第7話「はじめての死地」

朝、指定された集合場所には、Fクラスの生徒たちが揃っていた。

簡素な制服の上から支給された訓練用ベストを羽織り、緊張と不安の入り混じった空気が漂っている。


校舎前のロータリーには、ダンジョン行きの専用バスが停まっていた。


「……なあ、マジで行くんだよな、E級ダンジョン」


カズキが冗談のように言ったが、顔は引きつっていた。


「わ、私……回復はできるけど、攻撃とかは……」


玲奈が不安げに口元を押さえる。


「だいじょーぶ、だいじょーぶ!プロがついてるんでしょ? 楽勝楽勝!」


ゆうまが無理に明るく振る舞うも、手には汗が滲んでいた。


凪人はそんな様子を遠くから見ていた。

バスの扉が開き、全員が無言で乗り込む。


車内は思いのほか静かだった。エンジン音だけが微かに鳴る。


揺れる車内で、玲奈がぽつりと呟いた。


「……綾瀬くんは、怖くないの?」


凪人は少しだけ彼女のほうを見て、答える。


「怖くないわけがないさ」


それだけを告げて、再び窓の外に視線を戻した。


(Oris。何か異常は?)


『現時点での観測データに異常なし。ただし、このダンジョンは過去に“未報告の変異種”出現例あり。記録は抹消済み』


(……それって、警戒しろってことだな)


***


ダンジョンのゲート前。

バスから降りると、すでに先に到着していたプロの冒険者たちが待っていた。


前に出ていた教官が、ざっと説明を始める。


「このダンジョンはE級。基本的には安全区域に分類されている。

だが念のため、プロの冒険者たちが同行する。指示には必ず従うように」


前に出たのは、屈強な男と、機動系の女冒険者の二人。


男のほうが軽く笑って言った。


「よーし、じゃあガキども。俺は《リョウ》、あっちは《ミカ》。ま、名前なんざどうでもいい。俺たちの言うこと、ちゃんと聞いてれば問題ない」


「この中には、冒険者登録だけして、まだダンジョンに入ったことないってやつも多いだろうからな」


「基本、ダンジョンは“入り口・中層・深層”に分かれてる。今日は表層部しか進まねぇし、出てくるのもせいぜい“アッシュ”か“コモンワーム”ぐらいだ」


「雑魚ってことだ。あっさり片付く」


「まずは俺たちが見本を見せてやる。……それと──ビビるやつは、いちばん後ろにいろ」


そう言って、笑うような、見下すような目でこちらを見ていた。


凪人は、静かに一歩前へ出る。

その姿を、ゆうまとカズキが驚いたように見ていた。


***



ゲートを通り、ダンジョン内部へ足を踏み入れた。


途端に、空気が変わる。


ひんやりとした湿気が肌を撫で、肺に重たい冷気が流れ込んでくる。

地面は岩と土で不安定。足音が、妙に響く。


「……うわ、マジで空気ちがう……」

誰かが小さく呟いたが、その声さえもすぐに沈んでいく。


天井からぶら下がるのは結晶のような鉱石。

微かに発光しているが、光量は心もとない。


壁には苔のようなものが這っていて、遠くの方では水の滴る音がした。


「視界、そんなに良くねぇな……」

カズキが小声で呟く。ゆうまは神妙な面持ちで辺りを見回していた。


「──全員、列を乱すな。まだ安全圏内だが、油断するなよ」


前を歩くプロの冒険者リョウが、片手を上げて制止を促す。


生徒たちは無言で従いながら、ゆっくりと進む。

緊張で喉を鳴らす者、手を震わせる者、それぞれの“初陣”が静かに始まっていた。


凪人は後方から周囲を観察していた。

歩くだけで分かる──ここは、ただの“演習場”じゃない。


この空間には“何かが潜んでいる”感触があった。


(Oris。何か異常は──)


『……微弱な空間ゆらぎを感知。注意を継続してください』


(……嫌な予感が当たらなきゃいいが)


そのときだった。


「前方、接敵──来るぞ!」


ミカが鋭く声を上げた瞬間、前方の床のひび割れから何かが這い出してきた。


蠢く影。ミミズ状のモンスター、コモンワームが数体。

ぎしぎしと湿った音を立てながら、群れで這い出す。


「ふん、こんなの──」


リョウが前へ出て、火花を散らせたナックルを振り抜く。

爆音と共に1体が弾け飛んだ。


続いてミカが音波の刃のような異能で、もう数体を切り裂く。


「今のが、このダンジョンの雑魚だ」


「ビビるなよ。次は──お前らの番だ」



リョウの合図とともに、生徒たちの視線が前方に集中する。


コモンワームが二体、うねるようにこちらへ這い寄ってきた。

体長は一メートルほどだが、その口元には鋭い牙が並び、明らかに“化け物”だった。


「っ……い、行くしかねぇか!」


カズキが一歩前に出る。

手のひらに意識を集中すると、空気が一瞬だけ歪む。

その瞬間、彼の前方に浮かんだのは──透明な膜のようなバリア。


「《リフレクション・シフト》!」


ワームの牙がカズキに届く直前、進行方向がズレ、脇の岩壁に突っ込んだ。


「っしゃ、当たらなければどうってこと──わっ!?」


振り返りざまの反撃にバリアが間に合わず、肩を軽く裂かれる。


「いてぇっ、でも……まだ!」


「カズキくん!」


玲奈が駆け寄り、両手を合わせる。


「《ヒール・リンク》……っ!」


淡い光が彼女の身体から発せられ、カズキの肩の傷がゆっくりとふさがっていく。


「サンキュー、玲奈!」


「ふたりとも──下がって!」


今度はゆうまが前へ。


「《ライトスレッド》──っ!」


光の糸が空間を走り、ワームの動きを拘束する。

一瞬、動きを止めたその隙に、他の生徒たちも一斉に攻撃へ入った。


――なんとか、勝てた。


それでも、呼吸は荒く、緊張で全身が震えている者もいた。


「やっべ……死ぬかと思った……」

「この程度でも……本気で怖ぇな……」


そんな中、凪人は一歩も動かなかった。


手を出さず、ただ静かに、戦闘の全てを“見ていた”。


(……これが、初めての戦いか)


『全体観測完了。複数名、精神負荷レベル:高』


(Oris、今の敵……本当に“雑魚”か?)


『構造・危険度ともにEランク基準内。ただし、このダンジョン内部に不安定な異常信号あり』


(やっぱりか……)


ほんの数秒だけ、右手に“熱”が走った気がした。

昨日の戦いの記憶が、蘇る。


──あの時の、ゼログリムの感触。


誰も気づかない中、凪人だけが、

この“静かな異常”に、微かに気づいていた。


そして──次の瞬間。

地鳴りのような音が、遠くから響いてくる。


「……ん? なんか、聞こえたか?」


「え……?」


誰かがそう呟いた瞬間、空気が変わった。



何かがおかしい。そんな予感だけが、皮膚の裏側を走る。


「なあ、なんか……静かすぎねえか?」


誰かがつぶやいた。


空気は湿り、足音も遠のき、まるで空間そのものが「壊れ始めた」ようだった。


「前方──構えろ!」


プロの冒険者の声が響いた瞬間、それは現れた。


空間がぐにゃりと歪む。映像が乱れるように、世界がブレた。


──《クリムゾ・グリッチ》


それは黒いヒト型。けれど、体は“映像ノイズ”のように絶えず揺れていた。

腕や脚の一部は時折“ワープ”するようにズレ、位置が安定しない。

顔はなく、そこから“音のない悲鳴”だけが響いていた。


赤い光のような亀裂がその体から伸び、周囲の床や壁を侵食していく。


『警告:変異体クリムゾ・グリッチ。危険度:E級を超過。戦闘適応──非推奨』


Orisの声が響いたが、もう遅かった。


「うそ……なんだよ、あれ……っ」


冒険者の一人が呟いた直後、“刃”のようにその腕が振るわれた。


──プロの冒険者の首が、地面を転がった。


「……え?」


呆気に取られたような沈黙。

次の瞬間には、悲鳴と血飛沫がダンジョンに散った。


「や、やめろ! くるなっ!!」


逃げようとしたクラスメイトの一人が背後から貫かれ、壁に叩きつけられる。


血の跡が、音もなく広がっていく。


「や、いや……! たすけ……っ!」


ひとり、またひとり。


止まらない。


理解が追いつくよりも早く、命が削られていく。


凪人は、ただ立ち尽くしていた。


(……うそだろ……なんで、こんな……)


目の前で、命が終わっていく。


『逃走推奨。反撃不可。戦闘データ──解析不能』


Orisの警告は続くが、足は動かない。


この“異常”が、現実だということを、受け入れられなかった。


──クリムゾ・グリッチの目のない顔が、凪人の方を向く。


(──ああ、終わる)


そう思った瞬間、視界が真っ赤に染まり、

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