第29話:香りは尊厳、嗅覚は希望──最終弁護と仲直り
文化祭三日目、午前十一時五十五分。
生徒会主催の“特別説明会”として、講堂の舞台にひとり、僕――白井健太が立っていた。
正面には、全校生徒と一部の保護者。
横には文化祭実行委員。
そして、最前列には――白神ルナ、久遠美月、志村紅葉。
僕の言葉を、今か今かと待っている。
いや、彼女たちだけじゃない。
文化祭を“最悪の香り”で混乱させた犯人としての、僕自身の弁明を。
「……僕は、嗅覚が異常に鋭い人間です」
ざわめきが起こる。けれど僕は、続ける。
「匂いには、好き嫌いがあります。ある人にとっての“癒し”が、別の人にとっての“地獄”にもなりえる。
だからこそ、僕たちは“香りの正義”を人に押し付けることはできない」
スライドに映されたのは、“シュールストレミング”の缶と、腐敗と発酵の化学式。
「でも、僕は今回、あえて“世界一臭い香り”に向き合いました。
それは、僕自身が香りに人生を支えられてきたからです」
次のスライドには、
“母の台所の匂い”、“初めての恋の柔軟剤”、“本に挟まれた紅茶のしおり”。
「香りは、記憶です。感情です。尊厳です」
息を吸い、僕は語る。
「僕はシュールストレミングの香りの中に、“生き物の歴史”を感じました。
腐っているようでいて、実は生きることそのものを凝縮したような匂い。
きっと誰かが、あの匂いの中に“家族との思い出”を持っている。笑いながら食卓を囲んだ記憶がある」
えまが、後方で静かに頷いている。
「たとえ日本の学校にとって非常識でも、世界のどこかでは“日常の香り”。
僕はそれを、否定されたくなかった」
ざわめきが落ち着き始める。
「だから、謝罪します。空気を汚したこと、文化祭を混乱させたこと――僕の判断が未熟でした。
でも、あの香りに“意味”を見出そうとしたことは、後悔していません」
一礼。
沈黙。
そして。
拍手。
最初はぽつぽつと。
次第に大きな拍手が講堂を包み込んでいった。
その後。
生徒会長がマイクを握り、微笑んだ。
「……文化祭は、誰かの情熱でできている。
時に、それが周囲を巻き込むこともあるけど――今日の話で、私は確かに“香りの意味”を感じました。
シュールストレミング展示の件は、生徒会の判断で“文化的資料として記録”に残します」
場内が沸いた。
終演後、講堂の裏口で僕を待っていたのは――
ルナだった。
「……変態だけど、かっこよかったよ」
「お前がそれ言うと褒め言葉に聞こえないな……」
「ふふっ」
次に来たのは美月。
「……私、文化って、言葉や音楽だけじゃないって、知ってたけど。
今日、初めて“匂いも文化”だって思えたわ」
そして、紅葉。
「白井くんの言葉、耳じゃなくて鼻で読めた気がした」
僕は、彼女たちに笑った。
「ありがとう。……でもさ、来年の文化祭、もう少し平和な香りで勝負したい」
「……いい香りで、好きって言わせてみて」
美月のその一言に、僕の心が震えた。
世界一臭い香りは、僕の青春の中で、きっと“誰よりも美しい記憶”になっていた。
香りは、尊厳。
嗅覚は、希望。
――嗅いで、生きろ。
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