003 初戦闘

「ああ……あああ……」


 新しい移動手段を編みだすべく、引き続き夜の庭に浮かんでいたら、突然女性の声が聞こえてきた。


 急いで声の出元へと泳いでみると、そこにいたのはすらりとした美人さんである。


 こちらに背中を向けていたのだが、艶やかな黒髪を揺らしながら振り返り、見せてくれたお顔は、血に塗れていた。


 異世界でもこの現象に出会うとは……。


 透けてて宙に浮いてる。

 間違いなく幽霊だ。


 女幽霊は革製の防具なのだろうか、なんとなく駆け出し冒険者っぽい装い。

 ただし血まみれ土まみれスライムまみれ、頭にはナイフが突き刺さっている。


 ここはファンタジー世界である可能性が高いわけだし、幽霊くらいいるだろう。


 俺は霊感など無い人間だが、霊視スキルまで習得してしまったようだ。


 これを、そうだな、【霊視眼シン・ヴィジョン】と名付けよう。

 真実を見抜く目――霊視眼シン・ヴィジョン


「うぐわあああっ!」


 女幽霊は両手を前に突き出して迫ってくる。

 その姿はさながらゾンビのようであり、ジャンルをニアミスしてますよという俺の指摘は聞こえていないらしい。


 ま、どうせすり抜けるしな――

 そう高を括っていたのだが、女幽霊と盛大に額をごっつんこしてしまった。


 こいつ……!

 俺のすり抜け能力を無効化するだと?


 ……いや、馬の霊体もすり抜けなかったわけだから、幽霊も同じということか。


 急いで背泳ぎで後退する――というか幽霊でさえホバー移動できてるのに、なんで俺には泳ぐしか移動手段がないんだよ。


 女幽霊はおどろおどろしい声をあげながらまた突進してくる。


 ――殺意を感じる。


 戦いの気配。

 この女幽霊は俺を殺そうとしている。

 殺されれば、死ぬのだ。


 死にたくない。逃げよう。全力クロールで泳げば振り切れるかもしれない。と思っていたのだが。


「……シテ……シテ……」


 女幽霊は急に動きを止めて、何かぶつぶつ言い始めた。


「コロシテ……」


 おお……。

 そのセリフを聞けるとは。


「でももう死んでますよ」


「コロシテ……」


「……つまり成仏したいと?」


 女幽霊は小さく頷いた。


 なるほど。

 それなら成仏させてあげよう。


 もちろん純然たる奉仕精神に基づいてだ。

 推定異世界での初戦闘にゲーマーの血がたぎっているわけではない。

 あんな姿で、まともに話すこともできずに現世をうろつくなど不憫というもの。

 なるべく痛みのない方法で、すっぱりあの世へと送り出すのが情けだろう。


「経験値、いただくぜ……っ」


 そんなものがあるかは知らないが。


 拳を固く作る。

 人をグーで殴ったことはない。

 今日が初めてだ。

 しかし不思議な高揚がある。

 もしかして、近接格闘系のスキルも与えられているのではないだろうか。


 なんというか、頭が冴えているのだ。

 女幽霊の動きもゆっくりに見える。

 俺の体には何かがみなぎっている……。

 これは気、あるいは魔力?


 俺は、間合いが一歩分になった瞬間、強烈なドルフィンキックで宙を蹴り出し、神速のパンチを女幽霊の鼻面に繰り出した。


 神速のパンチは避けられた。

 避けるんじゃない。


 しかし、確殺の第二撃。


 俺の左フックが風を裂き、雷鳴のごとき音を轟かせて、女幽霊の頰に炸裂。へにゃりとした手応えが返ってきた。


 苦悶の叫びが響き渡る。

 しかしその叫びが薄れたのち、彼女の表情はいくぶんか和らいでいて、初めて穏やかに話した。


「ありがとうね……ロジェ……」


 俺はロジェではない。

 誰かと勘違いをしているようだ。


「いいんだ、レベッカ」


 彼女もレベッカではないだろうが、それでも何かに満足したようで深く頷き、その体が薄くなって消えていく。


「他の女と間違えたな……絶対忘れないからな……来世でも絶対見つけてやるからな……」


 満足してなかった。


 すまないロジェくん、君は来世でもメンヘラ女に愛されることが確定してしまった。


 ロジェくんがまだ生きているのか知らないが、もしも会ったら優しくしよう。


 俺は手を合わせた。


 ご冥福をお祈りします。


 すると、女幽霊の残滓である小さな光の粒子が俺の体へと流れ込んできた。おへそあたりに吸い込まれて、体が一瞬燃えるように熱くなる。


 これは、霊力……?


 いや――やはり経験値。

 間違いない。これは経験値だ。


 たくさん吸い込めばもっと強くなれるような気がする。

 レベル上げはゲーマーの性。

 稼いで稼いで稼ぎまくるしか道はない。


 それに、ワンパンで倒せたというのはなんだか将来に期待が持てる。


 たぶん俺は強い。

 幽霊としての格が高いのだ……ってなんだ俺は何を考えてる。俺は幽霊じゃない。


「幽霊じゃない幽霊じゃない。俺は死んでない」


 言い聞かせながら庭をプカプカ浮遊していると、屋敷の門の前に人だかりがあるのが見えた。


 こんな夜更けにどうしたのだろう。


 目を凝らす。


 それは人だかり――ではない。


 俺はつい悲鳴をあげそうになった。


 ここは地獄じゃなかろうか、そこまで思ってしまうほど、魑魅魍魎ちみもうりょう悪鬼羅刹あっきらせつ百鬼夜行ひゃっきやこう、悪霊たちが蠢いて、門に詰めかけ屋敷を取り囲んでいたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る