7話 桜

 アキラが去った教室。


 桜は彼とのやり取りを思い返しながら、自分の中でじわじわと疑念が膨らんでいくのを感じていた。

 アキラの言葉には、何か隠しきれないものがあった。

 あの無邪気な笑顔、よく練られた会話の運び。

 年齢や立場を考えれば異常なほどの冷静さと順応性だった。


 でも、どこか引っかかる。


(アキラ君は……何かを隠してる?)


 そう思いながら、桜はいつものように参考書を開く。

 でも集中できず、自然と彼の顔が脳裏に浮かんでくる。

 普段なら気にも留めないような、些細な表情や言葉の端々――それらがなぜか心に残る。


(でも、どうしても……思い出せない)


 アキラにまつわる記憶は、まるで霧がかかったように曖昧だった。

 過去のやり取りは確かに記憶の中にあるのに、何かが抜け落ちている。

 そこに確かな違和感があるのに、それを言葉にすることができない。

 アキラの事を思い返そうとすると頭の奥が少しだけズキンと痛んだ。


(どうして、こんなに気になるんだろう……)


 机の端を指でトントンと叩きながら、桜は考え込む。

 その時、ふと浮かんだのは――アキラが言っていた「普通の小学生だよ?」という一言。

 それも、どこか不自然だった。


 好奇心が桜を突き動かす。

 彼の言葉、態度、そしてあの空気。

 もっと知りたい。もっと探ってみたい。そんな欲求が、静かに胸の奥で燃え始めていた。


 授業が終わると、桜は校門を出て迎えの車を待つ。

 遠くに見える、自宅の巨大な邸宅を見上げた。

 まるで街全体を見下ろしているかのような、圧倒的な存在感。


 桜の家――。

 それは映画のワンシーンから抜け出したかのような、威圧的なまでの豪邸だった。

 高くそびえる石壁、整えられた芝、重厚な門。

 扉をくぐれば、大理石の柱とシャンデリアが輝く広間が出迎えてくれる。


 父は日本でも有数の名士として知られ、桜は常に外の目を意識して生活していた。

 だが、桜にとってその家は、どこか冷たく、息苦しい場所でもあった。

 両親との関係は表面的で、求めれば与えられるが、

 それは愛情ではなく「義務」のようなものだった。


 桜は、そのことを子供ながらに理解していた。

 だからこそ、帰宅するたび、玄関をくぐるときに小さく息を吐く。

 この家には、心から自由を感じられる場所がどこにもない――それが、ずっと胸の中にあった。


 家に着くと、静かな廊下を進み、リビングへ向かう。

 執事の加賀(カガ)が、変わらぬ無表情で迎えに出てきた。


「お帰りなさいませ、桜様。」


 加賀は、桜が幼い頃から仕えている執事だ。

 常に完璧で、桜の生活のすべてを把握している。

 だが、彼との間に情はない。ただの職務。

 だからこそ、桜は心の奥を見せることはなかった。


 ソファに腰を下ろし、軽く一息つく。


「加賀、お願いがあるの。」


 彼はすぐに顔を向け、丁寧に答えた。


「何か、お困りでしょうか?」


 少し間を置いて、桜は言葉を選んだ。


「ネットを使える部屋はどの部屋かしら。今度、友達と一緒に使いたいの。友達がネットを使いたいって言ってて。」


 加賀は一瞬、表情を動かした。眉がかすかに寄る。


「ネットを……貸す? そのご友人とは?」


 桜は肩をすくめ、さらりと答える。


「ただのクラスメートよ。そんなに大したことじゃないわ。」


 加賀は数秒、考えるような間を置きながらも、慎重に口を開いた。


「桜様、ネットの使用にはご注意ください。家の機密情報が外部に漏れるリスクもございます。」


 桜は、少し真剣な眼差しで加賀を見つめた。


「大丈夫よ。ちゃんと気をつける。だから……お願い。」


 加賀は彼女の表情を静かに見つめ、やがて頷いた。


「承知いたしました。ただし、使用にあたっては私がサポートさせていただきます。」


 その言葉に、桜はほんの少し微笑んだ。


「ありがとう。友達が来た時の対応も、よろしくね。」


 加賀は一礼し、そのまま部屋を出ていった。

 静かになった室内で、桜はふたたびアキラのことを思い出す。


(アキラ君の……あの空気、やっぱり普通じゃない)


 桜の瞳が細められ、確かな光が宿る。

 それは疑問ではなく、確信に近い直感だった。

 彼について、もっと知りたい。彼が何を隠しているのか、暴きたい。


「明日、また会うのが楽しみだわ。」


 桜は小さく呟いた。

 アキラが次にどんな顔を見せるのか。

 その未来を思い描きながら。

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