腐敗した心

ドライアイスクリーム

第1話

ある日のこと。


私が目を覚まし近くの置時計に目を向けると、時刻は午前9時を回っていた。


また目覚めてしまった。私は宿屋の個室のベッドから起き上がると、嘆息を付きおもむろに置時計を掴む。


そして、力任せに床に叩きつけた。


時計が破壊され部品が床に散らばるのを横目に、次いで壁に頭を打ち付ける。


今日も目覚めてしまった。またしても目覚めてしまった。


私は今、一般的に異世界と呼ばれる世界にいる。


剣や魔法の他、モンスターやギルドが当たり前のように存在するファンタジー世界、悪く言うと前時代的な世界。


現在なぜこのような世界にいるのか。


それは非常に簡単な話で、私が現実世界で自殺をしたからだ。


自宅のバスルームにあるシャワーフックにロープをくくり首つり自殺をしたのだ。


生きることに飽きた。だから死んだ。それだけのことだった。


それに成功したはずだった。


それなのに、気が付けばこの世界に私はいた。


即ち、望まない異世界転生をしたのだ。


私はもう一度頭を壁に打ち付ける。


初めのうちは、この世界を好きになろうと努力した。間近で目にする魔法やモンスター、縫合が必要であろう切り傷が魔法で治ることに感激したこともある。


だが、すぐに飽きてしまった。それらを見ても一切心が動かなくなった。


もし、ここでもう一度自殺をしたとして、決して生まれ変わることなく眠り続けられる保証はあるのだろうか。


またしてもこのような世界、もしくは現実世界に戻ってしまうのではないかと考えて、どうしても死ぬことができなかった。


壁に両手を付き嘆息する。


この世界には、私のように転生をする人間はある程度いるらしい。そして、年齢は無関係にその手の人間をかき集めて施設に入居させ学校に通わせる。


その学校で、この世界の言葉や仕組みの他、生きるための術を学ぶことになる。この世界にはそうした仕組みがあるみたいだ。


学校嫌いの私にとっては地獄のような時間だったが、私は行く当てもなかったので従わざるを得なかった。一時期は規律に従いながら学校に通い、この世界の言葉を覚えつつ魔術を学ぶ学校に通っていた。


剣術の習得は不可能だった。腰まで伸びており顔の上半分が隠れるほど長い私の髪に加えて、私のような筋力のない人間に剣を振り回すことは不可能だった。種類にもよるが、多くの剣は想像以上に重く持ち歩くだけで苦労する。大剣を振り回しながらモンスターと戦う華奢なキャラクターなど空想上の存在に過ぎないと私は思っている。


工夫を凝らせば実現可能なのかもしれないが、そんなことをしてまでわざわざ剣を使いたいとは思えない。


そのため、学校で魔術を学ぶことにした。ただし、問題行動を起こし続けて退学処分を受けた。魔法の杖の先端を使い生徒や教師を突き刺したり、勉強中の魔法を何度も生徒に試して怪我を負わせたからだった。


こうしたことも、少しはこの世界を楽しくするための私なりに考えた上での行動だった。だが、この世界もそれは許してくれなかったようだ。


その後、入居していた施設から金貨を数枚手渡され追い出された。問題児をかくまい続け、施設内で不祥事でも起こされたら困ると判断したのだろう。そして現在、私という腫物がいなくなり施設の職員たちもさぞや安心していることだろう。


面倒な奴が消えてくれれば、数枚の金貨など安いものなのだろう。


そんな数ヶ月前のことを考えながら気を取り直し、部屋のテーブルに置いてある紙を手にした。


ここには、私に対する依頼の内容が書かれている。


実は、施設を追い出されてから独学でこの世界の言語と魔術の勉強をしたのだ。


炎を起こしたり怪我を治すような一般的な魔法は使えない一方で、一撃必殺級のとある特殊な魔法を覚えた。恐らく誰も真似できない不思議な魔法だ。


そして、その魔法を駆使して依頼をこなす日々を送っている。


そして、この紙には「自身の娘を殺した殺人鬼を始末してほしい」と書かれている。報酬は金貨150枚。日本円でおよそ150万円ほどの価値がある。


ところが、ギルドに通いながらモンスター退治をしている人たちにいくら頼み込んでも誰も引き受けてくれなかったらしい。モンスターは別として人は殺したくないのだろう。


そのため、この依頼が私に回ってきたのだ。


私には、殺人鬼が許せないという正義感が一切ない上に依頼人にも同情していない。


どうせ人は死ぬのだから。


だが、金さえもらえればこれくらいのことはやれると思い引き受けたのだ。


さらに紙に目を通す。


その殺人鬼は、命の危機に瀕した際に仲間を呼ぶらしい。そして、その仲間とともに死者の肉体を弄ぶとのこと。


また、この宿屋から北東にある娯楽施設に入り浸っているという。


依頼書の下部にあるターゲットの似顔絵を見る。病的に太った体。ガマガエルのように醜悪な顔つきをした吐き気のする女だった。


そこまで読んで紙を床に投げ捨てると、私はこの依頼を達成する方法を考える。


口封じの方法と魔法を発動させるタイミング。上手くやらなければ私がこいつの餌食になるのは確実。私は何もかもが最強というわけではない。魔法が使えなければ非力な人間と同レベルだ。異世界転生をすると同時に最強になるなどいつの話だ。


どうするのが最適なのだろうか。


少し考える。


考えをまとめた後、量販店で購入した安っぽい作りの仮面と万年筆、そして布手袋を入れたポーチを肩から下げて部屋から出た。


閑散とした道を歩き北東の娯楽施設に向かう。そして、その施設に到着し、施設のガラスの扉越しから目にしたのは、ターゲットとなる肥えた醜悪な見た目の女だった。


依頼書に書かれた似顔絵、そして依頼者から聞いた顔と全く同じだ。


歳は私とほぼ同じだろう。そいつはジュースを飲みならダーツをしていた。


やるか。


私は手袋をはめた後、仮面をかぶってから扉を開きそいつに接近する。


そいつは、私に気が付くとダーツを投げる手を止めて怪訝そうな表情を浮かべた。


「何よあんた。あたしに」


そう言ったとき、私は懐に隠し持っていた万年筆を取り出し、そいつの舌に先端を力強く突き刺した。


今度は、近くの的に刺さっているダーツを抜き取り逆手に握ると、そいつの喉に刺す。


そいつは口から血を吐きながら何かを喚いている。だが、これでもう喋れないだろう。大切な仲間も呼べないだろう。


そして何より、こうして不意打ちを食らえば逆上し、やり返したくなるというのが人間というもの。


私はそのまま外に出て、背後からそいつが追いかけてくるのを確認した。


娯楽施設の裏側。普段なら誰も目にすることがない、見たとしても見て見ぬふりをするような場所。そいつは今なお倒れず荒い息を吐いて私を睨みつけている。


意外にも、ダーツの矢はあまり深く刺さらず、どこかに転げ落ちてしまったみたいだ。そのせいで、目の前にいるターゲットは平然と呼吸している。


だから、仲間は呼べそうなものだがそれはしないようだ。私のことを1人で殺さないと気が済まないらしい。


ターゲットは、1歩また1歩と接近してくる。現在私は壁際に追い込まれており、後には引けない状況だ。


そいつは獣のようにうなり、ドスドスと下品な足音を立てながら私に急接近し、腹部を蹴り上げた。


重い一撃が腹部を刺激し、私は目を見開く。


さらに、うつぶせに倒れた私に馬乗りになり、ぶよぶよの太い腕で何度も殴打してきた。


脳を守るために、どうにか両腕で頭をかばうが、殴られるたびに鈍い痛みが走る。


このままでは、ただ私が蹂躙されて終わることだろう。


だが。


ふと、そいつの動きが止まった。


そして、目にした。


私を殴る手の指がボロボロと腐り落ちていく様子を。


そいつが絶叫し攻撃を止めた隙に、私は横転して即座に離れる。


実は、ここまで追われているとき、私は自分の体に魔法をかけておいたのだ。


私の体に触れた生き物の肉体を数秒後に腐らせる魔法。


これこそが、独学で習得した魔法なのだ。


触れた箇所から徐々に肉体が腐っていき、最終的には脳や心臓のような重要な部位まで腐り果てる。


そして、その効果は私も止めることができない。


見ると、既にそいつは両腕が完全に腐り落ち、両肩が腐ろうとしている。さらに、私を裸足で蹴り上げたせいでつま先にも魔法の影響が及び、今や立てない状況だ。


断面部分から血液と脂が混ざったおぞましい液体が溢れ出て、そいつは意味不明な悲鳴を上げる。


このままでは誰かに聞かれてしまうだろう。


なので、私はふらふらと立ち上がり、そいつに近づくと、舌から万年筆を引き抜いて喉に深々と突き刺した。


これで、悲鳴を上げることはできない。ただ静かに肉体が朽ち果てて死亡するのか、それとも呼吸ができなくなり死亡するのか。


私はどちらでもいい。依頼を達成して報酬がもらえればそれで構わない。


私は、懐に入れていた袋に、崩れ落ちた指を数本入れる。これが依頼達成の証拠品となるからだ。


直後、私は力が抜け落ち、数歩後退してから仰向けに倒れ込んだ。


魔法の効果が切れた。この状態になると誰が私に触れても腐らないが、こうして魔法を使い終えると耐え難い疲労感が必ず襲いかかってくる。


そのため、可能な限り使用は避けたいものの、現時点において、この魔法を使用しなければこの手の依頼は達成できないのだ。


こうして動けなくなると、私はいつも死後の世界について考える。


ここが死後の世界だとするならば、ここで死んだとしてもまたここで蘇ってしまうのだろうか。安寧は訪れないのだろうか。


そう思うと鬱屈とする。


ふと、腐った内臓の強烈なにおいが鼻をついた。


見ると、そいつは完全に腐り果てて息絶えていた。


立ち上がり近づき、つま先で軽く蹴ってみるが反応はない。


ひとまず依頼は達成できた。まずは宿屋に帰ろう。依頼達成の報告はその後で問題ないはずだ。


私は、鉛のように重く感じる自分の体を持ち上げて、帰路についた。


そのときだった。


背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


振り返ると、そこにはなぜか依頼者の中年の男がいた。


一体いつからそこにいたのだろうか。通りかかった際に、私がターゲットを殺す様子を偶然目撃したのだろうか。


私が何も言わずにいると


「すげえな!あんたがあんな奴に殴打されてるときはどうなるかとひやひやしたが、魔法でしっかり逆転して俺安心したわ!」


依頼者は大声で私を称賛しげらげらと笑い始めた。


「まさかここまで派手にやってくれるとは最高じゃねえか!あれか?あのきったねえのが俺の娘を殺した奴の遺体か?きっもちわりいなあマジで!」


「証拠品です」


「そんなのいんねーよ!俺がこの目で!あんたがあいつをぶっ殺したところを見てたからな!」


証拠品が入った袋の受け取りを拒否すると、ちょっと待ってな!と言いどこかに向かって走って行った。


依頼者の背中を見届けた後、袋を近くの焼却炉の中に放り込んだ。


こんなものを持っていても仕方がない。


それから数分後、息を切らしながらこちらに向かってくる依頼者の姿が見えた。手には何かをぎっしり詰めた布袋を手にしている。


「ほら!報酬だ!いい感じにぶっ殺してくれて気分いいから、少しだけ金貨多めに入れておいたぜ!」


依頼者から報酬を受け取ると、袋越しから確かな重みが伝わってきた。


中身を確認すると、確かに金貨がぎっしりと詰まっていた。


「まだまだぶっ殺してほしい奴は大量にいっからよ、また絶対あんたに依頼するぜ!」


「もし私のことを口外したらあなたも必ず腐らせます」


「いやー怖いこと言うねえ!だが安心しな!俺はあんたが必要だし誰にも言わねえから!それじゃあな!」


そう言うと、依頼者は明るい笑みを浮かべその場から走り去っていった。


この依頼者は、殺人願望を叶えるために私を利用しているのだろう。


金をもらって殺人をする私と、金を払って殺人をしてもらう依頼者。


利害関係は一致しているから悪くないのかもしれない。


しかし、今は早く帰って眠りたい。


私は、金貨が入った袋を握りながらそう考えた。

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