第7話 証拠を追う二人

 夜が更け、野の静寂に虫の音が響く中、曾我祐成は農村の外れにある古い納屋を訪れていた。そこにはかつて河津祐泰に仕えた家臣・木塚左馬之助が身を寄せていた。年老いたその男は、祐成の顔を見ると驚きと共に、懐かしさに微笑んだ。


「まさか、若殿が……」


 祐成は膝を折り、昔日の礼をもって話しかけた。


「久しいな左馬。あのとき、父の死の報せを最初に聞いたのは、誰からだった? 使者の風体、覚えているか」


 左馬之助はしばし目を閉じ、記憶を探るように静かに言葉を紡いだ。


「確か……あの者は、北条の屋敷から来たと聞いた。表門ではなく、中庭の裏門から入ってきたと……それから、文を持っていた。名を聞いた気がする。堀……堀藤太の郎党だったかの」


 その名前に、祐成の胸がざわついた。堀藤太――北条家に仕える家宰。政務を掌握し、時政の影として長く仕えている男だ。


 祐成はその後も、父の死の前後に北条館へ出入りしていた下人たちを訪ね歩いた。かつての馬丁、炊事係、門番、皆が「命令状を届けた使者」が北条屋敷の者であったことを、朧げながら証言していた。


「北条の屋敷で見かけた顔でしたよ。どこか目を伏せるようにして、裏口を出入りしておった」


 その断片が、一本の線となっていく。


――――


 一方、工藤祐経もまた別の方法で真相に迫っていた。伊東の自邸に戻った彼は、密かに家人に命じ、過去の文書を一つ一つ取り寄せていた。


 館の奥座敷に籠もり、彼は頼朝様から直接受け取った書状の数々を机に広げた。その中には出陣の命、裁可の下った判物、日々の政務報告が含まれていた。


「頼朝様の書は、常に端正で、筆に迷いがない」


 祐経は、文の筆致を細かく見比べた。筆の運び、仮名の崩し方、句読点の癖、行間の間合い……それらが一目で「異なる」と感じさせるものがあった。


 問題の命令状――河津祐親を討てという命が記された文――それは確かに頼朝様の名で記されていた。だが、祐経の目には、それが明らかに別人の手によるものと映った。


「この筆致……見覚えがある」


 彼は蔵から、北条家より受け取った過去の目録や連絡文を取り出した。中でも多くが堀藤太の筆になるものであり、その中に酷似した筆跡がいくつも見つかった。


「筆のかすれ方、仮名のねじれ……これは同じ手だ。堀藤太、間違いない」


 文書に付された印の位置、書き出しの文法、締めの言葉遣いに至るまで、一貫した癖が読み取れた。


――――


 数日後の夜、祐成と祐経は密かに再会した。かつて憎しみの火花を散らした間柄とは思えぬほど、二人の間には不思議な静けさがあった。


 祐経は一通の書状を差し出した。


「見てくれ。命令状とこの目録の筆、見比べてほしい」


 祐成はじっと書面を見つめた。筆圧の強さ、運びの癖、文字の偏り――どれもが一致していた。


「……この命、頼朝様のものではない。書いたのは……堀藤太。北条の家宰だ」


 祐成の声には、怒りよりも、静かな確信があった。


「それが意味するのは――祖父を討てとの命は、北条の意志で仕組まれたということ」


 祐経は目を伏せた。


「私情がなかったとは言わぬ。領地を奪われ、妻を離縁させられた私にとって、河津殿は憎しみの的だった。誤ってそなたの父である祐泰殿を討ったのも事実だ。だが……頼朝様の命がなければ、私は刃を振るうことはなかった。私情より、国の大義を選びたかった」


 祐成はしばし言葉を飲み込んだのち、低く呟いた。


「父を死へ導いたのは、剣ではなく……偽りの命だ」


 その場に、重い沈黙が降りた。月が雲間に姿を見せ、二人の影を淡く地に落とした。巻狩の日まで、時はわずかに残されていた。


 二人は知っていた。真実に近づけば近づくほど、命が狙われることを。だが、彼らの歩みはもはや止まらなかった。


 ――北条時政。すべての糸を引いたその名が、夜の風に乗って、ふたりの胸に深く刻まれていた。


――――


 北条館の奥まった一室。冬の余韻を残す夜気が障子の隙間から忍び込み、わずかに燻る炉の火が赤々と室内を照らしていた。


 北条時政は炉の前に膝を折り、静かに茶を啜っていた。外からは一切の物音が届かず、まるで世の音が消えたかのような沈黙に包まれている。ふいに、影が障子をよぎった。


「……入れ」


 時政が声をかける前に、障子が音もなく開き、黒装束の密偵が現れた。顔の半分を布で覆い、その声は低く抑えられている。


「曾我兄弟――とりわけ兄・祐成と、工藤祐経。接触を確認いたしました」


 時政は反応を見せず、ただ茶碗を置いた。


「二人、密かに動いております。巻狩までに“何か”を掴もうとしているように見えます」


 その報告に、時政の口元がゆっくりと歪んだ。


「……やはり、動いたか。血に縛られた者どもが、自ら炎に飛び込むとは」


 笑みの奥には、計算と冷笑が潜んでいる。


「愚かなことよ。真実に手を伸ばせば伸ばすほど、奈落が口を開くというのに」


 時政は再び茶碗を手に取り、ひと口啜った。


「……よい。泳がせよ。そして、機が熟したと見れば――その時は、影を刈るとしよう」


 密偵は深く頭を下げ、音もなくその場を去った。再び部屋に訪れる沈黙。炉の火が静かに爆ぜる音だけが、夜の帳の中で生きていた。

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