのかと思った」
素人が。オタクの部屋に必ずフィギュアが並んでいると思うな。そんなんよりこの時代にデュアルモニターの方がずっとオタクしてるやろがい。
しかし一般人にとってのオタクの部屋のイメージは、やっぱりフィギュアがずらり並んだ部屋なんだなっていうのも、理解は出来た。多分2005年にドラマ化された「電車男」の影響だろう。
「葵さんこれ、つまらないものですが」
委員長が絶対つまらなくない、何かいいとこのお菓子を葵に渡しているのを背に、さっそく私は本棚をチェックする。
どれどれ、ハルヒにとあるに、物語シリーズ、キノ、成田良悟作品。ここら辺は全オタクの本棚に入っている。SF系の品揃えが厚いな。「よくわかる現代魔法」に「All You Need Is Kill」に、伊藤計劃作品を始めとしたハヤカワ系SF。お、海猫沢めろんの「零式」もちゃんとある。
しかしSFの品揃えに比べて、ミステリ系はあまりだった。あの西尾維新作品も物語シリーズしかない。2009年にアニメ化されて流行ったから、なんとなく原作を買ってみたって感じだ。戯言シリーズすら無いとは。そんなんじゃ甘いよ。
みたいな感じで、私の心の中の悪いオタクがマウントを取りつつ、ゲーミングチェアに座る葵に、
「はいこれ、ピザとお茶とコーラと、葵が好きなセブンアップ」
「ありがとう! あ、お金……」
「いいよそれくらい。葵の家の近くのスーパーすごい安かったし。それよりさ、ちょっと写真撮らせて」
「えー、いいけど」
半袖半ズボン姿でゲーミングチェアに座る葵が、まさにゲーマー女子って感じだったので、スマホで写真を撮ることにした。
「はいそのまま。あ、ピースしなくていいから。もっとゲームやってる感じで。ヘッドセットも付けて」
私がそんな感じで細かく指示を出していると、結愛が、
「美樹って写メ好きだよね。そんな好きならカメラとか買えばよくね?」
お前も将来的にスマホでパシャパシャ撮るようになるんだぞ。「インスタグラム」のiOS版がリリースされるのが今年の10月。ここにいる人たちはみな、私以外インスタを知らない人類だった。
「じゃあさっそく、海の予定を決めちゃいましょうか」
委員長が手を叩いて、今日の本来の目的を思い出させてくれた。そうだった。今日は夏休みに、みんなで海に行こうっていう計画を詰める、という名目でのお泊り会だった。
早くもダラダラしそうになっていた流れを、ナチュラルにすっと戻せるのは、委員長のすごいところだと思った。
…………
……
…
「まぁ普通にここら辺なら江ノ島になるよね」
実際には逗子とか美浜とか、高校生でも行けそうな海水浴場の選択肢は結構ある。でもなんだかんだで、都内の高校生のほとんどは、片瀬江ノ島駅から徒歩数分の「片瀬東浜海水浴場」に行ってしまうものなのだ。江ノ島のブランド力ってすごい。
個人的には伊豆大島あたりに行ってみても良かったが、日帰りとなると金がかかり過ぎる。それにまだ高校で最初の夏休みだし、今年は王道の江ノ島で良いと思った。
それはそれとして、
「美樹ってさ、なんか葵を甘やかし過ぎじゃない?」
ベッドの上から、結愛がそんなことを指摘してくる。結愛は他人の家でも平気でベッドを占領できるタイプだ。私たちは全員、葵にシャワーを借りて、ルームウェアに着替えていた。委員長はやっぱりちょっと高そうなパジャマで、床に座って日帰り海水浴計画の最終チェックをしている。
そして私は葵の座椅子になっていた。
今の私の仕事は、ゲームをする葵に、ひたすら後ろからお菓子を食べさせることだ。私は基本的に誰かにくっついたりするのが好きなタイプで、葵はそういうことにあまり抵抗が無い性格。ここに需要と供給が成立していた。葵の座椅子になってお菓子食べさせるの楽しい。
「なになに? もしかして結愛様も甘えたいの? いいよいいよ。来なよ」
私は結愛がスキンシップが苦手なのを知った上で、そんな感じの軽口を叩く。ところが結愛は、
「うーん、そうだ。逆にあたしが甘やかしてやるよ。膝枕くらいだったらしてやるから」
「ほう」
膝枕です、か。正直なところ興味があった。エロゲやラブコメでは定番のシチュだが、そういえば膝枕をしたこともされたこともない。なので純粋に一回体験してみたかった。
「じゃあ結愛、正座」
「ん」
葵の座椅子をやめて、結愛の隣に行き、彼女の太ももあたりに頭を預けてみる。しかし、
「うん? うーん……いやこれは……」
なんか思ってたのと違った。なんというかめっちゃ硬い。こんなん10分もしたら肩や首がバキバキになりそうだった。私はすぐに結愛の脚から頭を離して、
「なんか結愛の脚、硬くて癒されない」
正直な感想を言った。ひょっとしたら私がこれまで見てきたエロゲの主人公って、我慢しながら膝枕されていたのか?「ちょっと首いてーな」とか思いながらも、ヒロインといい感じの雰囲気だから言い出せずにいたのだろうか。新たな知見だった。それを見ていた委員長が、
「結愛さんの座り方が悪いんじゃないかしら」
そうかも。指示をしたのは私だが、確かに正座だと前ももの筋肉が張る。なので次は結愛をベッドの端に座らせて膝枕をしてみたのだが、
「ダメだ、これでも硬い」
「いやさっきから人の脚を硬い硬いって」
起き上がって、結愛の脚を見る。そもそも彼女の脚は細すぎて、膝枕には向いていないのかもしれない。そしてそれは多分、葵も同じだ。委員長は普通くらいだけど、ああ見えて結構筋肉がある。となるとこの部屋で一番膝枕に向いている脚を持っているのは…… 私だった。
「結愛! ちょっと私の膝に寝てみて!」
「いいけど、なんでそんな必死なんだ?」
必死にもなる。エロゲオタクとして、このまま「膝枕はファンタジー」という悲しい検証結果にはしたくなかった。
「ねぇみーちゃん、そもそも前ももに乗せるのがダメなのかも」
いつの間にかゲームをやめていた葵も、膝枕の研究に加わる。アドバイスを聞きながら私は自分の脚を色々組み替えて、一番筋肉が柔らかくなりそうな座り方を模索する。その結果行き着いたのは──。
そう、あぐらだった。それも片方の膝を立てた、立膝と呼ばれる座り方だ。膝枕をするには、あまりにも勇ましい座り方。そして結愛の頭が内ももにくるように、位置を頑張って調整しながら乗せてみた。
「あ、これなら普通に寝れそう。でもやっぱりちょっと硬いかな」
結愛からまぁまぁ及第点という評価が出た。なるほど、膝枕ってちゃんとやるのは結構難しいんだな、という新たな発見があった。だから何だっていう話だけど、そういう知識をクソ真面目に追い求めるのが、オタクと呼ばれる人種だと私は思っている。
…………
……
…
結局あの後も、膝枕の話題で盛り上がった。もう海の予定はばっちり決まったからそれは良いのだけれど、夏休みで、お泊り会で。それで女子4人が集まって延々と膝枕の研究をしているのが、少しおかしかった。
私は委員長と一緒に外に出て、追加のお菓子の買出しに向かっていた。みんなで賑やかなのも好きだけど、そんな中でちょっと抜け出して、熱を残しながら夜の静寂に身を預ける感じも嫌いじゃなかった。
「最後に葵さんが考えた膝枕。あれすごかったわよね。葵さんって面白い子よね」
そう言って、私の隣で委員長が思い出し笑いをする。確かに、上手く説明出来ないけど、なんかこう、すごかった。人類の膝枕の常識に一石を投じるような膝枕だった。
私以外にも「面白い子」として認知されるようになった葵のことを考えながら、委員長と歩く街を見る。終業式の日の夜も来た、葵の街だ。何の変哲もない住宅街で、どこにでもあるような家々に、ありふれた公園。でもここに葵が住んでいるという事実が、私にとってこの街を特別にしていた。
そう、何でもいいのだと思う。海水浴でどこに行くのかだとか、お泊り会で何の話をするのかだとか、何もかも。これもありふれた帰結になっちゃうけど、やっぱり大事なのは「誰と」だと思うのだ。
「あ、美樹さん知ってる? あの星。あれがデネブで、こっちがアルタイルで、そしてベガ。夏の大三角ね」
委員長。それを知らないオタクはいないんだよ。
これも他愛のない話だ。でもここにもちょっとだけ面白いポイントがあって、アニメを知らない委員長が、夏の大三角を「デネブ、アルタイル、ベガ」の順番で言ったのは奇跡だった。
私はこういうものを大切にしていきたい。せっかくだから、委員長が紹介してくれた夏の大三角をスマホのカメラで撮った。
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