勇者の息子の英雄譚

[ノーネーム]

第一章「魔宮偏」

第1話 『勇者の子』

 ──例えば世界が危機に瀕していたとして。

 ──例えばその危機が、生き物であったとして。

 ──例えばその危機が人の手によって、討たれていたとして。


 ──、あなたはどうするだろう?




 ロア・ムジーク(六歳)。

 趣味:「特になし。」

 特技:「特になし。」

 好きなもの:「特になし。」

 誇れること:「勇者の息子。」


「はあ~~」


 アイネ王立学園の教師であるアイザックが深い溜息を吐いた。

 彼は蟀谷を指で押しながら、書類にもう一度目を落とした。


「はあ」


 当然ながら綴られた文字は変化しない。

 

「どうしたんですか? ため息ばかり、らしくもない」


 隣の席の同輩であるエミリアが尋ねる。普段快活な性格であるアイザックからため息ばかり出ることに、少し驚いている様子だ。


「いえ、新入生が入ったでしょう?」


「ああ! 姫様や勇者の息子様を受け持つとか! すごいですよね! 同期として誇らしいです。それがどうしてため息になるんですか?」


「これです……」


「……?」


 アイザックはエミリアにロアの〝自己紹介書〟を見せた。


「……、」


 目を通して、渋面を作る。


「英雄の子は、人でしたか」


「英雄とて人だよ、リンガーネ教諭。ただ、少しばかりロア少年は自己主張が乏しい。これによる世間からの声が心配だ……、多感な時期だしな」


「すみません……、」


「揶揄した訳じゃない、恥じ入る必要はない。あれだけの偉業をなした方のご子息だ。期待するなというほうが、難しいだろう。だが、それはロア少年には関係のないことだ。父の功績は父のもので、子には子の道があるだろう」


 アイザックの言葉に、女教諭は猛省する。

 同期の彼は昔から老成した価値観だった。学園時代もこうしてたしなめられたことがあったことを想い出す。


 彼のこういう人柄が、リーゼロッテ姫や、英雄の子を預けるに足ると思わせたのだろう。

 自身も彼に倣い、改めなくては。


「英雄の子も楽ではないな。きっと苦労ばかりするのだろう」


 のことを、として観るものはきっと少ない。

 だからこそ、まだ見ぬ少年の理解者であろうと、年若い教諭は胸に誓うのだった。




 ロア・ムジークは父と母に手を引かれて、アイネ王立学園に向かっていた。

 今日はあいにくの雨で、静けさの中で雨音が踊っている。

 しけた空気が鼻腔にまとわりつく。苔に似た匂いだった。


「学園はいいところよ、友達もきっとたくさんできるわ」


 母であるマイカが嬉しげに言った。

 少年は静かにうなずいた。


「大丈夫だって、何せ父さんの息子だ。直ぐに友達もできるし、剣も巧くなるよ」


 父であるナハトが言った。

 ロアは静かに頷いた。


「……、」


 傘にぶつかる雨粒に耳を傾けた。

 パチパチとはじけた音がする。

 まるで拍手のように聞こえた。

 絶望に音があったなら、きっとこれがそうだ。


「父さんぼくは……、」


 顔を上げて、ロアは胸の内の言葉を吐こうとした。

 ──吐こうとしてやめた。

 石畳をねめるように見ていたせいで気づかなかったが、学園についていたのだ。


「どうした?」


「……、何でもない」


「……? そうか?」


「うん」


 ああ、嫌だと言えばよかった。何もかもいやなのだと。学園なんて行きたくないと。友達なんて欲しくないと。

 言えばよかった。


 自然と、握られた手を握り返す。

 何も言わない家族の間に、雨が降る。

 とても騒がしく、寂しい音だった。



 入学式は恙無く進行された。学園長がありきたりな美辞麗句を並べ、最後に激励を述べる。ただ一つ、いやだったのは、学園長が自分の名前を出したことだろう。


 ──今日は素晴らしき日です。なんと、この国の宝である2人が、私が預かるアイネ王立学園に入学されました。

 皆さんご存知、ロア・ムジーク君。勇者の息子、英雄の息子!

 そしてもう一人、この国の一の姫! リーゼロッテ=フォン=アイネ!


 自分の名前を出された後は覚えていない。自分の名前を出された瞬間、視線が一気にロアに向いた。

 その圧は、少年が耐えられるものじゃなかった。

 父に助けを求めようと、ナハトを見た。彼は誇らしそうに笑っていた。


「……、」


 ロアは我慢することにした。でもやっぱり、耐えきれなくて、自分と一緒に名前を出された、少し前の席の少女──リーゼロッテを見た。


「……!」


 ただ一目で打ちひしがれた。

 わかってしまった。堂々と胸を張るその姿、少しも臆さないその様は、持っている側。

 悔しくて、羨ましくて、ロアは俯いた。

 だから気づかなかった、リーゼロッテもロアを見ていたことに。




 ロアがどれだけ、拒絶しようと時間は流れ、日は沈み、夜を超えて朝焼けがやって来る。

 だから結局、学園にはいかないといけない。

 とても理不尽に思えてならなかった。


 ──教室に入る前に、深呼吸をしてから扉を開けて、入室する。ガヤガヤとしていた室内が一瞬で静まり返った。

 

「……、」


 一気に視線が集中する。

 ロアはできる限り気にしないように努めた。

 自分の席に静かに、着席する。


「おい! あれが勇者様の!」


「でもあんまりオーラないよね?」


「平時は隠してんだろ!」


 ロアのうわさ話をする生徒たち。とても嫌だった。

 話をするなら、自分以外の話題にしてほしい。どうして自分ばかりを気にかけるのだ。


「ねぇ、貴方。ロア・ムジークよね?」


「……、」


 隣にいたブロンドの髪が美しい少女が声をかけた。

 無視をされたことがないのか、少女は応えを返さないロアに眉毛を顰めさした。


「ねえってば!」


「リーゼロッテ姫が声をかけたぞ!」


「すげえ気になる!」


 ロアとリーゼロッテ姫を隣同士にしたのは意図あってのことだろう。

 それがロアには煩わしい。


「……、放っておいてくれ」


「無理よ、気になるもの」


「ガサツだって言われない?」


「言われないわ、仮に言ったとしてもその人はきっとこの国にはもう居ないでしょうね」


「強権……、」


 悪口一つで国外追放されるなんてたまったものではない。

 この国の先はどうやら暗いらしい。


「私の権利だもの──それより……、」


 リーゼロッテが傲然と言い放つ。続けて何か言おうとするも、扉が勢いよく開かれて男が入ってくる。


「少年諸君、初めまして」


 男は教卓の前に立つ。


「俺の名はアイザック・ウッドマン! 君らの担任だよろしくな!」


 アイザックは持ち前の快活さを発揮した。

 歯を光らせて笑うさまは、彼の整った容姿も相まって、はまっていた。


「早速だがカリキュラムの説明だ。まあ難しいことはない。ここで学ぶのは他所とそう差異は無い。大きく違うのは、剣と魔法を早い段階で学ぶくらいだろう」


 この大陸から魔王の脅威が去って久しい。

 それでも、列強諸国は武を磨くのをやめなかった。

 それはひとえに恐怖ゆえに。

 魔王の与えた恐怖それだけすさまじかったのだ。

 かつての大戦から十五年以上……、その時代から軍の規模がどこの国も大して変化していない。


「みんなにはこれから〝魔力〟を測ってもらう。それが終わったら、修練所で模擬用の剣を握る事になる。まあ慣らしだな」


 教室がにわかに姦しくなる。

 皆興奮していた。

 自身の力を測れるのだから、当然だろう。


「……、」


 ロアだけは暗い顔をしている。


「じゃ、早速移動するぞ! 外に出て並べ~!」


 生徒たちが綺麗に整列する。

 それから移動して、何か大きな装置が置かれた大部屋につく。


「それじゃ魔力計測していくから、名前を呼ばれた奴は魔力計測系の前に行け。まず──」


 タコを思わせる魔力計測系によって次々と魔力計測が終わっていく。

 魔力計測系は色によってを示す。

 順に高い質になっていく緑→青→白→黒→金→白金。

 魔力は鍛錬によって質を向上させることが可能だが、矢張り才能にかなり依存している。

 通常の方法では、十年を掛けて質を一つ向上させるのが関の山だ。そのくせ一つ質が上がると、難易度が激増する。壁が高くなるのだ。無為な努力を続けて挫折するものは多い。


「次、カルロス!」


「はい」


 やんちゃそうな顔の少年が、魔力計測系にからめとられて、計測されている。


「〝黒〟か……素晴らしいな」


 アイザックが感嘆の声を出した。

 〝黒〟を出したカルロスは、胸を張っている。生徒たちがざわざわと言っていた。


「──次、リーゼロッテ姫」


「ええ」


 魔力計測系は金色に発光した。

 アイザックは啞然とした。

 生徒たちもまたにわかに騒がしくなる。カルロスは悔しそうな顔をしていた。


「何を驚くことがあるのかしら、私なのだから当然でしょう?」 


 リーゼロッテは不思議そうに首を傾げた。

 嗚呼、本当に、本気でそう思い、確かに彼女には才能がある。

 それがとても妬ましい。だって、きっと、ロアが彼女と同じ場所にいたとしてもそんな風には思え無し、振舞えない。


「次、ロア!」


「……はい」


 魔力計がうにゃうにゃと動いている。

 とても怖い。魔力計がではなく、結果が。

 もしも、もしも、もしも! ぼくには才能がないとしたなら! 嗚呼いや、あるはずがない! 自分が思うままに、思うように! 夢想するように実現できたことなんて! 過去にただの一度もないのだから!


「〝白〟か……」


「────っっ‼」


「……、ロア。思いつめる必要はない。〝白〟つまり──〝三階位〟クラスの魔力は決して凡庸ではない。非凡のたぐいだ」


 アイザックが言った階位とは単純に戦士を評価する値だ。

 現代戦闘の大部分は魔力に──例外は存在する──依存する、それ故に階位という制度が設けられた。

 魔力の質が、力に大きく比例するからだ。


 緑と青が四階位──非戦闘員──。

 白が三階位──戦闘員──。

 黒が二階位──二級戦力──。

 金が一階位──一級戦力──。

 白金が特位──英雄──。


「……、」


「その年齢としで、これだけの魔力を有する者はそういない。だが、少し豊作すぎたな。姫様は兎も角、カルロスか……」


 何か、アイザック教諭は言っていたが、茫然としたロアの耳には届かない。

 生徒たちがざわざわしている。


「あいつ本当は英雄の子じゃないじゃないか?」


「耳を引っ張て見ようぜ! ロバの耳かもな!」」


「それに比べて、カルロス君はすごいな~」


 関係値のない相手なぞ、すぐに評価が変化する。

 彼等の誹謗はその実、ロアの胸を貫く。

 本当に、ナハトの子でなければよかったのに。

 そうであったなら、

 

「ほかのクラスが来ている、移動するぞ!」


 魔力計測が終わり、いそいそと集団は去っていく。

 その中の一人がとても悲しい顔をしているのを、入れ違いで入っていく生徒たちが不思議がっていた。



 一団は次に野外に出た。アイネ王立学園内にある修練場だ。

 砂地で大きく開けている。

 

「木剣が用意されている、みな好き好きに選んでいいぞ!」


 人数分の木剣が用意されていた。皆こぞって群がっている。

 ロアはそれを後ろから眺めていた。


「行かないのか?」


「興味ないから、残ったやつでいい……、」


「そうなのか?」


「そうだよ」


 アイザックは少しうなった後、頭を撫でてきた。


「……? ……、」


「それ噓だろ?」


「なにを……、」


「だって、お前のその手、剣だこだろ? 小さいのに、毎日必死に剣を振ってる証拠」


 ロアは自分の手のひらを見た、傷だらけで、血豆ができていてお世辞にも、綺麗とは言えない手。

 この手が嫌いだ。これだけ努力しても、思い描く何者にも為れない。

 それでも是しか縋れるモノがなくて、だから毎日必死に努力した。

 努力しか頼れるものがないから、恵まれた自分が、他者にも自分にも言い訳を続けるには、必死で毎日を潰すしかないから。


 だから好きじゃない。

 だから嫌いだ。


「終わったみたい、行ってくる」


「……、」


 アイザックは頭をガシガシと掻いた。


「難しいな……、」


 ロアの心、複雑に入り組んで、解くのは余人では不可能に思えた。

 初日、彼と会って初日だ。

 それでも、ロアはすべてを拒絶しているのが分かった。


「木剣は行き渡ったな! それじゃ、振って見せるから、倣ってくれ!」


 そういってアイザックは木剣をふるう。

 とても綺麗な型だった。アイネ剣術。それも相当な腕だ。

 木剣なのに空を切る音がする。


 アイザックの剣を前にして、少年少女は疼いたのか、見様見真似で木剣をふるう。

 ロアも惰性で振った。


 木剣を振り出して少しすると、リーゼロッテが手を挙げた。


「どうしたんだ?」


「模擬戦をしたいわ!」


「ん~、しかしな」


「こんなの退屈よ」


「退屈と言われましても……、」


「私と彼がすればいい演出になるのでは?」


「……、」


 リーゼロッテがロアを指差した。

 ロアの表情からは感情がうかがえない。

 教諭は考える。


「大丈夫か?」


「やれと言われれば、やります」


 ロアの目には少しの自信があった。だって、魔力なんかと違って、時間かけたのだ。物心ついてから、ずっと剣を振っていた。

 誰にだって、努力の時間では負けない。

 見たところリーゼロッテは剣を握った様子がない。今日初めて握ったのだ。

 負けるわけがない。負けていいはずがない。


「そうか、なら、ルールは一撃を決めたほうの勝利だ! いいな?」


「いいわ……、」


 リーゼロッテがつまらなそうな顔をするが、承諾する。

 わがままを言っている自覚があるのだろう。


「ぼくもそれでいい」


 二人の承諾を得て、アイザックは肯いを一つ。


「では両者構えろ!」


 アイザックの号令で二人は構えた。

 彼我の距離はおおよ三から四メートル。

 剣の勝負において、子供の足では、かなりの距離に感じるだろう。


「……、」


「ふ……!」


 攻めたのは、やはりというべきか、リーゼロッテだった。

 木剣を下段に構えたまま、彼我の距離を潰していく。

 対してロアは不動。

 どっしりと構えて、リーゼロッテを待つ。


「……!」


「ハッ!」


 一気に踏み込み、ロアにめがけて逆袈裟に切りかかる。

 ロアはあえて、一歩踏んで、リーゼロッテの懐に入り、のタイミングを乱した。


「うそ……⁉」


 振り切るよりも先に、ロアが内側に入り、ロアの木剣がリーゼロッテ木剣を弾いた。

 たたらを踏んで狼狽えるリーゼロッテ。


「隙あり‼」


「……!」


 完全な隙だった。

 思いもよらぬタイミングで剣は弾かれて、泳いでいる。

 どうやったって間に合いはしない。

 そう確信して、ロアは上段から振り下ろして──。


「ハ──!」


 振り下ろした、木剣を木の葉のようにひらりと躱して、ロアの懐に。

 そして今度こそ、下段からの逆袈裟で、ロアを宙に追いやった。



 

 ロアは数分意識を失った。

 気がついたら学園の療養室にいた。

 一応のため、早退する運びとなった。

 母が来るまで、天井のシミを呆然と眺めていた。

 

 どうして負けたのか? とても不思議だった。

 だって負けるはずがない。

 いっぱい……、いっぱい! 努力した! 誰にも負けないくらい! 少なくとも自分と同じ年齢で、同じだけ剣を振った子なんていないはずだ。


 でも負けた。

 空虚な心に寂寥感が満たされていく。

 意味のないことだったのだろうか?

 徒労だったのだろうか?

 努力なんて結局意味なんてなくて、吹けば飛ぶようなもので、本物の才能の前ではとるに足らないもので……。


 だとしても、明日からまた剣をとるのだろう。

 無意味に、無意義に、義務的に、必死になるのだろう。


 そこに何がるのだろう? 果てはあるのだろうか? あるのは無感動だけじゃないのか?

 自問が続く。

 自分の中に答えはあって、でもそれがとても残酷なものだったから、ロアは目をそらした。


 母が来て、抱きしめられて、愛の言葉を吐かれても。心には何も去来しなかった。

 伽藍の心には空気すら響かない……。








──TIPS──


『アイネ王国』


 ローゼリア大陸の南部に位置する大国。

 基本的に温暖で、雨がよく降る。

 王権制度。

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