015 学園③

「私が一年生向けの授業を受け持つとき、いつもする話がある。まずはそこから始めよう」


 教壇に立つ女教師――アルビド教授。

 ろくに肉のついていない体に黒いローブを羽織り、皮肉げに口元を歪めている。黒い髪は美しいが、不健康そうな女性だ。


「六歳の姪でも答えを知っているが、あえて諸君に問う。分かるものはいるかな」


 彼女の言葉により、教室がある種の緊張感で満たされた。俺の背筋も伸びる。


「魔物とは何か?」


 生徒の一人がすっと手を上げた。


「悪性魔素に侵された動物のことです」


「いいね。これから君を辞書ちゃんと呼ぶことにするよ。しかし辞書ちゃんは植物系魔物を知らないのかな? それに一部の竜は魔素に侵されてはいないね。 ……他に意見のある生徒は?」


「人に危害を与える生物、です」


「ふむ。その定義では盗賊たちも魔物になる。……私はその意見には賛成できるがね。倫理を失った人間は狡猾な分だけ魔物より悪質だ」


「魔物とは、魔界より遣わされた――」


「ここは神学の授業ではないよ」


 アルビド教授はぴしゃりと言って、教室中に視線を投げかけるが、もう答える勇気を持つ生徒は残っていなかった。


 もちろん俺も答えられない。


「では教えてあげよう。――魔物とは、君たち人間を食物連鎖の中で下に置く存在だ。私は先ほど食堂で鶏むね肉のトマトチーズ煮込み、野菜のグリル、さつまいもコーンを食べてきたが、それと同じように、魔物は我々を喰らう」


 思えば、地球では旧石器時代にもなれば、人間はマンモスを狩れるようになった。そのときにはもう人間は生態ピラミッドの頂点に立っていたといえるかもしれない。局所的な敗北はあれど総合的に勝ったのは人類だ。


 しかし、この世界はまだ違う。


「抗わなければいけない。ああ、食べられたいというなら別だがね。――ゆえに、戦士の育成は社会にとっての最重要課題だ。これに失敗した文明・国家が滅びてきた、そう言っても過言ではない」


 なるほどね。俺は深く頷きながらあくびをこらえた。


「そして君たちは最上級の戦士の卵だ。少なくとも建前上は。中には親の力で入ったものもいるだろうが、私は許すよ。それが研究費になるからね。むしろ感謝している」


 アルビド教授は生徒たちを挑発するような笑みを作ったが、哀れな子どもたちはプルプル震えて目を伏せる。


 それに満足したように唇を舐める教師。生徒をやりこめて喜ぶとは変態的。


「言うまでもないことだが、ここハルスペルド学園の地下には巨大な霊脈が通じていて、思春期をここで過ごせば大いなる飛躍が期待できる。だからこそ王国中、世界中から若者が集まってくるわけだ」


 若者だけでなく、歴史上、何度も兵士がやってきたのは皆様ご存じの通りだがね――アルビド教授はそう語る。


「君たちの多くは先祖由来の優れた血を継ぎ、幼少のころから鍛え、家格に恥じぬ才を見出されてここにやってきた。あるいは落ちこぼれる未来など分かっているのに、親の意向と親の金でここにやってきた。あるいは何にも頼らずに、己の実力のみでここにやってきた。みなが『選ばれた』存在だ」


 アルビド教授が手をひらりと振ると、いつの間にかその手の中には杖があった。木製とは思えないほど黒い。それの先端が強く黒板に打ち付けられ、空気が裂ける音がした。


「これだけは保証しよう――卒業するころには君たちは格段と強くなっている。君たちが想像するより遥かにね。ぜひ励んでくれたまえ。貴族、平民、それ以外、どれも結構、たいへん結構。王の下の平等というやつだ」


 アルビド教授は控えめに笑った。そう悪い人でもないのかもしれない――そう思わされるような、柔らかい笑顔だ。


 生徒の一人が手をあげた。


「質問です。いいですか?」


「いいかい辞書ちゃん。次に『質問いいですか』などという間抜けな問いで授業時間を浪費すれば、君の成績評価にはマイナスを掛ける。百回もね」


「……すいません。それで質問なのですが、天井の隅でねそべるような姿勢で浮いているジャージ姿の男性は、いったいどなたなのでしょう?」


 アルビド教授の笑みが凍りついた。


「あれは……勝手に住み着いた不審者だ」




▼△▼




「ルイさん、また先生たちが怒ってましたよ。今度は何したんですか」


 なんでだろう。

 また怒らせちゃった。


 昼休み。

 校舎の最上階の階段の踊り場、袋小路になっている密会に最適の空間にて。


 リアは床にしゃがみ込み、体操座りから立ち上がろうとしている最中のような姿勢で、両手で膝を抱え込んでいた。


 俺は可愛い聖女との逢瀬を楽しんでいる。


 嘘である。

 ちょっと怒られてる。


「授業聞いてただけなんだけどな……。気を緩めたら透明化が解けちゃって」


 初登校から数日。俺は今、神出鬼没の妖精さんみたいな立ち位置にいるのであった。


「なんだか懸賞金をかけようみたいな話もあるみたいですよ。あとは外部から人を呼んで捕まえさせるとか」


「へえ、大事なんだな」


「なんで他人事な反応なんですか」


 そんな面倒事になるのは申し訳ない。早く受け入れてもらわねば。


「しょうがない。もう一度しっかり話をしようと思う。話せば分かるはずだ」


「……そう言って毎度毎回追いかけっこになってますよ」


「なんでだろうな。なんで俺を受け入れてくれないんだろう。俺は何されても反撃してないのに、まだ信用してくれないのか」


「反撃はしてませんが秩序は乱してます」


「ちつじょ……」


「剣術の授業に現れてはクレア教官をからかい、魔術の授業に現れてはアルビド教授に魔術の実演をねだり、食堂では料理の匂いを嗅いでまわって……」


 許容の範囲内ではないだろうか。どうだろう。人によって解釈が分かれるといったところか。


 ……俺もなるべく透明のままで我慢しようとはしているが、ずっと透明というのはやはり耐えられない。


 そしてこの学園を離れるわけにもいかない。ここで展開される乙女ゲーのメインシナリオを見守らなければ。世界を救うためなのだ。


 それが神が俺を遣わした意味、使命。

 そうですよね神様?

 神の名のもとに俺の全ては正当化される。

 ……これはさすがに言い過ぎた。


 幸いなことに、生徒とは意外と仲良くやれてる。そして俺を見かけても何もしない先生方も増え始めた。黙認というわけだ。


 だからこそ懸賞金とかは避けたい。それに今の不審者扱いのままでは、リアに堂々ついて回るのがためらわれる。これは由々しき問題だ。俺はリアの背後に浮かんでいるときが一番幸せなのに。


「浮いてるだけなんだけどな」


「……浮遊魔術の天才だと思われてますよ。まあ、それは都合いいと思いますが。幽霊だとばれたら祓われかねません」


「俺は幽霊じゃない」


「なら地獄の大魔王です」


「俺を進化させていくのはやめなさい」 


「うーん……どうしましょうか」


「どうしよう」


 俺は異世界人、リアは癒しの術だけ得意な田舎娘である。クールな策略など思いつくわけもなく、無為に時間だけが過ぎているのであった。


「困りましたね」


「困ったね」


「……このまま困った困ったどうしようと言い続けて、目を離した隙にルイさんがまた何かをしでかして、来週には懸賞金、再来週には学園外から人が来て大捕り物、という未来が見えます」


 と、その時だった。


 内緒話をしている踊り場――その階段の下に、人影が現れた。


 黒と白の衣装。

 ふくらはぎの膨らみ。

 膝小僧のシワの模様。

 そして太ももの肉感。


 まさか、お前は――


「少しぶりでございます、守護霊様、リアお嬢様。本日より本学園のメイドになりましたので、ご挨拶に伺いました」


 メイドミニスカ。

 ソラ・カートンである。


「わあ! ソラじゃん! 本学園のメイド? あの屋敷は辞めたの?」


「辞めました。メイドにも主人を選ぶ権利はあるのでございます。それでメイド一匹路頭に迷っていたのですが、ちょうどこの学園が求人を出しておりまして、採用いただけました」


 最高かよ。ソラは入れ替わり事件の真相を知る数少ない人間のうちの一人だ。我々は強い絆で結ばれている。もしかすると俺を追ってきてくれたのではないだろうか。


「ソラはまた俺にお仕えしたくて学園に来てくれたんだね?」


「……そういうわけではないのですが」


「お世辞でもそう言ってよ!」


「この幽霊めんどくさい……」


 これはリアのつぶやきだ。


 ソラが言う。


「しかしお噂は耳に入っております。ここでも大活躍だそうですね。さすがでございます」


「褒めてくれるのはソラだけだ」


「ソラさんあまり褒めないでください」


「ふふ。リアお嬢様もすっかりお元気そうでなによりでございます。――その体の方が遥かにお似合いですね。いきいきと輝いて見えます」


「そうですか……? えへへ。そうかなぁ」


 我々はデレデレである。


 ――そうだ、ソラに案を求めよう。どうすれば俺を受け入れてくれるかについて。ソラは俺とリアよりずっと物事を知っている。きっと素晴らしい考えを出してくれるはず。


 俺が現状を説明すると、ソラは少しだけ悩み、すぐに自慢げな顔になって手を打った。


「なら、編入試験をお受けになってはいかがですか?」


「……名案だ」


 なんて有能なメイドさんなんだ……。


「自分の年齢を思い出して!」


 リアが何か言っているが、俺はとりあえず編入試験を受けることに決めた。

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