第8話 沈黙と誤解の果てに

誰もいない祖母の家。畳の香りは、子供のころは安心できる匂いだったはずなのに、今ではただの古びた空気にしか感じられない。


陽翔はリビングの隅に置いたスマートフォンを、ずっと睨みつけていた。


通知の数は減らない。けれど、そこに届くのは、同情でも励ましでもなかった。


《被害者ぶるな》《逃げたくせに》《加害者が何を言っても無駄》


最初の一件の投稿が広まった時点で、陽翔の名前は完全に“犯人”として一人歩きしていた。謝罪の言葉すら求められない。そもそも、弁解の余地すら与えられていない。


(逃げたくて、逃げたわけじゃないのに)


それでも、SNSには「逃げた」という言葉が並んでいた。彼の沈黙は「罪を認めた証拠」として消費されていた。


「……もう、いいよな」


ふらつく足取りでベランダに出る。昼間だというのに、空はやけに曇っていた。


柵の向こう、見下ろせば、アスファルトの地面が広がっている。ここは団地の5階。落ちれば、まず助からない。


「誰も、信じてくれなかったな」


小さく呟いた言葉が、風にかき消される。


陽翔は足をかけ、柵を超えようとした――そのとき。


《ピロン》


スマホの通知音が鳴った。思わず振り返ってしまう。


《陽翔、どこにいるの。お願いだから、返事して。》


送信者は「母さん」。


その瞬間、陽翔の胸の中に溜まっていたものが、何か溢れ出すように崩れた。


「……母さん」


彼女だけが、最初から変わらず信じてくれていた。どれだけ他の家族が背を向けても、SNSが罵倒を浴びせてきても、母だけは。


ぐらり、と視界が揺れる。


だめだ。これはもう、自分でコントロールできる段階じゃない。


陽翔は震える指でスマホを掴み、母の名前をタップした。


「……助けて。俺……俺、もう……」


涙と震えで言葉にならない声を、どうにか絞り出す。


電話の向こうで、母の息を呑む音がした。


「陽翔、今どこにいるの? 大丈夫、すぐに行く。絶対に、一人にしないから」


その言葉に、やっと、陽翔の足がベランダの柵から外れた。


崩れるように座り込んだ陽翔の頬を、ひとしずく、涙が伝った。




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冤罪という名の闇に落ちた少年の、再生の物語。

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