第3話 「邂逅」


──ダンジョンの奥。その空間は、現実とは思えないほど“静か”だった。


空気が重い。音が遠い。時間が、流れていないように感じる。


足音を立てないように進んでいるわけじゃない。

ただ、音そのものが吸い込まれているようだった。


「……本当に、ここに何かがいるのかよ」


思わず漏れた独り言に、耳の奥で機械的な声が返る。


『空間異常を検知。警戒を推奨します』


Oris──俺の中に“存在してしまった”AI。

それが何者かも、どうして俺にいるのかもまだわからない。

けど、今の俺には、この声だけが頼りだった。


「空気が違うな……嫌な感じだ」


自分でも、声がかすれているのがわかる。

心臓の鼓動が妙にうるさく感じる。


──ギギギ……


嫌な音が、背後から響いた。


振り返ると、空間が裂けていた。

ノイズのように揺れるその亀裂から、“何か”がにじみ出る。


姿を現したのは──モンスター。

だが、どこか“おかしい”。


人型に歪んだ体。

逆関節の脚に、鉤爪のような腕。

顔の位置には巨大な“口”が開いていて、裂けた頭部の内側には赤い紋様が脈動していた。


【種別:変異種ワーム・ヘッド 危険度:Dランク相当】


『本来のワーム種から著しく逸脱。変異個体──戦闘を推奨』


「Dランク、ってウソだろ……」


Orisの言葉が現実味を帯びる前に、それは動いた。


次の瞬間、飛びかかってきた。

鉤爪が空気を裂き、こちらへ──!


「くそッ!」


横に跳んだが、遅い。

避けきれない。

爪が肩をかすめ、肉が裂ける。赤黒い血が飛び散った。


「がっ……あぁっ!!」


壁に叩きつけられる。

呼吸が止まる。

肋骨がきしむ。視界が揺れる。


モンスターは止まらない。

連続で鉤爪を振り、ダンジョンの床がえぐれていく。


(……無理だ。勝てるわけない)


身体が動かない。

膝が震えて、意識が遠のく。


モンスターが跳躍し、こちらに向かって一直線に──!


「くるなっ……!」


その瞬間だった。


──ザザ……ギ……ガッ……


脳内にノイズ。視界が揺れ、右腕に激しい“熱”が走る。

肩から指先へ、コードのような光が走る。

皮膚の上に電子回路のような模様が浮かび、情報の粒が編み込まれるように形を作った。


「っ、なにこれ……!」


視界にHUDが展開され、目の前に“銃”のような兵装が構築されていく。

構えた瞬間、電子的な起動音が耳の奥で鳴った。


情報が刃に流れ込むような感覚。

それは明らかに、“この世界のものじゃない”。


『《ゼログリム》──兵装展開完了。照準モード、アクティブ』


「ゼログリム……? それが、こいつの名前かよ……」


右腕が、意志とは無関係に持ち上がる。

展開された《ゼログリム》が、凪人の神経と完全にリンクする。照準マーカーが、視界にぴたりと重なる


狙いは──モンスターの頭部。


「……いけぇっ!」


トリガーを引いた。


バン──!!


空気が震えた。モンスターの右肩が砕ける。

肉片と血が弾け、獣がうめき声を上げる。


『命中確認──部位破壊成功。行動阻害を確認』


だが──止まらない。


吠えた。怒りの唸りとともに突進してくる。

スピードが落ちていない。まだ余力がある。


「くっ……!」


咄嗟に横へ転がる。背中に熱が走る。

鉤爪が肩を裂いた。再び血が舞う。


「ッ……ぐっ、そ……こいつ……!」


『損傷率上昇。止血処理を推奨』


「後にしろッ!」


モンスターがさらに跳躍。

真上から振り下ろす爪──


トリガーを引いた!


ドン──!!


銃声と同時に、相手の膝が砕ける。


『行動制限、成功。転倒誘発』


それでも奴は倒れず、逆に地面を蹴って滑り込んでくる!


「っ、あぶ──」


ザクリ──!


脇腹を裂かれた。

視界が赤に染まる。


「がはっ……!」


歯を食いしばる。

足元がふらつく。


──でも、倒れない。


(まだだ……俺がやらなきゃ、誰がやるんだよ……!)


照準マーカーが揺れる。

腕の震えでぶれるが、それでも狙う。


3発目、撃つ!


バン──!!


命中。モンスターの左腕が吹き飛ぶ。


『損傷率58%。敵戦闘能力、減退を確認』


だが反撃も早い。

奴の尾のような突起が、床を滑って飛来──!


「っぐ……あああッ!!」


腹部に直撃。

凪人の身体が宙を舞い、壁に激突する。


血を吐く。

ゼログリムが一瞬、光を消しかけた。


『兵装安定率:23%──維持限界付近』


「……まだ、終わってねぇ……!」


力を込めて膝を立てる。

ゼログリムが反応し、HUDが再び点灯する。


撃つ。撃つ──撃つ!


ドン! バン! ドンッ!!


4、5、6発目。

モンスターの胴体に食い込むたび、黒煙と体液が飛散する。


奴の動きが鈍る。

だが、まだ生きている──いや、“殺意”だけが残っている。


『スキル使用可能:ライン・ブレイク』


「……これで、終われ……っ!!」


最後の力を込めて、トリガーを引いた。


──ドン!!


重力が砕けるような感覚。

銃口から放たれた光弾が、敵の頭部を貫いた。


──ズドォォンッ!!


吹き飛ぶ。

ねじれ、崩れ、砕けた。


『構造崩壊を確認──戦闘終了』

『適応率:2.1%に上昇。兵装、消去処理へ移行』


凪人はその場に、崩れ落ちた。


「っ……は……勝った……のか……?」


血と汗に濡れた視界に、敵の亡骸はもうなかった。


震える右手には、まだ銃の重みが残っていた。



『戦闘終了。適応率:2.1%に上昇』

『兵装、消去処理完了。生体負荷、限界──』


勝った。Orisはそう言った。

でも──震えが止まらない。


掌が熱い。胸の奥に、冷たい何かが残っている。

これは、本当に“勝利”なのか?


(……これが……俺……)


立っていられなかった。

足元が崩れ、視界が傾く。


なぜ撃てたのか。

なぜ、こんな力があるのか。

そもそも──俺は、何をしたんだ。


Orisはもう何も言わなかった。

ただ沈黙だけが、そこにあった。


──そのまま、意識を手放した。


***


どれくらい、時間が経ったのか。


遠くから、足音が聞こえた。

複数の、急いだ気配。


「人影──倒れてるぞ!」


「おい、血が……! まだ息はある!」


「こんな場所に一人で? モンスターは……死んでる……?」


慌ただしく足音が近づき、誰かがしゃがみ込む。

凪人の周囲を囲むように、数人の冒険者たちが集まっていた。


「おい、聞こえるか? 名前、言えるか?」


朦朧とした意識の中、凪人はかすかに口を動かす。


「……綾瀬……凪人……」


「綾瀬、凪人……? 聞いたことない名前だな」


「ひとりで、これを……?」


その言葉を最後に、凪人の瞼が再び閉じた。

意識の奥、深く沈んでいく。


「──でもこれ、ひとりで倒したってことか?」


「待て……武器は? ……何も持ってない……」


「え、じゃあこのモンスター……素手で?」


「そんなバカな──いや、マジで、何も残ってない……」


沈黙が落ちる。


「……化け物かよ、あいつ……」


その言葉が、ダンジョンの闇に溶けていった。


***


──あれが、俺の“はじまり”だったのかもしれない。


Orisはまだ黙っている。

だが、耳の奥に焼き付いた声が、ずっと残っている。


『戦闘終了』『適応率上昇』──

あれは、まるでゲームの通知みたいだった。


けれど俺は、遊んでなんかいない。

あの時、確かに……殺した。


この手で。あの銃で。


そして今も。

──胸の奥に、冷たい何かが残っている。


名も、顔も、誰にも知られていない。

それでも、世界に刻まれてしまった。


(……本当に、これが望んだ英雄の“最初”かよ)


闇の奥で、誰にも聞こえないように──俺は、そう呟いた。


その言葉が、意識の奥へと沈んでいく。


……そして、そのまま、俺の世界は静かに途切れた。


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