第11話 まぁ、従兄妹だから
暑い中で飲むのもなんなので、冷房をつけた車内でドリンクを飲む。
ハンカチで首元を拭っていると、青龍の目がミラー越しにこっちを見る。それからわたしの首元を見て「ほら、蚊に食われた」と指差した。汗でファンデが流れたらしい。
「赤くなってるじゃないか」
「ファンデで隠してきたんだけど⋯⋯」
ふたり、黙る。
それはまるでキスマークのようで、朝はなかったのに帰りはあったというと⋯⋯。
「まぁ、従兄妹だから」
「そうそう、従兄妹だから」
間違いなんて起こらないと線引きされる。
別に困ることはない。だって本当に従兄妹なんだから。
◇
帰りは緩やかに蛇行する坂道を下っていく。珍しく、ステレオの音量を少し控えて、青龍が口を開いた。
「あのさ」
「うん」
「昨日の⋯⋯」
言いにくそうに話を切り出す。
「昨日の話、本当は知ってたんだ。その、真帆子が失恋してってヤツ」
ああ、ママが伯母ちゃんに言ったんだな、と思う。ふたりの電話はいつも声量が大きくて、丸聞こえだ。
「いいんだよ、気にしないで。本当のことだし」
「真帆子を少しでも元気にしてやりたいって勝手に思ってて。楽しい?」
「家にひとりでいるより、ずっと楽しいよ」
「そっか、それならいいんだけど、うち、うるさいし、プライベートも無いようなもんだしさ」
「それで連れ出してくれるの?」
「そんなもん。けど田舎だからなんもねぇしな」
車はわたしたちを右に左に揺さぶった。
慣性の法則が働いて、身体がどっちかに動く。
「車酔い、平気?」
「平気」
「なら良かった」
それ以上、意味のあることを青龍は言わなかった。
車は街に着くと、滑るようにマクドナルドに入った。
「マックすき?」
「うん、よく食べるよ」
「もっとお洒落な店がいい? こっちにいるとジャンクフードが懐かしくなる頃かと思って」
くくく、と笑ってしまう。すごい気の回しようだ。
「母さんには昼飯は食べてくるって言ってきたから」
「うん、行こ?」
平日の昼マックは少し安くて、ふたりでビックマックのセットを頼む。ドリンクは青龍は変わらずコーラだったけど、わたしはオレンジジュースを頼んだ。オレンジだって飲めないわけじゃないんだ。
「お前、食べ切れる?」
「バカにしないでよ」とわたしは笑った。
途中、挟んであったレタスが雪崩落ちて、あああ⋯⋯と慌てる。
青龍が笑ってわたしの顔を見て、長い手が伸びてきて指先で口元を拭われる。
「ソース付いてる」
そのまま拭った指先を、ペロッと舐めた。
混乱する。
高輪くんにもされたことはない。いや、それ以前にこういうお店に一緒に入ったことはない。キスはしたけど、間接キスはしたことはない。はしたないから。回し飲みみたいなのはすきじゃないんだ、とある日、高輪くんは言った。
「やっぱりマナー違反? 俺、そういうの疎くて」
「ううん、えっとそうじゃなくて、その⋯⋯ちょっと驚いたって言うか、恥ずかしかっただけ」
最後の方は尻つぼみになった。
わたしのビックマックの箱の中は、レタスが散らばったままだった。
「女の子だもんな。デリカシーなくてごめん」て、男同士でやってたらやっぱり、ちょっとおかしいなと思う、と心の中でツッコミを入れる。
気分を変えるためにオレンジジュースを飲む。
「あの、元カレがさ、ちょっと神経質なところがある人で、そういうの慣れてなくて」
「あんまり慣れてるヤツはいないだろう」
ハァッと大きなため息が出る。
「食べ物も飲み物も、半分こしたことなくて」
「美味いものは分け合うだろう?」
首をフルフル振る。
「自分で頼んだものは、自分だけで食べるスタイル。相手のものにフォークを伸ばしたりしない。マナーとしては大事なことだけど、今思うと、彼、潔癖だったのかも」
それがふたりの間に少し感じてた違和感のような気がして、そこで口を噤んだ。
「大きな声で食事もダメ?」
「ダメ」
「それじゃつまんなくない?」
「その時はそう思わなかった。結局、何にも見えてなかったんだよ、本当のこと」
隠そうとしても隠しきれないくらいぽろぽろと涙が続きざまに落ちて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「おいおい、ちょっと待てよ」と例のタオルハンカチが出てきて、それもわたしを泣かせた。
高輪くんのポケットには、いつもアイロンのしっかりかかったブランド物のハンカチが入っていた――。
「俺なら彼女をそんなに泣かせたりしないよ。優しくして、大事にする。がんじがらめにしたりしない」
パッと顔を上げると、青龍は思わず口をついて出た、という顔をしていた。現金なことに涙は止まった。
「いや、ほら、個人的なポリシーの違いっていうか。だって真帆子をそんなに泣かせるなんて、許せないだろう?」
「青龍が、そんなに怒らなくていいんだよ」
「そういう訳にはいかない。大事な従兄妹が毎晩のように泣いてるのに、怒らないわけがないじゃないか」
やっぱり従兄妹、か。
それが安心なのは、重々承知していた。
それからはお互い少し気まずくて、青龍は夕食の食材が少し足りないから、と買い物に行った。わたしがまいっちゃわないように、車のエンジン、つけっぱなしで。
⋯⋯本当は、まいっちゃってると言えばまいっちゃってた。ビックマックは二度と食べられないように思えた。
そうか、青龍の彼女なら泣かされないのかと思うと、イマジナリー彼女がうらやましく思えた。
そんな風に真っ直ぐに言えちゃう青龍も、わたしの知ってる男の子たちとは違っていて⋯⋯。
ちょっと生まれが早いだけで、こんなにも違う。
わたしなんて、やっぱり青龍から見たらお子様なんだろうなぁと思うと、自分がつまらなくてちっぽけな女に見えた。
◇
昼食がマックだったという話は、明日香ちゃんを大いに笑わせた。
「ダムに連れていくとはなかなかやるな、と思ったけど、ランチにマックはないでしょ。高校生じゃあるまいし」
「うるせぇな。そういう店はよく知らねぇし、マックなら駐車場も空いてるだろうと思ったんだよ」
「駐車場なんて一台分、空いてれば十分でしょう。軽なんだし、バックモニターも付いてるんだからさ」
「姉ちゃんは運転しないから、そうやって言えんだよ。何処に行っても駐車場いっぱいで、何件もぐるぐるする方がよっぽど恥ずかしいだろ?」
そうなのか、そういうものなのか、と知る。
正直、わたしだからマックなのかと思ってた。
「ランチの時間は国道沿いのファミレスだって停めるところないんだぞ。店巡ってたら、お腹空くだろ?」
「ふーん、青龍なりに真帆ちゃんに気をつかった訳だ?」
「つかうだろう、普通」
真帆子は女の子なんだからさぁ、とため息のように吐き出した。
思えば、ここに来てからずっと、青龍には随分、女の子扱いされてる気がしてきた。
優しかったし、紳士的だったし。
それに何の不満があるんだろう?
「わたしは楽しかったよ。今日はありがとう」と言って客間に戻った。
夏羽ちゃんにLINEしたけど既読は付かなくて、きっと彼氏とデートなんだろうなと思う。向こうは駐車場があるところの方が珍しいので、青龍の言うところの『そんな店』でランチをしたに違いない。
夏羽ちゃんなら、彼氏と食事をシェアするのかな、と思い、そんなことに拘る自分をバカらしく思う。
でも、夏羽ちゃんはダム湖に行ったりしない。
彼氏は車がないし。
変なアドバンテージを探して満足してる自分にため息をつく。ため息ばかりだ、ここに来てから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます