第2話 黒い猫の居場所
僕は猫という生き物があまり好きではない。
正直、人間以上に何を考えているのかわからない。
それなのに猫というのは人間に飼われる動物として、犬と同じくらい人気がある。
本当に不思議だ。
人間は猫の何が良いと思っているのだろう?
鳴き声が可愛いとかいって鳴き真似してる人間がいるが大げさじゃないか?
僕からしたらしょっちゅう唸っていて、聞くに堪えない。
え?犬も唸ってるじゃないかって?
まあそういう犬もいるのは認める。
え?犬のくせに猫に嫉妬しているんじゃないか?
そんなわけないだろう。
あんな生き物に嫉妬する犬なんていないさ、みっともない。
コツ、コツ、コツ。
外から足音が近づいてくるのが聞こえる。
やってきた人が履いている靴にもよるんだけど、コンクリートだからか少し響くんだ。
この足音やそのリズムは初めて聞く音のように感じた。
僕は飼い主に知らせるように軽く吠えた。
机に向かってパソコンとにらめっこしていた飼い主が僕のほうに目を向ける。
チャイムが鳴って、飼い主が外を確かめてドアを開ける。
ドアが開いた途端、僕は猫の匂いがすることに気づいた。
訪ねてきた人間を見ると窓がついた大きな箱のような荷物を抱えていた。
窓から猫がこちらを見ていた。黒い猫だ
僕は居心地が悪くて机の下に隠れた。
ここなら客人からは見えないんだ。
「どうぞ」
客人は僕の飼い主にすすめられて、椅子に座った。
そして僕の飼い主は猫が入った箱を受け取って机の上に置いた。
見えないけどね。音や匂いで十分わかる。
つまり今、あの黒い猫が僕の頭上にいるってこと。
なんだか嫌だなあと思って場所を替えようとしたが、飼い主の足に襲われてそれを阻まれた。
飼い主が椅子に腰をかけて足を伸ばしたんだ。
もう少しで靴の先が僕の鼻に当たるところだった。
「何してるんだ、ジョーさん」
何してるんだ、は僕のセリフだ。
危ないじゃないか、気をつけてくれよ。
「すいません、足元に犬がいて…いつもこんなところに入らないんですけど」
僕は椅子の脚と飼い主の足の間を掻い潜って机の下から抜け出した。
「もしかして猫が嫌いなんじゃ?」
客人がいう。なかなか鋭い。
「そんなことないですよ。お友達の猫ちゃんもいますから」
なんでそんな大嘘をつくのか。
それに猫ちゃんって何だ、なんだか気持ち悪い。
軽く噛みついてやりたくなったが我慢した。
さっさと話を終わらせて帰ってもらったほうが良い。
僕は部屋の隅にある本棚の一番下の段に身を潜めた。
う、しまった。
黒い猫が箱についた窓から、こちらを見ているのに気づいた。
しっかり目が合ってしまった。
そうだ、ここは机の上から丸見えなんだ。
随分前だが何度も机の上に上がって怒られたことがあったから知っていたのに…
すっかり忘れていた。我ながらマヌケだ。
やはり机の下にいたら良かった。
僕はそれとなく顔を棚の奥に向けて、そのまま1回転して、さりげなく外側に背を向けることに成功した。
これで良い。
背中ならいくら見られても良い。
好きなだけ見るが良い。
でもこの姿勢は辛いから早く帰ってくれ。
「こちらの猫ちゃんが亡くなられた弟さんの…」
「ええ…弟が帰らないせいか元気がなくて。動物病院で診ていただいたんですが、身体のほうは問題ないようです」
「M通りのM動物病院ですよね?」
「ええ、そうです。そこでこちらを」
よくこの飼い主は動物病院を紹介しているが、逆にここも紹介させているのか。
僕が思っていたよりもやり手なのかもしれない。
「新しい飼い主を探したら良いんですね」
「はい、うちは夫が動物嫌いで飼ってやれないので。弟の葬式のすぐ後から仕事で県外へ行ってしまったのですが、自分が戻るまでなら置いてやっても良いと言ってくれたので、今はうちに。でも明々後日には夫が帰る予定なので…」
「それまでに新しい飼い主か一時的な預かり先を、ですね」
「はい」
「新しい飼い主はすぐには難しいかもしれませんが、一時的な預かり先ならなんとかなりますから」
そんな安請け合いをして大丈夫なのか。
僕が心配になるじゃないか。
見つからなければうちで預かるなんて言い出すんじゃないか。
それだけは勘弁してほしい。
飼い主を亡くしたと聞いたら少し可哀相に思ったけど、でもやっぱり猫は好きではない。
「夫さんは猫や動物のアレルギーではないんですよね?」
「ええ、そういうのはないようで。夫が運転する車に猫を乗せた時、毛が舞ったり、毛が車の中に残っていても平気そうでしたし」
動物嫌いといってもそこまでではないのか。
アレルギーではなくても動物の毛を嫌がる人間は結構いる。
汚い、掃除が大変だと大騒ぎするんだ。
もちろん動物が近くに寄るのも嫌がるから車に一緒になんて乗れない。
「わかりました。では…」
僕の飼い主が客人に紙を差し出して何か書かせはじめた。
黒い猫はずっと静かだ。
黒い猫も僕と同じように人間の話が理解できるのだろうか。
人間の言葉が理解できているなら、自分の飼い主だった人間が死んでしまったと理解しているのだろう。
僕の飼い主が死んでしまったら僕は…
いや、やめておこう。そんな起こってもいないことを考えるのは。
客人が手を止めてペンを机の上に置く音がした。
「猫ちゃんの写真も撮らせていただきますね」
僕の飼い主がそう言うと、客人が黒い猫の入った箱のドアを開けた。
でも黒い猫が出てきた気配はなさそうだ。
「中に入ったままで大丈夫ですよ」
そう言いながら僕の飼い主が黒い猫の写真を撮りはじめた。
「では、あてを探してみます」
「よろしくお願いします」
客人はやってきたときと同じように黒い猫の入った箱を抱えて帰っていった。
コツ、コツ、コツ。
足音が遠ざかっていく。
ようやく帰ってくれた。
僕は本棚から這い出した。
身体があちこち痛い。
それにお腹がすいた。
窓の外から夕日が差し込んでいる。
もう日暮れ時だ。
コツ、コツ、コツ。
しばらくすると遠ざかったはずの足音が戻ってきた。
その客人がやって来たときと同じように僕は軽く吠えた。
チャイムが鳴って、飼い主がドアの外を再び確認してドアを開ける。
僕はまた机の下に身を隠した。
「どうされました?」
ドアの辺りで二人が話している。
話がよく聞こえないが、客人に急用ができて黒い猫を家に連れて帰れなくなってしまったようで、一晩預かってくれるところを紹介してほしいらしい。
なんだか嫌な予感がした。
「一晩くらいならうちで預かりますよ」
僕はこの飼い主が心底嫌いだ。
この建物は飼い主の仕事場兼自宅になっていて1階部分が仕事場、2階が自宅のようになっている。
飼い主は黒い猫の入った箱を持って2階に上がった。
僕もついていく。
ソファの上に黒い猫の入った箱を置いて箱のドアを開けた。
しかし黒い猫は出てこようとはしなかった。
なんて居心地が悪いんだ。
ここは僕の家なのに僕の居場所がないじゃないか。
「悪いなジョーさん、一晩我慢してくれ」
どれだけ撫でられても許す気にはなれなかった。
いつの間にか寝てしまったらしい。
気がついたら朝だった。
この黒い猫はいつまでここにいるんだ。
そう思いながら思わず黒い猫の入った箱に目をやってしまった。
黒い猫が箱の奥からじっとこちらを見ていた。
箱のドアは開いたままだったが、黒い猫はまったく出てくるそぶりはなかった。
飼い主が僕と黒い猫の餌を用意してそれぞれに差し出す。
起きたばかりなのに、やたらとお腹が空いていた。
僕は夢中でご飯を食べた。
でも黒い猫がご飯を食べる気配はなかった。
いつになったら黒い猫の迎えが来るのか…そう思いながら我慢して過ごしていたが、なんだか落ち着かないので昼寝をすることにした。
それなのにうとうとしたところでチャイムの音に起こされてしまった。
起こされて少々イラッとしたが、黒い猫の迎えなら文句はない。
飼い主がドアを開ける。
そこにいたのは黒い猫を連れてきた人ではなかった。
「猫を預かっていただいてありがとうございました」
黒い猫を連れてきた人の夫らしい。
妻の代わりに黒い猫を迎えに来たようだ。
嫌いな動物を迎えに来るなんて人間も大変だな。
「お仕事で県外に行かれてお帰りは明後日と聞いていましたが、早くお戻りになったんですね」
「ええ、いろいろあって早く戻れたのですが、猫をこちらに預けたと聞いて…申し訳ありません。急にお願いしたようで」
「いいえ、こちらから引き受けたようなものなのでお気になさらないでください」
「これ、一応餌を買ってきたのですが…」
いいながら紙袋から缶詰を出した。
猫の絵が描いてあるが多分中身は魚だろう。
似たような缶を初めて見た時、かなり驚いた記憶がある。
缶が開いたらすぐに中身がわかったけどね。
「昨日餌も少し預かっていたので食べさせようとしたんですが食べてくれなくて。元気がないとは聞いていたのですが餌を食べないとは聞いていなくて心配していたんです」
「そうでしたか…どうしたんでしょう…」
黒い猫を迎えに来た人は、そう言いながら黒い猫のほうを心配そうに見ていた。
黒い猫を連れてきた人の話を聞いていたときから不思議に思っていたが、この人は本当に動物が嫌いなんだろうか?
動物が嫌いではないのなら、なぜ嘘をつくのだろう?
僕は試しに黒い猫を迎えに来た人の足元に寄っていった。
「あ、すいません。自分から人に寄っていくことはないのに」
飼い主が慌てて僕を抑えようとした。
「いいんですよ。気にしないでください」
動物が嫌いな人なら犬が寄ってきたら追い払おうとしたり、犬から遠ざかろうとしたりするのが普通だ。
それなのに黒い猫を迎えに来た人は、まったく嫌がる様子を見せなかった。
むしろ喜んでいるように見えた。
「動物はお嫌いなのでは?」
鈍感な僕の飼い主でも気づいたらしい。
「えっ…妻がそう言っていましたか?」
「はい…だから猫を飼ってやれないと…違うんですか?」
「そうでしたか…昔とっさにそう嘘をいってしまったことがあったんです。やはりそれを覚えていて私に気をつかっていたんですね。可愛がっている様子なのにこの子を飼おうとはいわずに、急いで新しい飼い主を探すから、私が留守の間だけなら預かっても良いかというので、不思議に思っていたんです」
「どうして動物が嫌いだなんて嘘を?」
黒い猫を迎えに来た人は僕の飼い主の問いに困った顔をした。
「どう説明したら良いのか…うちは今は夫婦二人ですが実は子どもがいたんです。でも中学生になってから事故で亡くなってしまって…。落ち込んでいる私達にペットを飼ってみないかとすすめる人がいたんですが、その頃はそういうおせっかいが苦痛で…それに犬や猫はいつか死んでしまうでしょう?そう思うと飼う気にはなれなくて…」
「それで動物が嫌いだと?」
「ええ、思わずそういってしまって。妻もその場にいたんです…でもしばらくして考えると、妻の意見も気かずに悪いことをしたなと…」
「この子の新しい飼い主、もう探す必要はありませんか?」
「はい…。うちで飼います。この子は妻の弟の忘れ形見です。うちで引き取ったほうが彼も安心してくれると思います」
それから黒い猫を迎えに来た人は黒い猫が入った箱を大事そうに抱えて帰っていった。
おかげで黒い猫はいなくなってくれて、僕は安心した。
それからしばらくして、あの夫婦に飼われてあの黒い猫は幸せそうにしてるとか、飼い主が風の噂とやらで聞いたのか、僕に話してくれた。
まあ、僕には関係ないけどね。
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