第3話 水の神殿(2)


「我が都市には、10年に一度『暗黒の波』テネブラエ・ウンダという災害がおとずれます」


 ロレンツォは静かに顔を上げ、おごそかな声で語り始めた。


 それは、闇の力が周期的に高まり、その影響で魔物が大量発生する厄災だった。水の都『リヴェリス』だけでなく、周辺の村々にも甚大じんだいな被害をもたらす。住民を守るために、水の女神への祈りに加え、救世主の召喚が必要とされているという。


 青白い燭台しょくだいの光が神殿の壁を揺らめかせる。静寂の中に、水をたたえた祭壇が淡く輝いていた。その神秘的な光景を前にしながら、佐藤は心の中で疑問を抱く。


(こんなに重大な話なのに、召喚に立ち会っているのがたった三人とは妙だな……)


 彼は違和感を覚えながらも、口を開かず話を聞き続けた。すると、頭の奥底から何かがき上がるような感覚にとらわれる。女神の加護によって与えられた知識なのか――『暗黒の波』テネブラエ・ウンダに関する情報が、流れ込むように彼の意識へときざみ込まれていく。


 しかし、世界を救えと言われても、この都市すら守り切れる気がしない。まずは災害の規模きぼや状況を把握はあくしなければならない。そのためにも、詳細な情報を集めることが最優先だ。


(情報収集が先決か)


 佐藤の透き通る青い瞳は静かに輝き、ロレンツォたちを見据みすえた。その視線には、迷いではなく冷静な探求心が宿っている。


「わかりました」


 彼は短く答えた。だが、次に必要なのは自分の拠点だ。


「私は、この神殿に住めばいいのですか?」


 佐藤の問いに、三人の男たちは一瞬顔を見合わせた。沈黙ちんもくの後、高位の神官と思しき男が一歩前へ進み、静かな声で言葉をつむぐ。


「いえ、御使い様が召喚されたことは、我々三人だけの秘密となっています」


 神殿の奥で、聖水が静かに揺らぐ音が響く。厳かに告げられたその言葉に、佐藤はまゆをひそめた。召喚の儀式は本来、祝福と歓喜の中で執り行われるもののはず。それが、わずか数人だけで行われるとは異例すぎる。


(神殿長にも知らせていないのか……?)


 彼らの慎重な態度には、隠された事情があるのだろう。さらに、召喚されたのが成人ではなく子供の姿だったことも、想定外だったらしい。その戸惑いが、男たちのわずかな仕草から伝わってくる。


「失礼ながら、今は『アクアティカ家』のご子息として過ごしていただくのが最善かと存じます」


 神官の言葉に、商人風の男が目を輝かせる。


「それは名案ですね。貴族の暮らしが肌に合わなければ、神殿で過ごすもよし、商人として生きるもよし。我々が責任を持って面倒を見ますぞ」


 柔らかく微笑みながら話す彼に、佐藤はわずかに苦笑をかべた。選択肢が多いのは悪くない。それに、女神の加護で魔法をあつかえるようになったことや、前世の知識を活かせば、どの立場でも問題なくこなせるはずだという確信がある。


 静謐せいひつな神殿の空気の中、聖水の流れがかすかに揺れる。その音が会話に神秘的な余韻をもたらしていた。


 佐藤の表情を見た神官は、それを了承の意思と捉え、慎重に言葉を紡ぐ。


「では、御使い様の身分につきましては、難破船の生き残りを保護したという筋書きはどうでしょうか?」


 商人風の男がすぐさまうなずき、低く落ち着いた声で相槌あいずちを打つ。


「先日、『暗黒の波』テネブラエ・ウンダの被害があったばかりですからな。その背景なら、説明もしやすいでしょう」


 祭壇の水面に映る青白い光を見つめながら、佐藤は静かに考えを巡らせた。


(悪くない設定だな……)


 魔物の軍勢におそわれた難破船から救出された少年。貴族が孤児を引き取る理由としては十分に筋が通っている。違和感もなく、何よりこの環境に馴染むための良い土台になる。


 さらに、この筋書きなら家族へ紹介する際も、慈悲じひと救済の行為として受け入れられるだろう。ロレンツォたちの慎重な配慮に、佐藤は内心感心せずにはいられなかった。


「なるほど、理解しました」


 軽く頷きながら返事をしつつ、心の奥では自分の役割について冷静に考え続けていた。次の『暗黒の波』テネブラエ・ウンダまでには、まだ10年の猶予ゆうよがある。しかし、その時間を無駄にはできない。この都市を救済するのが自分にせられた使命だ。


 聖水の波紋がわずかに揺らぐ。神殿の静寂が、決意を固めるかのように佐藤を包み込んだ。


(時間はある。しかし、それに頼りきるわけにはいかない。まずは動かないと)


 胸の奥に湧き上がる決意が、徐々に形を成していく。青く透き通る瞳がわずかに光を帯び、ロレンツォたちを見据える。その視線には、強い信頼と冷静な思考が込められていた。そして、その瞳には、この世界で果たすべき使命への覚悟が宿り始めていた。

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