第9話 闇の連鎖と確信の時

 夜の闇に紛れ、ひとりの男が馬を駆っていた。曾我祐成の古くからの家臣、名を川名清太。無骨だが誠実な性格で、祐成がまだ少年であった頃から仕え、主従を超えた信頼関係を結んでいた。


 この夜、清太は密命を帯びて北条館の裏門近くに向かっていた。北条家の家人の一人から、かつての命令書の写しを渡したいとの報があったのだ。しかし、峠道に差し掛かったところで何者かが道に石を撒いていたことに馬が驚き、清太は振り落とされる。だが、打ちどころの悪さでは済まなかった。馬に蹴られた痕と共に、首筋には明らかに人の手による窒息の痕跡が残されていた。


 清太が、峠道の崖下に転がる遺体となって発見されたのは、翌朝のことだった。


「足を滑らせたのだろう」と村人は言う。

「馬が驚いたのだ」と役人は言う。


 だが、祐成の胸に去来する感情は、別の色を帯びていた。清太は馬の扱いに長けた男だ。そんな事故が起きるはずがない。何よりも、北条館の秘密に最も近づいたその日に死んだというのが、偶然とは思えなかった。


 それから数日と経たぬうちに、もう一人。今度は、かつて北条家に仕えていた下人の老婆――密かに北条館で命令のやり取りを見聞きした証人――が井戸に落ちて死んだ。名を「お芳」といった。


 お芳は幼いころから北条家に奉公し、館の台所に通じる裏通路の掃除を任されていた。彼女はかつて北条の家宰・堀藤太が命令書を受け取る場面を見ており、それを祐成に語っていた。今は山中の庵で静かに暮らしていたが、再び事情を問うべく訪れた祐成の使いに対し、「まだ話すことがある」と言い残した翌日、死体で発見された。


 井戸に落ちたとされるが、その縄は刃物で断たれていた。しかも、庵の戸には無理やりこじ開けられた形跡があった。だが、村の役人たちは「老いぼれの転倒事故」として扱い、祐成の抗議にも耳を貸さなかった。


 三人目の死は、祐成の胸に決定的な冷気を落とした。


 記録係・秋房。かつて幕府の文書整理を担当し、命令書や証状の筆跡に精通した書吏である。祐経が彼に命状の写しを見せた際、「この筆跡、北条家の家宰・堀藤太のものに似ておりますな」と小声で漏らしていた。


 それを聞いた祐成は秋房に再度接触を試みるが、応じはなかった。三日後、秋房の遺体が自宅の裏手の溝で見つかった。顔は膨れ上がり、毒を飲まされたかのような形相だったが、検死に当たった役人は「腹を壊して溺れただけ」と報告した。


 祐成は灯明のもと、亡き者たちの名を紙に書き記していた。川名清太、下人のお芳、記録係・秋房。彼らは皆、北条館との接点を持ち、祐経と祐成の調査に協力していた者ばかりだった。


 殺されている――確実に。そして、誰もそれを“殺し”とは気づかないよう、完璧に工作されていた。


 冷たい夜風が障子を揺らす。祐成は筆を置き、静かに立ち上がった。火鉢の灰を箸で突きながら、ぽつりと呟く。


「……我が敵は、刀を振るう者にあらず。言葉と策で命を弄ぶ者なり」


 思えば、工藤祐経が語った“不審”の数々――頼朝の直筆ではない命状、命令が北条館を経由していた事実――すべてが一本の線でつながっていく。


使者を送ったのは誰か。

記録を改ざんしたのは誰か。

証言者を次々と“始末”できる立場にいるのは、誰か――。


 祐成の目が、闇の奥でゆっくりと細められた。怒りは、叫びにも涙にもならない。ただ芯を持った刃のように、凍てつく静寂の中で輝きを放つ。


「叔父上殿……あなたか」


その名を口にした時、胸の中にあった疑念が確信に変わった。


 彼は策士である。情の仮面を被りながら、人を駒のごとく動かし、不要となれば切り捨てる。曾我兄弟も、工藤祐経も、皆その掌の上――そう、“巻狩”の舞台までは。


 祐成は、深く息を吐いた。


「俺は……見誤っていた。仇とは、刀を振るった手ではなく、その手を握っていた者。操り、命じ、すべての因を作った者。……そこにある」


 火鉢に薪を足すと、炎が再び上がった。祐成の瞳にもまた、赤い決意の焔が映っていた。


「巻狩にて、裁きを下す……」


 夜の静けさに、燃える火の音だけが答えていた。


――――


 北条館の奥深く、普段は使われぬ一間に、古い帳簿や命状の控えが保管されているという情報が、祐経の密偵からもたらされた。


 夜半、変装した祐成と祐経は、北条領の古い政所跡へと潜入する。戸を開けると、埃にまみれた巻物や木簡が山と積まれていた。蝋燭を灯すと、うっすらと浮かび上がる文字の列――


「これだ……」と祐経が呟く。


 手に取った一巻の命状控え。その筆跡は、祐経がかつて手にした“頼朝の命”とされる文と酷似していた。だが、それは明らかに頼朝の書ではない。


「堀藤太……この筆跡、間違いない」


 堀藤太――北条家の家宰にして、文事を一手に扱う男。その筆跡を祐経は幾度も目にしていた。命状の控えには「祐経、速やかに河津を討て」との記述。日付は、頼朝が伊豆を離れていた頃。しかも、命状の裏面には“北条館にて草案”との極めて稀な記録。


 それは、「頼朝様の名を騙り、北条館で命状が起草された」ことの決定的証拠だった。


 祐経は言葉を失い、祐成は静かに拳を握った。


「……やはり。命は、頼朝様ではなく、北条の意志から出ている」


「しかも、堀藤太を使って、陰に隠れるように」


 さらに隣の巻物棚には、今は亡き記録係・秋房が残したと思しき私記録も見つかる。そこには薄れた墨跡で、「某月某日、工藤祐経北条館に参じ、命を受く。御館不在中なり」と書かれていた。


 祐成の目が静かに見開かれる。


「秋房……命をかけて、これを残したのか」


 数珠を取り出し、亡き協力者の名を一つずつ唱えたのち、祐成は祐経と目を合わせる。


「この書、祐経殿が持っていてくれ。巻狩にて、断罪の証とせよ」


「良いのか。おぬしの仇でもある」


「いや……これは、“民を騙し、主をも欺いた者”への、裁きの刃だ」


 祐経は頷き、巻物を大袖に隠した。二人は気配を殺し、再び闇の中へと溶け込んでいく。


 背後に忍び寄る影――時政の密偵たちは、既に彼らの潜入を察知していたが、二人の動きは速かった。


 その夜、時政の元には、密偵から「“証拠”に手をかけたようです」との報告が届く。炉の前、黙したまま灰をつつく時政。目を細め、口元にわずかに笑みを浮かべた。


「よかろう……証拠を手にしたつもりか。ならば、それもろとも消すまでのこと」


 炎が焚き上がる。


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