第2話『夜闇の魔女』
少年は満天の空を見上げる。 星々が連なり、幻想的に見えた。輝くままに我が身に振り堕ちてくれないかと、思う。想う。
「────」
少年は夜空から目をそらして、瞳閉じた。
バルコニーの手すりに体重を預けた。
焦がれるような、胸の内が苦しい。もどかしい。きっと空に輝く星々には、この感覚はないのだろう。
足りない自己への憤りや焦りなど考えもしない。
……だから、自分ロアは、出来損ないなのだ。
◇
──すこし、昔。
世界はある脅威に窮していた。
その脅威の名は「魔王」。魔王は強かった。ただ一人で万夫を超える力有し、軍を率いたなら、世界を滅ぼしえる。
そういった類の存在だった。
世界はみるみる内に魔王の軍勢に蹂躙された。人が死に、凌辱され、街を焼かれて遂には国が滅んだ。
皆恐れた。泣いて喚いて、逃げ惑った。
──だが。
立ち向かうものも少数だがいた。
まさしく彼らは、「勇者」だった。
「勇者」たちは魔王の軍勢を迎え撃ち、少しずつ魔王のもとへ向かっていった。死闘の果てについには、「魔王」を討った。
「魔王」を討った勇者の名は「ナハト」。
ロアの父親だった。
それは確かに、ロアにとって誇りだった。
自身の父はすごいのだと語られるたびに誇らしくなった。自分の父はすごいのだと声高に叫びたくなった。
……その度に、心に澱が溜まった。
「ぼくは、父さんみたいにできない……、それどころか自分に誇れるものがない」
叫びだしたい心の淵で、緩やかに響いてくる。
──自分がすごいわけでもないのに。
──父の功績で胸を張るなんて、盗人猛々しいこと。
──自分には何もないくせに。
確かな事実が胸を刺した。心の澱が膨れだして、嗚咽になって泣いてしまう。
ロアはその場で蹲って、声にならない泣き声を漏らす。
炎が欲しい。自身を焼く炎が。
燃ゆる猛々しい炎。紡ぐ言葉に力が宿るように、織りなす行動に、それを支える五体に力が宿るほどの──。
そんな炎。
胸を張っていたい。誰の目を気にすることもなく、胸を張っていたい。
これがロア・ムジークなのだと、そう居たい。
例えばリーゼロッテのように算術や魔法を使えたなら、胸を張れただろう。
例えば、父のように自由自在に剣を扱えたなら、きっと己を誇れたろう。
例えば──絵本に出てくる魔王のような力があるならば……。
例えば──。
「────っ」
他者と己を比較することに意味なんてない。
意味なんて、ない。
意味なんて……。
ありもしないことを譬うことに、意味なんてない。分かっている。いたずらに自分に爪を立てるだけの自傷行為だ。
分かっている。
でも、意味がなくても、憧れてしまう。
空虚な胸の中、憧れだけが鮮烈に主張する。誰かのように、笑ってみたい。
『痛ましい』
「……⁉」
突如聞こえた女性の声に、ロアは目を剥いて顔を上げた。
「だ、だれ……?」
周りには誰もいない。当然だ。父と母は大切な仕事で留守にしている。今はだれもいない。だから、浸れたのだ。
誰の目も気にせず泣けたのだ。
ロアは首を大きく振って周りを確かめた。
矢張り誰もいなくて、首を傾げて、安堵で胸を撫でおろす。
『残念だけれど、見ていたよ。君の泣きじゃくる姿を。胸の内が悲痛でずきりとしてしまったよ』
「幽霊?」
姿の見えない相手に、少年は安直に答えを出した。
『当たらずとも遠からず、だね。生憎まだ両の足は健在だよ?』
「あなたは誰?」
『ふむ……、思ったよりも、物怖じしない子だね。姿が見えないから? いやいや、姿が見えないからこそ恐ろしいだろうに』
「……?」
『すまないね、思考と言動が割合、直結しているんだ。聞き流してくれ給え』
ブツブツと独り言が聞こえ、ロアは首をかしげていた。
そんな少年に、女性の声は弁明した。
『……と、ボクが何者か? だったね。恣意的に答えるならば、君の救いだろうか』
「救い……」
『事実に照らし合わせるならば、〝魔女〟だろうね』
「魔女」かつての大戦で、「魔王」に与して、人類の脅威となったもの。
その事実をロアは反芻し、後ずさりをした。
少年の顔が恐怖で張り詰める。
『幼いのに、よく勉強している。だけど安心して欲しい。
ボクは、あの戦争には関わっていないよ。
だから、君の両親に対する感情はないし、勿論君への害意もない』
「だったら如何してぼくに声をかけたの?」
『言ったろう? 胸が痛んだのさ。君ほど幼い子供が、両親の重圧で今にも潰れそうで、なのに健気に両の足で必死に背伸びをしている。応援したくなる。そう思うのは不思議かな?』
「……、」
『どうかな? ボクに君を救わせてくれないかな』
応えに詰まった。
途轍もなく胡散臭い。だからといって、噓と断ずるものもない。
もしかしたら、そう、もしかしたら。
──ロアの人生において、たった一度のチャンスなのかもしれない。彼女の声を振り払うのは簡単だ。耳をふさいで、ベッドの中に潜ればいい。
でもその結果、自分はこのまま、憂いの中を歩むかもしれない。
「……」
毒のように甘美だった。
目の前にその手があったなら、藁にも縋る思いでとっていただろう。
「姿を見せてほしい。あなたを見てから考える」
『賢明だね……少し待ちたまえ』
ロアは静かにうなずいた。
魔女の声がしばし途絶える。
待つこと数分、空が少し明るくなっていることに、ロアは気づいた。
「まだ夜明けには早いけど……」
部屋の壁にかけてある時計を確認した。
午前の二時。母がいたならば、𠮟られている時刻だ。
矢張り、夜明けには早い。
夜空を照らす
我慢して見た光は大きくなっていることに気づく。
……いいや、違う。近づいてきているのだ。
「……っ⁉」
閉じた瞼を開けると視界には、見たこともないほど美しいい女性が、手すりに腰かけていた。
夜の闇のように美しい、藍色の髪が特徴的な、美しい女性だった。
──TIPS──
『魔法について』
魔法とは詠唱によって様々な現象を起こす技術。
極めて才能に依存するため、体系化が進んでいない。
特に治癒魔法は使える者はごく少数で、どこの国も欲している。
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