第240話-MCシステム時代のMCの部分

「そう。ニルヴェイズでこの手の設計図をそのまま見ることになるとは思わなかった。いつだって外はこれと旧型接続端子に満ちていた……」


 ブラッドの呼びかけに、カデンスは静かに頷いた。


「シーは、ニルヴェイズの外から来たんだよね。シーはつけてた?」

「いいや。だが、付けられても破壊しようとしただろうな」

「ふんふん。じゃあ、やっぱりわたしのはブルームポットが取り付けたものなんだね……」


 CSは咀嚼していたオープンサンドを飲み込んでから、カデンスをじっと見つめて問いかける。彼はCSの方を見てから、横目でブラッドのウィンドウを一瞥する。


「とどのつまり、『幸福が義務だった時代』とは自我と情報を徹底的に管理したディストピアであったといえる。コアは氷山の一角に過ぎない」


 レストは両手にホットサンドを持ったまま、レゾナンス機関の長、マスティンと対話した時のことを思い出して、ゆっくり瞬きした。


「なんだっけ。そう、別の名前が『MCシステム時代』。あのお爺さんがそう言ってたの、自分は覚えてる……そのMCって何かも、あなたは知ってる?」


 カデンスは非拍動性のココアで口を湿らせてから、彼に答えた。


マインドコントロールMindControl。分かりやすいだろう?」

「あ~……洗脳、か……」


 ブラッドはその名もずばりな単語に嫌そうな声を漏らした。C'もCSも、アイレさえも、自分の関わった拍動汚染沙汰を思い返して渋い顔になった。


 幸福が義務だった時代。それは思想統制がバリバリに幅を利かせたディストピアの世界だった。

 ニルヴェイズの外は、統率が完了している。精神が一つの団子になっていて、ありがたくも自動運転のトラックで荷物を配送してくれる『どこか』として機能している。


 みんな、しあわせに満ちたまま教育を受け、適切な労働者となり、正しい配偶者と交配し、社会を維持するための子孫を残して老いて健康に一生を終えるのだ。

 目を青ざめさせて、つがいとなった誰かの顔も、自分の行いも認知することなく。


「そうだね。それは当時は最適解だったのかもしれない……管理できるものならね」


 ブラッドは目を伏せた。

 無私ゆえに平等。これが人類の至るべき理想だと信じられた世界こそ、『幸福が義務だった時代』だ。


「でも、そんなのそうそう上手く行くわけがない……不確定要素を全部カバーして操作するようなものだよ。例え、拍動汚染で全ての人間をオートで動かせたとしても……何十年も維持するのは、難しいと思う」


 ブラッドは少し先の未来を考えて、さらに言葉を足した。カデンスは目を閉じ、小さく息を吐いた。


「だが、それが少なくとも、私がニルヴェイズに来る前の外であり現実だ……人々は生きているが、そこに付随する意思はなく、魂もない……」

「んむ。むぐ……ねえ、シー」


 CSは両手で捕まえているトーストも話もいっぱいいっぱいな状態で、口を開けた。


「じゃあ、どうしてニルヴェイズは無事なのかは、わかる? ビートダウンがいっぱいあるけど、わたしたちは溶けてないよね……うっ、えっと、溶けたとこも、あるけど……」

「それは俺も気になるな。それほど大規模な支配ができたとして、何故ここはその被害から逃れたのか」


 C'は黙々とバタートーストをかじっていたが、CSに便乗した。カデンスは答えを持っていた。


「確かにMCはマインドコントロールの略称だ。が、ニルヴェイズに限ってはMCにがある。認識しなかったらそれでいい……旧い、軍というところが使っていた呼び名だ」


 カデンスは少しだけためらって視線を彷徨わせた。が、この場にいる全員にその秘密を打ち明けた。


MuteCellミュートセル――ニルヴェイズとは、『ミュート』という巨大なコンピューターに管理される計画都市でもあったんだ。人間の自我というサンプルを保存するためのな」

「はっ、ミュートさん……! そんなすごいことしてたんだ……」


 CSはその名に目を開いた。カデンスも、この場の全員がそれを聞いたと気付いて目を開いた。

 CoL局長でもある、政より退いたおばあちゃんコンピューター。その名こそが、MCシステム時代という文字列に隠された真実の一つだった。


「ただ、それもやはり相当前に崩壊したと言っていい。私を含め、あぶれた逃亡者や避難民がなだれ込み、現在は人間が統治しているからな」


 カデンスの説明に、C'も理解を示して小さく唸った。納得はしている。が、何もかも上手いようにはいかないのも事実なのだ、と。


「ミュートさんの性能を疑ってはいない。が、時代の変遷で撤去されることは十分にあっただろう。君が来た時点で、ここはミュートセルではなく、ニルヴェイズになっていた……時間の経過がある」

「そして、FlowerTestamentの敷いた認知の壁はこれらの情報共有を許さなかった。今、伝わって……ほっとした」


 カデンスは安堵し、表情と拳を緩めた。

 ビート満ちたるニルヴェイズ。それはかつて多様性と意思を保存する場所だった。治安はクソだが、なんだかんだ衣食住には困らない。

 郊外の人間だって、求めれば福利厚生を受けられる――ニルヴェイズが飢えているとしたら、それは娯楽と存在意義だ。


「調律者さんは何でも知っているんですね」

「何でもではないさ……ただ、私が戻って来たことで伝えられるものある。今はそう思う」


 アイレは好奇心に目をきらめかせ、サラダを食べ終えてそう言ったが、カデンスは苦笑した。

 サンドイッチを食べ終えたブラッドは頬杖をつき、『目が覚める』アイスティーの入ったグラスを手に取る。


「これでシーが帰ってこなかった場合、シーの持っていた情報はぼくらには届かなかった。あくまでもきみの視点って話には注意が要るけど……ぼくらがいかに閉ざされていたかが、よく分かるよ」


 ここにいる者たちは理解している。そんなニルヴェイズもひとかたまりの団子一歩手前だったのだ。

 そして、こんな話をしているからこそ、他ならぬ快楽の化身であるCSから問いは投げかけられた。


「みんなはこれからも拍動って必要だと思う?」


 まず、即答したのはブラッドだった。


「拍動も突き詰めれば情報伝達手段でしかないよ。これで使えないですやめますは、人類の知識と管理能力の負けってやつじゃない? ぼくは嫌だね!」

「君は本当に負けず嫌いだな」

「向上心に満ちていると言ってくれたまえ。ライムくんはどうなんだい」


 C'は少しだけ飲み干したココアのマグの底を見て悩んでいたが、そっと頷いてから口を開く。


「俺は怖い。人間には過ぎた技術であるとも、思う……が、なくなった状態も想像できない。つまり、これは既に拍動を除外できないという意味ではないか……とも、思っている。共存しかないという、言い方になるんじゃないか」


 素直な意見を言いながらも、C'はCSとカデンスに視線をやった。


「わたしはあった方が嬉しい! みーんなしあわせでいっぱいにしたいし、しあわせが欲しいって思ってる人をすぐ見つけられるもん」

「私はなくても生きていける自信はある。だが、あった方が何かと便利なのは間違いないな。深く君たちを感じる手段は、いくらでも欲しい」


 質問を投げかけたCSははっきりと、カデンスは情熱的な回答をして微笑んだ。そして、二人が見たのはアイレとレストだ。

 アイレはもう決めていたのだろう。彼女は胸元で手を握っていた。


「不要かどうかは分かりません。ただ、『わたしたち』や、レストのような人が減ればいいとは願っていて……そのためには無力なままではいけないんです」

「アイレも言うようになったね~」

「レガさんとお話して思ったんです。私、『わたしたち』、強くなりたいです! もっと! カデンスさんにも手合わせしてほしいぐらいです!」

「いいな。君の剣舞にも興味がある」


 ブラッドの茶化しにアイレはきりっとした眼差しで答えた。目元も光った。彼女は決意に満ち、カデンスは新しい強者の名乗りに興味を示した。


「君はどうだ、レスト」


 最後に、C'がオムレツを乗っけたトーストを食べていたレストに呼びかけた。ティッシュで口元のケチャップを拭いていた彼は、それをゴミ場にぽんと投げ入れて唸る。


「何も感じない? ううん、何もではない……まとまってない。少し待って」

「どうぞどうぞ」「ないでもいいけどね」


 レストが自分の意見を出すのには時間が要る。CSやブラッドの声を聞きながら、彼は目を閉じ頭をゆらゆらさせて小さな呟きをこぼした。

 頭を揺らすのをやめて瞼を開けるのは、少し後だ。


「拍動を撤廃する方法が思いつかない。だから、不要かどうかの質問自体は意味を感じてないけど……響く、響かないを選ぶ手段はこれからも要るから、もっとよくなるといいかなって。助ける方法がもっとできるといい、みたいな。これは感じてる」


 ずっと現実的な視点と共に、レストは技術の進展と啓発を願い、通信機のスイッチに手を掛けた。


「自分は拍動で生かされてる身だからというのもあるかも。この人の意見も聞く? ――起きてスイッチ

 

 小さな息のつっかえと引き継ぎで、話し合いの場にフェルマーが引っ張り出される。


「ん、んん? 僕にも発言権があるのか……そうだな」


 瞬きをぱちぱちして、彼は生真面目で険しい目のまま腕を組んだ。


「僕は救助以前に基準を厳しくすべきだと感じている。結局、支配の手段として日常的に使われている事実は変わらないからな」

「あ~これ、レストとフェルマーさんの意見がまたケンカしそう〜」

「手段がないからといって、問題に何もしないのはおかしいだろう。人は間違うものだ。間違う前と後のガイドラインが必要だ……というより……」


 CSのゆるい声を聞きながら、急に青くなったフェルマーは口元を手で覆った。


「こ……コーヒーを淹れてもいいか? 僕は、ケチャップは……材料がトマトなのにトマト感のない甘みが苦手で……」

「そうなんですか!? ああっ、味覚も共有ですよね……」

「訳が分からない……本来の姿を失した重度拍動汚染被害者のようだ……」

「そんなに!? あ、ああ、アイスコーヒーあるよ、フェルマーさん。ま、難しい話より、二人がいい落とし所見つけられる方がぼくは先かな~……じゃ、ごちそうさまでしたっと」 


 アイレが呼びかけ、ブラッドが困惑しながら助けて、C'とカデンスが見守る。

 朝食はおいしくて、それぞれ違うから、それぞれのお腹を丁度良く満たしてくれる。ケチャップが苦手な場合のケアもできている。


「んへぇ、ぁ。ごちそうさまでした!」


 CSは終わりゆく朝食に、大満足だった。


(やっぱり、みーんな思ってることは違うよね。それでも一緒にいていいって、いいな。ふふふ)


 意見はある。だが、争う必要もなく、それぞれに信念エゴを持っている確認のような会話だった。

 ただ、ここにいる全員が、なんだかんだ人類のちっぽけだけどきらきらした善性を信じているというのは、間違いはなさそうだった。

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