探偵の犬である(仮・1話完結)

なるみやくみ

第1話 パンの匂い

僕は探偵の犬である。

名前はジョー。

皆はなぜかジョーさんって呼んでるよ。

探偵の犬といっても僕が探偵ってわけじゃないし、

僕が探偵のいいなりってわけでもない。

単に飼い主が探偵ってだけさ。

僕の飼い主は、飼い犬がいなくなったから探してほしいとか、

飼い猫がいなくなったから探してほしいとか、

そういう依頼を受けるのが仕事らしい。

時々、おすすめの動物病院を紹介してほしいとか、

ペットフードを買う良いお店を教えてほしいとか、

それは探偵への依頼なのかな?と思うような相談まで受けている。

皆、僕の飼い主を動物好きのいい人だと思っているらしい。

飼い主が僕を飼っているのは動物を飼っている人に信用されるためさ。

犬を飼っているから犬好きに違いない、動物好きに違いない…

皆そう思うらしい。単純だ。

僕にとっての飼い主は単にご飯をくれる人、ただそれだけ。


「ジョーさん」

低い声で僕を呼んでいるのは今話した飼い主さ。

「お腹がすいただろう」

そう言いながら、僕のご飯を用意する。

「お客さんがくれたんだよ、新商品だってさ」

皿に入れて僕に差し出す。

確かにいつものご飯と少し違う気がする。

「うまいんだな。良かった。」

僕が食べ始めると飼い主はそう言いながら僕の頭を撫でた。

僕はおいしいだなんて、一言も言っていないのに、勝手な思い込みである。

ご飯を食べているときに頭を撫でられるのも僕は好きではないのに。

この人間は何もわかっていない。


「よし、そろそろ出かけるぞ」

僕がご飯を食べ終わってしばらくすると、

飼い主はそういいながら僕の首輪にリードを取り付けた。


この人間はこんなふうに僕をよく外に連れ出す。

最初の頃は「さんぽ」といっていた記憶があるが最近はいわなくなった。

「さんぽ」ではないからなのか、

「さんぽ」でもなんでもどうでもいいのか。

僕にはよくわからない。

僕にとっては「さんぽ」でもなんでもどうでもいいのだが、

この、外に連れ出されるというのは嫌いではない。


車に乗せられてしばらく揺られると、飼い主はある駐車場に車を停めた。

何度か来たことがある駐車場だ。

この近くに大きな滑り台がある公園があるんだ。

きっと今日もそこに行くんだろう。

僕は滑り台では遊ばせてもらえないんだけどね。


「あ、ワンワンだ!」

予想通り大きな滑り台がある公園に到着すると、少し離れたところから声が聞こえた。

声のほうへ目を向けると、人間の子どもがこちらに手を振っている。

僕は手を振れないので、代わりにしっぽを振ってみせた。

ちょっと恥ずかしいが、見えやすいようにお尻を子どものほうに向けみたりして。

しっかり見えたのか、人間の子どもが嬉しそうに飛び跳ねている。

子どもの隣には親らしき大人の人間がいる。

子どもの手をしっかりと握りながら、こちらに向かって頭を下げる。

それに応えるように飼い主も頭を下げた。

お得意の愛想笑いを浮かべながら。

「あらあら、しっぽサービスの上手なわんちゃんね」

後ろから来たパンの匂いがする人間が笑いながらいう。

しっぽを振ってみせるのをしっぽサービスというのだろうか。

「小型犬なのにお利口さんね」

失礼な人間である。

小型犬なのにってなんなんだ。

小型犬は利口ではないとでも思っているのだろうか。

勝手な決めつけである。

「あら、ごめんなさい。小型犬なのになんて失礼よね」

僕の考えていることがわかるなんてなかなかできる人間だ。

エスパーか?

少なくとも僕の飼い主よりは出来が良さそうな人間だ。

いや、ちょっと怖いかも。

「いえいえ、小型犬の割に子犬のときからおとなしくて。飼いやすくて助かってるんですよ」

この飼い主は僕を撫でながら言えば許されるとでも思っているのだろうか。

小型犬なのにとか小型犬の割にとか、小型犬を馬鹿にするのはいい加減にしてほしい。

「犬、お好きなんですか?」

僕のことは無視らしい。

「ええ、割と。大きな犬は少し苦手なんですけど」

パンの匂いがする人間はそう言いながらも僕を撫でようとはしなかった。

時々突然近づいてきて、許可もなくいきなり僕を撫で回す人間がいる。

そういう人間が、僕は嫌いだ。

飼い主も嫌いなのか少しムッとすることが多いが、やめさせようとはしない。

決まってあとで『あれも営業なんだ、ごめんな』と言いながら、いつもと違うご飯をくれる。

このパンの匂いがする人間は、僕が嫌がることがわかっているのか、それとも飼い主が嫌がることがわかっているのだろうか?

いずれにしても悪い人間ではなさそうだ。


「あっ…もしもし」

パンの匂いがする人が慌てた様子で電話に出た。

人間というのは面倒な生き物だ。

携帯電話とやらに支配されている人間が多い。

「ではこれで」

飼い主が僕の首に繋がれたリードを少し引きながら、小声でそういってパンの匂いがする人に頭を下げた。

しっかりと愛想笑いを浮かべながら。

パンの匂いがする人もそれに応えるように同じように頭を下げる。

「じゃあ、今日はここで遊んで帰ろう」

僕に言っているのか独り言なのかよくわからないような言い方で飼い主が言う。

僕のほうに顔すら向けない。

僕の返事など待っていないのだろう。

思わずムッとしてしまった。そっちがその気なら…

僕も飼い主の足取りなど気にせずに走り始めた。

「おいどうした?待ってくれよ」

慌てた様子で飼い主がいいながら追いかけてくる。

少しイタズラが過ぎただろうか。

まあたまにはいいだろう。

僕を蔑ろにするのが悪いんだ。


それから数日が経ってからだった。

少し遅い朝ご飯を食べ終わってから、この前と同じように飼い主が僕を連れ出した。

今日はどこへ連れて行くんだろう…

そう思いながらしばらく車に揺られた。

「着いたから降りるぞ」

車を停めて飼い主がいう。

この前来た、大きな滑り台がある公園の近くにある駐車場だった。

またあの公園に行くのだろうか。

そう思いながら僕は車を降りた。

降りた途端、パンの匂いがすることに気付いた。

おいしそうな匂いだったから印象に残っていたんだ。

間違いない。

あの公園で出会ったパンの匂いがする人と同じ匂いだった。

パンの匂いなんて同じだろう?

同じパンの匂いなんてあちらこちらでしてるだろう?

そう思う人もいるかもしれないが、そうではないのだ。

パンの匂いにもいろいろとあるんだ。

その上、人の匂いにもいろいろとある。

あのパンの匂いがする人はパンの匂いとその人特有の匂いが混じった「パンの匂い」がした。

まさしくその匂いがしたんだ。

てっきりその人がいるのかと思ってあたりを見渡したが人影すらなかった。

不思議に思いながら、注意深くもう一度匂いを嗅ぐ。

かすかに血の匂いがした。

おそらくこれは人間の血の匂いだ。

匂いが強いほうへ恐る恐る近づいていくとハンカチとわずかだが乾いた血が付着したナイフが落ちていた。

僕が思わず吠えると、僕を降ろしてから助手席に座って何かを探していた飼い主が驚いた様子で僕のほうへ来た。

「どうしたんだ、ジョーさん」

僕はハンカチとナイフを鼻で指し示した。

「なんだこれ」

飼い主がうろたえているのがよくわかった。

探偵の割にこういう状況に弱いんだ、この人間は。

この前のパンの匂いがする人のものだと伝えたいけれど、どうすれば良いのか。

僕が悩んでいると、飼い主は慌てた様子で携帯電話を取り出した。

「とりあえず警察に」

携帯電話というものも、たまには役に立つ物なんだと初めて思ったかもしれない。

匂いを辿ってみようとしたが、ハンカチやナイフのあたりから少し離れると匂いがわからなくなってしまった。

今朝、風が強かったせいかもしれない。

そうだとすると、このハンカチとナイフはいつから落ちているのだろうか。

僕は警察が到着するまでに匂いの主を伝える方法を考えることにした。

考えているうちに、あの大きな滑り台がある公園が思い浮かんだ。

飼い主をあの公園に連れていけば、あのパンの匂いのする人のことを思い出すだろうか。

試してみるしかない。

警察というものを僕はよく知らない。

もしかしたらこの程度のことでは来ないんじゃないかと思ったりもしたが、しばらくするとパトカーが到着し、警察官が二人降りてきた。

飼い主が警察官にハンカチと血がついたナイフを指し示す。

「犬を連れて近くの公園に行くときに、ここの駐車場に車を停めさせてもらってるんです。ここの所有者の方とは知り合いなので」

「こちらに来たらこれが落ちていたんですね」

「はい。犬が見つけて知らせてくれました」

飼い主が僕のほうに目をやりながらいうと、警察官も僕のほうに目を向けた。

僕は飼い主のズボンの裾を噛んで引っ張った。

「おい、どうしたんだ?」

飼い主が慌てた様子で言う。

「もしかして匂いを辿って連れて行ってくれるんじゃ」

警察官がいうと飼い主が「ああ、なるほど!」と大げさに手を叩いて言う。

いや、ちょっと違うんだけど。まあいいや。

僕はあの大きな滑り台がある公園に向かった。

飼い主と警察官の一人がついてくる。

公園に到着すると、飼い主ががっかりしたようにつぶやいた。

「なんだ、遊びたかっただけか」

いや、違うってば。やはりこの飼い主は鈍い。

僕は公園の中に入るとあのパンの匂いがする人が立っていたあたりをぐるぐると回って見せた。

「なんだ?そこに何かあるのか?」

飼い主がいう。

いや、だから、ちょっと違うんだよ。

思わず僕は吠えた。

何度も吠えた。

先ほどと同じようにぐるぐるまわって、そしてまた吠えた。

「なんなんだ…ここを掘れって感じじゃないし…」

飼い主が困った顔をする。

もどかしい。僕が人間の言葉を喋れたら…初めてそう思ったかもしれない。

「あ、もしかして、この前ここで会った人?」

僕は頷いてみせて軽く吠えた。

「前に来たときにここで話をした女性がいたんです。その人の匂いがしたのかも」

上出来だ。

興奮して僕は思わず吠えた。

「あ、ワンワンだ!」

この前もいた親子らしき大人の人間と子どもの人間が公園に入ってきた。

大人のほうが警察官の姿を見て驚いたようだった。

「何かあったんですか?」

「この前、私がここで話していた方のこと、ご存知ですか?」

「ええ、斜め向かいに住んでいる方です」

パンの匂いのする人の正体がわかった。


ここからはおそらく警察の役目だろう、そう思った。

匂いを辿ることもできないし、僕ができることはもうないだろう。

警察官は「ご協力ありがとうございました」といってどこかへ行ってしまった。

おそらくあのパンの匂いがする人の家にいくのだろう。

「無事だと良いな、あの人」

飼い主が僕を撫でながらいう。


この日はいつもより早めに帰路についた。

「ご褒美に何か買って帰るかな。ああ、でもお前を置いて行けないな」

飼い主が何かぶつぶつと独り言を言いながら車を停めた。

車が停まってから、空いていた窓の外からあのパンの匂いがする人と同じ匂いがすることに気付いた。

僕は思わず窓から出ようとしたが、窓の空き具合が狭くて上手く出られなかった。

僕は吠えた。

外に出せ。

「どうしたんだ?」

僕は吠えた。

外に出せ。

僕は空いた窓の隙間から顔を出そうとした。

外に出せ。

慌てた様子で飼い主が車から降りて、僕を外に出した。

飼い主を待ってはいられなかった。

僕は足早に匂いを辿った。

飼い主が慌ててリードを掴んで追いかけてくる。

「待つんだ、ジョーさん」

僕は待たなかった。

匂いの先は車を停めた場所のすぐ近くの小さな公園だった。

匂いの先をめがけて僕は走った。

飼い主が必死で追いかけてくる。

木々の匂いや苔の匂いが強くなっていくが、あの人間の匂いも強くなった。

「あっ」

飼い主が思わず声を出した。

僕も吠えた。

あのパンの匂いがする人が倒れていた。


「今日はお手柄だったよ、ジョーさん。本当にお手柄だった」

飼い主が僕を何度も撫で回しながら嬉しそうにいった。

僕はとても眠かった。


数日後、ご飯を食べていると警察官がやって来た。

パンの匂いがする人が無事だったということはあの日のうちに聞いていたけど、昨日退院したらしいと警察官が話してくれた。

それから、僕に感謝状とやらをくれるとかくれないとか、そんな話ががあるらしい。

僕はそんなものがほしいわけじゃないんだけど、くれるならもらってあげてもいいかな。


さらに数日後、あのパンの匂いがする人が訪ねてきた。

「あのときは本当にありがとうございました」

「いえいえ、ご無事で良かったです」

パンの匂いがする人は何年か前まで犬を飼っていたらしい。

犬種は違うが僕と同じくらいの大きさの犬だった。

ある日、犬がいなくなって必死に探したがなかなか見つからず、しばらくして事故にあったのか、道路で死んでいるのが見つかったそうだ。

お墓を建てようと思いながら骨を自宅で保管したまま過ごしていたら、それを悪い人たちに盗まれてしまったらしい。

骨を返してほしかったらお金を払えと言われたが、その人には払えるようなお金はなかった。

その人が大きな家に住んでいたので、お金持ちだと悪い人たちが勘違いしたようだ。

確かに大きな家に住んではいたが、一人暮らしの年金暮らしで要求されたお金を払う余裕はなかった。

警察に通報しようか迷ったが、犬がいなくなって相談した時、冷たい対応だったようで、今度も警察に相談しても無駄だと思ってしまったようだ。

あの日はお金を持ってくるようにいわれてあの駐車場に行ったが、お金を渡さないと骨は返さないといわれ、必死に自力で取り返そうとしたらしい。

あのナイフはその人が持っていった果物ナイフ。

もしものために身を守るためにハンカチに包んで持っていったが、気が動転して間違って自分の手を切ってしまったらしい。

「慣れないことをするものじゃないわね」といいながらその人は笑っていたが、何がおもしろいのだろうか。

以前から思っていたが人間というものはおかしくもないのに笑うことがある。

なんだかよくわからない生き物だ。

それから、取り返そうとしてもみ合っているうちに、悪い人たちの車に押し込まれてしまったらしい。

そして車の中で頭を打ったのか、気を失ってしまったようだ。

悪い人たちは慌ててあの公園にその人を置き去りにしたらしいが、まだ明け方だったためか目撃者はいなかった。

「あの時ジョーさんが気づいてくれなかったら、どうなっていたか…ジョーさんは命のおんじんね」

”命のおんじん”という言葉をその人は何度も繰り返した。

おんじんって何だろう?

なんだかムズムズする。

人参の仲間だろうか?

まあ人参は嫌いじゃないけど。

僕は人ではなく犬であることは一応いっておきたい。

パンの匂いがする人はパンを焼くのが趣味らしく、僕にパンを焼いてきてくれた。

なるほどそれでパンの匂いがするのか…そう思いながら僕はパンを頬張った。

パンの匂いがする人は「あの子もおいしそうに食べていた」と嬉しそうに僕を見ていた。

犬用に焼いたのは久しぶりらしい。

確かにおいしいよ。反論の余地なし。

食べ過ぎには注意だけどね。

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