第33話 酔っ払い
『それでさ、今度の土日、そっち行けそうなんだけど、真帆も一緒に帰らない? 車借りていくから、家まで送ってあげられるよ』
今度の土日⋯⋯。もうすぐそこだ。
青龍との約束を、それまでに果たさなくちゃいけない。
『うん。荷物増えちゃったから、そうしてもらえるとすごく助かるんだけど⋯⋯少し考えさせて』
『青龍?』
『うん⋯⋯出かける約束してて』
『明日にでもパッと行ってくれば?』
『行き先が決まらなくて』
『なるほど、アイツにサプライズデートはできそうにないしなぁ。俺が相談に乗ってやる訳にも、こればっかりはいかないしなぁ』
『いいの、いいの。この話は忘れて?』
『俺にとってはだいぶ大切な話なんだけど』
わたしにとってもだよ、と思う。簡単に済ませられる話じゃない。
ふたりがわたしを『すきだ』と言ってくれるように、わたしもふたりを『すき』なんだもん。悩ましい⋯⋯。
うーん、と畳の上で寝返りをうつ。
「お風呂空いたわよ」と声がかかって、「はーい」と答える。
◇
久しぶりに夜の縁台に人影を感じて、首にタオルをかけたまま、表に出る。
この休みのうちに、ビルケンにも味が出てきた。
「青龍、そこにいるの、青龍でしょ?」
足元に渦巻き蚊取の小さな灯りが見える。わたしは思い切って、縁台に向かう。
「真帆子、もし俺じゃなかったらどうするんだよ?」
「⋯⋯怖い」
「もっと用心深くなれよ」
「はい⋯⋯」
青龍の前に出ると、何だか自分が子供になったような気持ちになる。それは青龍が教育学部だからかもしれない。
「また飲んでたの?」
「まぁ、少しな」
会話が続かない。話のきっかけが出来ても、プツンと途切れてしまう。どうにかしてそれを手繰り寄せようとするんだけど、上手くいかない。焦る。
「あ、あのさ」
「ん?」
青龍の足元にはビールの缶がいくつかあって、もう酔っている感じだった。
「考えてみたんだけど、暑くて屋外は無理だし、水族館とかどうかなぁと思って」
自分で言い出しておいて、ドキドキする。
それに対する答えが予想出来ない。
涼ちゃんとのデートと、比較しているに違いない。
「そんなところでいいの?」
「うん! 涼しそうだし。観覧車もあるんだよ」
「⋯⋯そうか」
グイッと、青龍はビールをあおった。どう思っているのか、まだわからない。
「真帆子がそう言うなら、そうするか」
「よかった」
「明日出かけるか? それとも」
「明後日の金曜日にしよう。今日、疲れちゃったしさ」
「⋯⋯涼平からLINE来たよ。土日のどっちかに、お前を迎えに来るって」
「え!? 涼ちゃんが?」
「知らなかったの?」
「そういう話は出てたけど、本決まりじゃなかったというか、『うん』て言ってないつもりだったんだけど⋯⋯」
涼ちゃんも狡いな、と思う。わたしをがんじがらめにするつもりなんだ。
でもそういう強引さを拒めないわたしもいる。難しい。
「⋯⋯帰るの?」
酔っているせいか、青龍の目は潤んで見えた。
「だって、いつかは帰らないと。学校もあるし」
「そうだな。学校が始まる」
カタン、と縁台にビールを置く音が聞こえて、ふとそっちを見る。
「帰るなよ」
「そういう訳にはいかないって。青龍だってわかってるでしょ?」
瞬間、抱きすくめられる。
驚いて「あ」と声が出る。
すごい力で抱きしめられて、狭い縁台に押し倒されそうになる。
「ちょっと、ちょっと待って。落ちちゃう!」
押し倒すつもりはなかったようで、ある程度の角度でピタッと止まる。ぎゅうっと抱きしめられた、その力の強さが、青龍の想いの強さだとしたら、ちょっと怖いなと思った。
涼ちゃんとは別の強引さ。
「俺さ、真帆子に帰ってほしくないんだ。我ながら子供みたいだと思うけど。涼平の方が相応しいのもわかってるんだけど⋯⋯俺のことも見てくれない?」
帰らなくちゃいけない、という心が揺らぐ。
土日になったら涼ちゃんはきっと迎えに来る。有言実行の人だと思う。
「青龍のことも、見てるよ?」
「いや、男としてって意味だよ」
「キスまでしておいて、何言ってんのよ、今更! 意識しないわけがないじゃない」
壊れ物を扱うように、そっとわたしを元の姿勢に戻して「お前、また髪、濡れてる」と肩に下げたタオルを取る。わしわしと頭を拭かれるのもすっかり慣れてしまった。頭がぐらぐら揺れる。
その手がピタッと止まったかと思うと、いきなり口元を押さえて「悪い、吐く」と言った。
青龍は真っ暗な前庭に数歩あるいていって、苦しそうに嘔吐した。
背中をさすってあげようと腰を上げると、手でそれを制する。
「もう中に入れ」と苦しげに言われて、悩みながら、母屋に入る。
⋯⋯吐くほど思い詰めるなら、酔ってない時でも、もっと積極的になってくれたらいいのに、と思った。
◇
翌朝、青龍は何もなかった顔をして居間に降りて来た。昨日のことは忘れてしまったのかもしれない、そう思って「おはよう」と言う。青龍は逃げるように台所へ直進していった。
⋯⋯出かけるのが今日じゃなくてよかった。お互い、気まずい思いをしなくて済むから。
『水族館かー。いいなぁ、涼ちゃんも行きたい』
『仕事があるんでしょ?』
『そうなんだよなぁ、悩める受験生を救ってあげないと』
朝の定期LINEで涼ちゃんはそう言った。わたしはふと思い出して、涼ちゃんに話題を投げる。
『青龍に、わたしは週末に帰るって言ったでしょ?』
『帰るでしょう?』
『もう! 強引なんだから!』
『強引な涼ちゃんは嫌いかー』
『そういう意味じゃなくて』
そういう意味じゃなくて、なんだって言うんだろう?
わたしの心はすっかり、涼ちゃんに傾いてるってこと?
まぁ、そう言えなくもないよなぁ。
涼ちゃんのしてくれる、ひとつひとつが嫌じゃない。多少、強引なところでさえ、スマートに見える。
なのに青龍のこと、おざなりに出来ない。そんなわたしを涼ちゃんは、青龍から距離という道具で引き離してくれるのかもしれない。
涼ちゃんに早く来てほしいような、そうでないような。
⋯⋯気持ちが変わらないうちに早く来てほしい。そうしてさっと攫って、わたしを涼ちゃんのものにしてくれたら、話は早くなるんだけどなぁ。
どうして涼ちゃんは早く帰ってしまったんだろう? そんなことを言っても仕方ないのに「すき」と言ってでも、引き留めておけばよかったのかもしれない。
秋が来る様子は一向になく、空を見上げてホースの先を潰す。
キラキラと虹は輝いて、朝顔も瑞々しい笑顔を見せる。
この生活ももう終わるのか、と思うと⋯⋯。
わたしはしゃがみこんだ。
わたしの影は、まだここにいたいと言っている気がした。
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