第36話 映像の断片
雨が上がり、街はまばゆい春の光に包まれていた。なのに、美奈の胸には冷たいものが張り付いたままだった。
父のノートを読み終えてから、一晩中、眠れなかった。あの言葉、あの詩──“お前の声を知らない”、“もう一度 命を”……
その意味を、彼女はまだはっきりと理解できずにいた。
午前十時。自室の机に突っ伏していた美奈は、玄関からの音で目を覚ました。
「美奈、旧研究所から映像資料が届いたぞ」
父の声に導かれるように階下へ降りる。
リビングのテーブルの上には、薄い封筒とUSBメモリ。
「俺が昔いた研究室が、資料整理のために送ってきた。何が入ってるかは……見ていない」
美奈は言葉を返さず、それを手に取った。
リビングのテレビにつなぐと、スクリーンには暗い実験室の映像が映し出された。
古びたデジタル映像。
白衣の大人たち。冷たい光。無言の中で動く手。
そこに、ひとつの保育器があった。
その中に──赤ん坊。
思わず美奈は、画面に身を乗り出した。
画面の隅、記録の日付は「202×年12月13日」。
美奈の戸籍上の誕生日とは一致しない。
(違う……でも……)
赤ん坊は、眠っていた。けれど、ふと目を開け、誰かの手に触れられたとき、小さく笑った。
(この子……私?)
白衣の男性が、赤ん坊の耳元で何かをつぶやいた。
声は拾われていなかったが、唇の動きは──
「ミナ……」
美奈は全身が強張るのを感じた。
次のカットで、複数の保育器とラボの端に並ぶ機材、そして手書きのプレート。
〈リバース試料No.1〉
それを見た瞬間、美奈の視界が歪んだ。
「……これは……何なの……」
膝が崩れそうになるのをこらえ、ソファに腰を下ろす。
「お父さん……私、聞きたい」
玄関先にいた父が戻ってきた。
無言のまま、美奈の隣に腰を下ろす。
「“リバース”って……あれは……私なの?」
父は、少しだけ目を伏せた。
「美奈、まだ答えを急ぐな。
あの映像に映っていたことは事実だが……それがすべてじゃない」
「でも、リバースって……私は……」
「いずれ、ちゃんと話す。
ただ今は……知っていることと、知ってしまうことの間には、大きな違いがある」
父の声は静かだった。
美奈は何も言い返せず、視線をテレビの黒い画面に戻した。
(私は……知りたい。でも、知るのが怖い)
胸の奥に、言葉にできないざわめきだけが残っていた。
『リバースメモリー』より
うつる 映像が わたしなら
うつらない 記憶は だれのもの?
名前を呼ぶ 口の動き
その音を わたしは 知らない
それでも 感じた気がした
誰かの 祈りのぬくもり
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