第18話:汗と恋と、真夏の夜の“匂い告白”

午後7時過ぎ。


夏の日は長く、空にはまだわずかに茜色が残っていた。

つくば駅前、僕と白神ルナはコンビニの袋を片手に、並んで歩いていた。


「マジで最悪~……せっかくのバイト終わりなのに、制服のまま帰ってくるとか……汗がさ、ねちょってんの」


「最悪って、コンビニ飯買って楽しそうに言うなよ」


「いや、白井と一緒だから許される。ってか、白井ってやっぱクサくない男だよね。いや、匂いの話じゃなくて、存在がクサくないって意味で」


「やかましい」


そんな冗談を交わしながら、僕らは駅前から住宅街へと続く道を歩く。

セミの声もまばらになり、かわりに風鈴の音がどこか遠くから聞こえた。


その時だった。


ふとした瞬間、ルナの香りが僕の鼻に届く。


汗ばみ、乾いたシャツの布越しに立ち上る、夏の夕暮れの体温。

昼に嗅いだときより、ずっと“近い”匂いだった。


そしてそこに――

ほんのりと混じっている、甘く柔らかな石鹸の香り。


(……風呂、入ったな)


「……なに?」


ルナが、僕の視線に気づいて立ち止まる。


「いや……昼より“変わった”から」


「は? あ、あんた……私の汗のにおい、また嗅いでたの?」


「違う。香りって“気配”みたいなもんだから。変化に気づくのは当然」


「やっぱ変態だろ、それ」


そう言いつつ、ルナは目をそらした。

でも、頬がほんのり赤い。


僕は少し間を置いて、口を開いた。


「……ちゃんと入ったんだな、風呂。肘の擦り傷、染みなかった?」


「……うっわ、マジでなんでもバレるんだな、白井って」


「当然だろ。今日のあんた、香ばしかったからな」


「は~~~!? お風呂サボったこと蒸し返さないで!? 超恥ずいから!!」


「でも、それがルナだろ?」


その言葉に、ルナは一瞬、目を丸くした。


「……それってさ」


彼女は、ポケットからヘアゴムを外して、ふわりと髪をほどいた。


風が吹き、肩にかかったツインテールの髪が、さらりと揺れる。

洗いたての髪から立ちのぼる、シャンプーの清潔な香りと、首筋に残る微かな“素肌のぬくもり”。


彼女が、ゆっくりと言った。


「ねえ、白井。

あんたってさ、誰の匂いでも分かるんだよね。

じゃあ、私が今なに考えてるか、分かる?」


「……それは“匂い”じゃなくて、ただの女心だろ」


「ううん、“匂い”で言い当ててみて。あんたの鼻なら、分かるでしょ?」


ルナは、いたずらっぽく笑いながら、一歩、近づいてきた。

顔が近い。汗がうっすらと浮かんだ額が、月明かりに照らされていた。


「言ってごらん。白井探偵。私の“心の匂い”、分かる?」


僕は、ごくりと息を飲み、彼女に向き直った。


香りが交錯する。


シャンプー、石鹸、夏の夜風、肌の香り、そして……

ほんの少しの、甘い緊張。


(……これは)


「――“勇気の香り”だ」


ルナが、目を見開いた。


「え……?」


「たぶん今のあんたは、汗も香水も使ってない。

でも、この香りはあんたの体が“今ここにいる”って語ってる匂いだ。

恥ずかしいことも、怖いことも、全部ちゃんと残ってる。

それって、“自分の想いをちゃんと伝えようとしてる”匂いだと思う」


静かな夜に、蝉の声が遠くで鳴った。


ルナは、しばらく何も言わなかった。


でもそのあと、ゆっくりと、僕の前に歩み出て――


「……やっぱさ、白井の鼻って、最強なんだね」


そう言って、僕の制服の胸元に、そっと額をあずけた。


「ほんとはね、今日、あんたに“好き”って言おうと思ってたんだ。

でも言葉にすると逃げちゃいそうでさ。

でも、匂いならバレるって思ったから……こうしてみたんだ」


僕は言葉が出なかった。


でも、鼻は――ルナの“本音の香り”を確かに受け取っていた。


 


彼女の額から立ち上る、微かな汗。

そして、シャツの内側から染み出す、ほんのりあたたかい石鹸と肌の香り。


それらがすべて、“想い”だった。


「……伝わった?」


「……ああ。ちゃんと、“匂い”で伝わってたよ」


 



夜、家に帰ってからも、僕は制服の胸元を見つめていた。


ほんの少し、汗の染みた白い布。

けれどそこには、誰かの心が確かに残っていた。


香りは消えても、記憶には残る。

それが、僕にとっての“恋の始まり”だった。


 


つづく。


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