017 編入試験②
――こいつは何者だ。
クレア・ロザリオはさっぱり分からなかった。
歴史ある学園に突如として現れた謎の魔術師。
その男はルイと名乗った。
姓も、経歴も、目的も、一切が不明。
そして、異常なまでの魔術の腕前。
浮遊、隠匿――どちらも有名な魔術だ。
魔術師は距離を取って戦うのが基本戦術。
ゆえにこれらの魔術は理論上ではとても有用で、さらに分かりやすさもあり、そこらの子どもでも知っている魔術といえよう。
しかし使い手は稀。
そもそも魔術師は、自分の身体に魔術を掛けるのが得意ではない。
内で循環させるのが騎士。
外に放出するのが魔術師。
別の生き物に働きかけるのが癒し手。
並みの魔術師にできる浮遊魔術など、せいぜい落下速度を緩める程度のものであり、自由自在に空を飛びまわるなど――かつていただろうか。
浮遊魔術とは、暇な魔術師が道楽で修行してみて結局宴会芸にしかならないような、そういうものだとクレアは認識していた。
そして隠匿魔術についても――
あれは隠匿魔術といっていいものなのか?
あれは気配を薄くして見つかりにくくするような魔術だったはずだろう。なのに、完璧な透明になってしまうような魔術がこの世に存在するのか。
そんなものがあれば。
世界が変わる。
過言ではなく、世界が変わる。
魔術師たちがあの浮遊とあの隠匿を使いこなせるようになったとすれば……。
魔術師は透明のまま空から攻撃を降らす。
騎士、癒し手、浮遊と隠匿を使いこなせない魔術師、それらは戦場から駆逐される。ただの地を這う的でしかないのだ。
戦場が変わる。戦場が変われば世界は変わる。あの新魔術を手中におさめた軍はたやすく世界を燃やしつくすだろう。
だからこそ教師陣は全力でルイという男の捕縛に挑んだのだが、それは、新魔術の有用性を証明するだけの結果に終わった。
世界一の王国の、世界一の学園の、世界一の教師陣が、鬼ごっこをする子どものようにあしらわれる。
それからあの早着替えの術も、脅威度は比較的低くとも、未発見の魔術には違いなかった。どういう原理なのか。魔術師たちは頭を捻っている。
未来から来た――
そう言われたとしても、クレアは驚かない。
「君の
ルイはシニカルに笑う。
「――ッ!」
ふざけるな。
ふざけるな、とそう思った。
魔術師は肉弾戦が苦手。だから遠くに隠れてこそこそ魔術を放ってくるのだ。
そして騎士は、飛んでくる魔術を叩き切り、魔術師が身を隠す障害物も叩き切り、逃げようとする背中を叩き切る――
なのに円から出ない?
人外じみた魔術師であることは認めよう。
しかし騎士そのものへの侮辱は聞き逃せない。
「その言葉、違えるなよ」
「ええ」
「浮かぶのもナシだぞ」
「もちろんです」
「透明になるのもナシだからな」
「分かってますって。……注文多いですね」
敵を観察する――
どこにでもいそうな青年期の男だ。
年齢は少し下。黒いローブ。
両手には何もない。杖さえ。
彼我の距離は大股三歩。
大股三歩――すでに騎士の間合いだ。魔術を構築する間を与えず叩き切れる。
たとえ木刀であっても。か弱い魔術師の首を折るなど、そもそも拳だけで充分なのだ。
しかし殺すわけにもいかない。
いや、制御できないなら――殺すべきか。
そこまで考えて、クレアは頭を振った。これは一教官が判断できる領分を超えている。
「選ばせてやる。どこを打たれたい。殺しはしないが……寸止めではないぞ。私は打つと言ったら打つ女だ」
「なら、そうですね」
ルイはあごを指でさすり、鑑賞でもするようにクレアを見下ろした。
「胸を。俺は胸を打たれるような戦いを探し求めているんですよ」
どこまでも余裕ぶった態度だ。どういうつもりなのか知らないが、一度思いきり殴りつけてやれば目も覚めるだろう。
「いいだろう。手加減はしてやる。――開始の合図はお前のタイミングでいい。それが遺言にならないことを祈っていろ」
「遺言か……面白い冗談です」
ルイは指を鳴らした。
「スタート!」
ト、の音が空気を揺らした瞬間、クレアは体内の魔力を一挙に足の裏へと集中させ、十本の指で大地を強く掴む。
そして蹴り出す。
衝撃が膝から腰を伝って上半身へと波及していくのに合わせて、魔力を巡らせる。
普通の肉体では耐え難い加速も、魔力が血肉を頑強に変えてくれるので、どうということはない。
そしてすぐ魔力を足に戻す。
もう一度蹴り出す。
大股三歩の距離で、実に七度、大地を蹴る。
一歩で迫るより細かく刻むことで、転進、停止、柔軟に対応でき、なにより七度加速するのだ。
その加速は剣先に乗る。乗せる。
速度が技で、速度が力。
最後――魔力を刀身に流す。
何千何万と素振りし、昼夜の別なく握り続けることで腕の延長と化した剣、それに己の魔力を巡らせていく。
とった。
確信した。
しまった。
後悔する。
ルイはクレアの急加速を目で追うことさえできていないようで、自然体で突っ立ったまま。
これでは殺してしまう。
何か面白いものを見せてくれると思っていたのにと複雑な不満を抱きつつ、クレアは剣を引いて速度を殺そうと試みる。
たのむ、死なないでくれよ。
そう祈りながらも、型をしみ込ませた体は型通りに動いてしまい、全身の関節と筋肉がしなやかに駆動しながら、剣先のただ一点にエネルギーが集中していき、炸裂する。
炸裂する――はずだった。
一撃で半死半生――のはずだった。
相手は後方に吹き飛んで、肋骨は粉々に砕け、すぐに癒し手を呼ばなければ死んでしまうような重体となる――はずだった。
一拍の静寂。
しかしルイは立っていた。
剣先がその体に埋まっている。沈み込んでいる。水にさし込んだかのように手ごたえがない。
ルイが半歩下がった。
思い出したように。
おっとっととでも言うように。
「今のは……なんだ……?」
クレアは剣先、ルイの胸、その顔と順に視線を移していく。
完璧な突きが決まったように思えた。
理性も感覚もそう言っている。
勝利したのは間違いなくこちらだと、二十年磨き続けてきた本能が確信している。
「俺には触れないんだ」
【
「魔術……か?」
クレアの声は震えていた。
そんな魔術は騎士の存在理由の否定だ。
触れられない? そんな馬鹿な。なにかカラクリがあるはず。それに魔力は無限ではない。同じ魔力切れとなったとき、優位に立つのは絶対的に騎士。
ゆえに、このまま打ち込み続ければいずれは必ず届くはずだ。
しかし。
「クレア教官、あなたは俺には触れられない」
その声音で、その表情で。
クレアはそこに嘘がないことを悟った。
触れられないのだ。
何があろうと。
どれだけ剣を研ごうと。
絶対に――届かない。
「試してみましょう」
ルイが腕を伸ばしてくる。
クレアは反射的に身を引いた。
身を引き、気付いたら――尻もちをついていた。
尻も両手も土の上。
木刀がカラカラ転がった。
それでもルイは迫ってくる。
押し倒されているような姿勢だ。
指が顔に近づいてくる。
アンタッチャブル。さわれない指先。さわってはいけない指先。それにさわられてしまったとき――どうなってしまうのだ。私はどうなる。どうなる。どうなる。どうなる。どうなる。どうなる。
心が恐怖に支配されていく。
これは試験であって命のやり取りではないと頭で分かってはいても、血肉が縮み上がっていく。
「ご、合格、っ、です」
そう言った。
言わされてしまった。
年下の、身分も定かでない、魔術師の男に。
敬語で。
完全なる――屈服ッッ。
雷に打たれたような衝撃だった。この男には絶対に勝てない。そう理解させられた。体の芯がピリピリと痺れている。
それは、男勝りを貫いてきたクレアが初めて味わった圧倒的な敗北感。
どれだけ鍛えようとも端から次元が違うのだ。地にへばりつくミミズが大空を舞うワシに勝てるはずもない。
「そんなに怯えないでください。ショックです。俺にも人の心があるんですよ」
ルイは立ち上がり手をパンパンはたいた。その軽い態度と表情はいつもどおり、どこにでもいそうな青年のものだ。
「………………」
クレアはしばらく呼吸さえままならなかったが、ようやくほっと息を吐きだす。大丈夫だ。ルイはこちらに危害を加えるつもりはないのだ。そう言い聞かせる。
「こちらのセリフだよ。あんまり脅かさないでくれ。……まいった。降参だ。ところでルイは……歳はいくつなのだ。私は……ううん、そっちが先に言ってくれ。それに応じて二か三はサバを読まねばならん可能性が――」
とぶつぶつ言いながら、クレアは立ち上がらせてもらおうと、ルイに手を伸ばしたのだが――
「………………!」
そこにもうルイはいなかった。
スポーツマン精神とかないのか……?
ルイの代わりに数十の受験生が静かな視線を注ぎ込んでいて、クレアは慌てて表情を取り繕った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます